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カテゴリ:テレビ( 46 )

わが家の日曜日のテレビ

NHKBSの朝の国際ニュース、日曜・月曜日は放送されなくなりました。
なんでだろう?ゴルフだの大リーグだのって、日本人にとって本当に大切なのだったら、地上波でやってもらいたいわー。
みんなが見たいと思うのよ。お金払っても見てもいいっていうのが有料放送なんじゃ?

ということで、スリランカの同時多発テロ、フランスのいつもの黄色いベスト運動での「ノートルダムに寄付するんだったら・・・」という抗議行動やら、ウクライナのコメディアン・ゼレンスキー大統領誕生(予定)だとか、いろいろあった週末のニュースはすべて、当事国目線ではなく「NHK」目線の切り取り方での報道になってしまい・・・。

でも、それでも、わが家は基本的には「NHKBS」が基本。
昨日は、再放送でしたが「ライプチヒ動物園」を見ました。いかに「自然な状態」で動物を飼うかということに取り組んでいるそうです。
2年前の放送だったのかあ・・・。この2年間でまた変化しただろうになあ。新たな取り組みを伝える番組もあるのかしらねえ・・・?
まだ読んでいませんが『東西ベルリン動物園大戦争』などを読んでこの番組を見直すともっと面白いかも・・・。

そして、最近はフランス語国際放送が我が家のCSにセットで入っていることに気づき、お気に入りのフランス2の午後8時ニュースをフルバージョンで見ています。字幕はないので「パリのホテルでテレビを見ているワタシ」という設定にしています(笑)。
映画やドキュメンタリーは字幕がつくことがある。字幕が遅れ気味で「オララー!」と言いたくなりますけど、ないよりはずっといい。
実はアニエス・ヴァルダが逝去したときもその翌日には追悼として映画が放映されたのでした。たまたま番組表をみていて気付いて録画しました(が、まだ見ていない)。
昨晩はそのまま「生放送」という紹介でしたが、たぶん生放送をそのままカットなしで放送したのであろう(そして当然ながら字幕なし)のノートルダム大聖堂再建コンサートを家人と見ました。その会場は私が数年前に行った「アンヴァリッド(国立廃兵院)」。
自分が行った場所だということと、その帰りにノートルダム大聖堂に行ったけど余りの入場待ちの人の多さにあきらめた、ということが思い出され、やっぱり行っておくべきだったなあ、と強く思いました。

という意味で、次からは「絶対にここへ行く」という選択肢のなかには「観光で誰もが必ず行く」というところも入れようと思いました。

途中「いだてん」を見ました。こちらは視聴率が低くても、史実と違っていてもいい、と思いながら見ています。「中村勘九郎のためにクドカンが新作歌舞伎を書いている」って気分で見たら、すっごくおもしろいから!あてよう、という思いがいっぱいの三谷幸喜の大河だとか新作歌舞伎よりもずっとずっと面白いと思う。

なんで三谷幸喜の時は非難されなくて、クドカンがあんなにあれこれ言われちゃうのか・・・。

あと5日働いたらテレビ三昧になれる!と、今朝、気が付きました!
しかし、カレンダーをみたら、結構、私は予定をいれているわ。あらら。







by eastwind-335 | 2019-04-22 06:28 | テレビ | Trackback | Comments(0)

バイエルン州のミツバチたち

毎朝5時前からNHKBS1を出勤前までつけっぱなしの私です。
これまでは7時までは各国を代表する夜のニュースのダイジェストを見て、7時からはNHKの国際部から出ているキャスターによるこれらのニュースのさらなるダイジェストと、世界の動きを紹介する「キャッチ!世界のニュース」を見て通勤していました。
コーナーごとの時間がはっきりしていたので、時計代わりにもなっていたのです。

が、この「キャッチ!世界のニュース」が朝8時台に移ってしまい・・・。
7時45分ごろには家を出る毎日ですので、この4月1日からは国際ニュースのみ。
昨日だったか一昨日だったか、ZDFのHeuteではバイエルン州でミツバチの環境を保護するための法規制が決定されそう、というニュースが紹介されていました。
数年前、「ブランデンブルク州ばかり。どうしてバイエルン州産の蜂蜜の種類が少ないのでしょう?」とミュンヘンのBioスーパーで質問したことがありました。その時店員さんが「それは、ミュンヘンでは森がなくなっているし、畑もなくなっている。緑がどんどん減っているんですよ」と説明してくれました。そういえばあの時キーム湖畔で採れた蜂蜜を買ったけど、母にあげちゃったなあー。また次に行くことができたら買いたいなー。
東京では、自由が丘、日比谷、銀座・・・と街で養蜂プロジェクトが展開されているそうです。こういうことがNHK Worldで紹介されているかなあ?

編成が変わったことで、この4月から1時間国際ニュースを見る時間が多くなった、と思えばよいのでしょうが、なんとなく時間稼ぎのような構成になっている。たとえばBBCは5時台、6時台、7時台と紹介されている。ちょっと多すぎかなあ?
もう少し1か国ごとのニュースの時間が長いといいのになあ。結構切り落とされているニュースもあるし。

実はフランス語国際放送がCSのパックに入っていることに最近気が付いて、土日の5時台から6時台にかけては、フランス、ルクセンブルク、スイスのフランス語圏国家のニュースを見ています。字幕はつかないので、画面で内容を想像するほかありませんが、土日だからまだパジャマ時間帯でして、まるでパリのアパルトマンホテルでテレビを見ている気分。
そう考えると、NHKBSの国際ニュースの通訳付きって、本当にすばらしい!この時間帯に仕入れた「知識」は旅行の時にも様々な面で役立ちます。
世界の共通語は英語、かもしれませんが、各国語のニュースを通じて国民感情、諸事情を知っておくことは、予防としての軍縮であり、国民レベルでの相互理解の一端となる。だからこそ、時々、「それがニッポンのあるある話にされちゃ困るんだけど!」と思うことがあるのですが。
私たちはどうしても自分の都合のよい環境でモノを見るほうが楽になってしまうけれど、当事者の考え、言い分というものも考えながらでないとこれからの国際関係は刺々しいものとなってしまう。
だから、NHKBS1は国際報道を中心としたものにして欲しい。いまは、日本人選手が出るから、ということでカーリングだの野球だのゴルフだの、と国際報道をスッパリ切り捨ててそちらを放送しているけど、そんなコトやってる「パンとサーカス」的なことじゃ、75年ぐらい前と同じことになっちゃうと思うんだけどなあ。

by eastwind-335 | 2019-04-05 05:23 | テレビ | Trackback | Comments(0)

雪合戦がスポーツ?!

今朝のフランス2(日本語同時通訳版)によると、「日本では雪合戦はスポーツで、ルールがあります!大人もこのスポーツをおこなっています」と数分にわたる紹介がありました。

コートのサイズも決まっていて、ルールがあると。
浮世絵の雪合戦の絵を用いたり、「歴史家」という日本人男性が雪合戦としてスポーツになっていく過程(歴史と言い難い気がするので、私は「過程」とします)を説明していましたが、「え?それって、本当かなあ?これをみたフランス人が信じちゃ困るんじゃないのかなあ?」と突っ込みたくなるようなことが、早口の同時通訳によって紹介されます。

ナポレオンの人生を変えることになった雪合戦(子供の時に伝記で紹介されていた!)のほうが「スポーツ」だと思うんですけどねえー。

北海道でのスポーツとしての雪合戦大会が紹介されていましたが、うーん、うーん・・・。ヘルメットをして準備体操をして・・・と紹介がありましたけど、スポーツじゃなくて「イベント」じゃないの?と思わなくもなく。

もっとも「スポーツとしての雪合戦は30年前にできた。オリンピックの種目となるのに30年もかかるのはおかしいと彼らは必死になっています」と最後に日本特派員が若干あきれたような顔をしてまとめていましたが(爆)。

こういう放送が「プロトタイプ」を作り出すのかも・・・。
by eastwind-335 | 2019-03-09 08:53 | テレビ | Trackback | Comments(0)

普段着の女性アナ(女子アナではない)

この4月から、夜7時、9時のメインニュースは女子アナが担当するようになったNHK。
女性だから軽い、という気はさらっさらありませんが、「男が書いた原稿をにっこりしながら間違いなく読めたらいいのだ」という感じが強くなりました。
自分で舵をとって進行するって感じがしない。表には女子アナの名前が、そして後ろには男性キャスター(記者上がりの「原稿」も「空気」も読めない太鼓持ち)が。
公共放送の女子アナとはいえ、スポンサーがついているのでは?と勘繰りたくなるほど、髪型も服装もがんばってます。

「マダム・エ・ムッシュー、ぼんそわー」
って始まるフランス2の夜7時のニュースは、長い事、男性アナウンサーが担当をしていました。
平日は中年のおじさんの日と、え?え?俳優じゃないんですか?と言いたくなるようなハンサムなお兄さん、そして、目がクリっとした若いお兄ちゃん。
ググって見れば、それぞれに日本からも固定ファンがついているようですが、私の中では「カフェ フランス2」の店長、カウンター、ギャルソンって位置づけでした。それぐらい、ま、パリにいそー、って人たち(笑)。
フランス2には女性アナはいないのかしら?なんて思っていたけれど、最近、アナウンサーを一新したらしい。
(8月にパリにいた時はまだ「カフェ フランス2」状態でしたから、9月からかしら?)

そして中年おじさんにかわり、メインアナウンサーになったのが、女性アナウンサー。
私と同世代かな?
いつまでも無理にピチピチ(これすら死語な気がしますけど)している日本にいる40代女子アナを見慣れている私からすると新鮮!
この人が「がんばらない」タイプなのです。髪を後ろに一つにまとめているようなのですが、耳にかからない長さの後れ毛が出ている。日本だったら間違いなくジェルなどできっちりまとめさせられるんでしょうけれど、手櫛ですって感じがするんですよねー。

服も、なんだか、市場に買い物に行った帰りにスタジオに来ました、みたいな感じ。今日初めて袖を通しました、って感じの用意された服じゃなくて、もう5年近く着てるかな?みたいな。つまり、流行とは関係なく、かといってレトロな感じもなく。パリの女性は本当に服は10着しかないのかも、って思えます(笑)。

雰囲気もナチュラル。あまりにナチュラルで、おじさんがバカンスの間だけなのかな?と思っていたのだけど、毎朝NHKの衛星放送で顔を見かけるようになって、気が付けばもうすぐ1か月。

週末担当の女性もある意味スゴイ!

NHKの森田アナ、いまはどうしているんだろうなあ・・・。ああいう、良識のあることが誰にでもわかる女性アナウンサーがいなくなって、心理学的には中年の年齢になっても大卒1年目を維持しようとがんばっているような女子アナばっかりになっちゃいましたねー。



by eastwind-335 | 2017-09-27 06:41 | テレビ | Trackback | Comments(0)

私の文庫本第一号

最近、すっかり、地上波を観なくなってしまったこともあり、新聞のテレビ欄はザザーっと眺める程度。
先週の土曜日は出勤だったこともあり、新聞も斜め読み。

昨日は家人の家の墓参りに行くことになり、道中の電車の中で新聞を広げていてびっくり。番組解説欄に「悦ちゃん」という名前と、かんたんなあらすじが。

えー?獅子文六の『悦ちゃん』がドラマ化されたの?!
この数年、獅子文六の作品が文庫本化されていて、意外に思っていたのだけど。

実は、私が生まれて初めて所有した文庫本がこの『悦ちゃん』。この本との出会いは、小学校6年生までさかのぼります。欠席した同級生の家に教師から頼まれたプリントを届けに行った時、知ったのでした。お見舞いにいったはずなのに、そこのお宅に揃っていた「少年少女文学全集」に目が行ってしまい(おいおい)、その中で唯一しらないタイトルがこの『悦ちゃん』だったのでした。そこのお母さんが「○○は読まないから、どーぞ、東風ちゃん、読んで頂戴」と貸してくださり・・・。

母が「獅子文六なんて懐かしいわね」と、母が娘時代に流行っていた流行作家であったことや、朝ドラの原作になった本があるだの、作家の背景を教えてくれたのでした。6年生の時は、社会科は歴史を学ぶ時で、年表を作るのが1年間の課題だったので、さっそくこの悦ちゃんから「円本」だの「タクシー」だの「ラジオ」だの「疫痢」だの、と「戦争前の文化」にいろんな言葉を書き込んだのでした。
江戸っ子だから寿司とてんぷらが好き、といった表現から、私は東京の子じゃないけれど、寿司もてんぷらも好きなんだけどなー、と思ったり。

あー、この本からいろんなことを勉強しました!
銘仙だの、丸ビルだのと、わからないコトバは両親に尋ねまくったなー。今と違って丸ビルは古い古いビルになっていたころでした、
横浜より北上することはほとんどない頃だったので、「丸ビル」という言葉に惹かれるものがあり・・・。
私が丸ビルに出入りするようになったのは、大学4年生になってから。ドイツ語の本を扱う書店が丸ビルに入っていたので、覗きに行くようになりました。といっても、背表紙のドイツ語の意味すらわからず、眺めているだけでしたけれど。

私は小学校を卒業した数日後に海辺の街に引っ越しました。初等教育から中等教育へとただでさえスタートが大変なのに、誰一人知らない学校へ行くのですから、最初の数か月、馴染めないことが続きました。特に辛かったのが、「本を読む=真面目」と揶揄られることだったのでした。学校の図書室へ行けば司書さんが親切にしてくれる分、悪目立ちをしてしまい「東風さんはいい子ぶっている」と不良ぶっている人たちから後ろ指をさされたり。市の図書館は当時1館しかなくて(!)、家からそこへ行くにはバスに乗って行かねばならない。月に1000円の小遣いの子供がバス(いきなり大人料金になりますしね)代を出すわけにもいかず。駅前の本屋も非常に充実していなくて、だいたい制服姿の子が一人で入店すれば「なんですか!?」と店員が寄ってくる。

そんなある日、『悦ちゃん』が文庫本化されていることを知ったのでした。
でも、海辺の街の本屋にはない。

父がある週末、渋谷に出かけるというので、「渋谷の大盛堂書店で買ってきて!」とお願いしたのでした。
私が所有する文庫本第一号でした。(ちなみに第2号は星新一の『ボッコちゃん』
あまりにうれしくて、大盛堂の紙カバーもそのままで、まだ持っています。
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あのころ、とっても「大人ぶって」みたくって、母からつけペン式の万年筆を借りて、カバーにタイトルや買った日を書いたのでした。
文六の文の字、はらいが気に入らなかったのかしら。なんかゴチャゴチャに書き足していますね。いまはもうこういう字を書かなくなりましたが、中学の時は「周りから浮かないように」と字だけはこういう字にしておいたのだった。
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でも心底「丸文字」な性格じゃないから、苦心してたなあ、ってあの頃を思い出しました。

あんまりうれしくて買ってもらった日もちゃんと書いておきました。
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昭和55年って・・・1980年かあ。もうこういう数字の書き方もしないなあー。
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35年以上経ってますので、もう紙はすっかり茶けてしまっていますが、お嫁入り道具だし、引っ越しの時には大切に箱にしまいましたよ!
たぶん、棺桶にも入れてもらうことになるでしょう。甥っ子くんに頼んでおかねば(笑)。

HPを見たところ、えーっと、まあ、いまだったらそういうものなのかな?と思いつつも、ユースケ・サンタマリアは線が細すぎるし、いいトコの「呑気な弟気質」もどう演じるのかしら?

原作は、いまは、ちくま文庫に入っているのですね。私のは写真にあるように角川文庫。

先日、誰の文章だったかしら、中学生になったら背伸びをして文庫本を手に取るようになった。文庫本は大人の証だった、って書いてある新聞のインタビューを読み、うんうん、とうなづいてしまいました。単行本が文庫本になるまで待つのも楽しかったなあ。

中学校で本の話ができる友達はいなくて、毎月、先生に出さなくてはいけない読書カードには「これは小学生が読む児童文学全集に入ってるんだから、書けない」と自主規制をかけて。この本の話をしたのは、両親以外だと母方の叔母。叔母曰く「本は読んだことはないけれど、ドラマは見た」と。ミネラル麦茶のCMに出ていた女優さんが子役時代で悦ちゃんを演じていた、と。

私にとっては初めてのドラマ化だから、見てみたい気はするんですけどねー。でも、イメージがあるからなあー。

そして、ちょっと考えちゃう。この小説は昭和のはじめの東京を描いたもの。いわゆるモダニズム文学。この話には描かれなかった「執筆をしている時の」時代は・・・?こういう明るい小説を書かなくちゃやってられないって時代だったわけで・・・。なんだか、なんだか、ひっかかる。いま、なぜ、この小説を、時代背景を替えずにドラマ化するのかを。


by eastwind-335 | 2017-07-23 17:35 | テレビ | Trackback | Comments(4)

テキスト、高すぎ!

4月と10月はなんとなく「外国語をやりなおしたくなる時」。
NHKの各国語講座のテキストが店頭にキレイに並ぶからでしょうか?

ドイツ語講座もご無沙汰だったのですが、別所哲也が生徒役でしかもウィーンを舞台にしたスキットだという、目新しさ3乗みたいな感じだったので、とりあえず講座の録画は始めました。
とにかくスキットをシャドーイングできるぐらいにはなりたい、と思って半年がんばるつもりでした。
で、先日、書店に行ってテキストを買おうと思ってびっくり!
カラーページ増大だから、という理由らしいのですが、1か月のテキストが600円。

高すぎませんか?
確かに紙の質もよくなったし、ガイドブックか?ってぐらい写真もキレイ。
でも、テキストが600円ってなんだか阿漕な商売な感じがします。テキストの写真が白黒だって、テレビは今やカラーなのだから、なんかムダな感じがするのは、昭和なオンナの考え方でしょうか?料理番組のテキストだったらいざ知らず・・・。
週に一度しか放送はないし(私が大学生の頃は週2回で2回目は上級者向けのスキットだった)、シャドーイングのためだったら画面にも字幕は出る。インタビューなどは全文ドイツ語があるといいのでしょうけれど、逆にインタビューを全部聞き取るだけのドイツ語力はないから、録画だけして、スキットを繰り返してみることにしました。

むしろ、ラジオ講座のテキストのほうが今の私にはぴったり。木・金の応用編。10月から12月までの3か月限定のテーマのようですが、ドイツゴ発見の旅、と銘打って、作文のコツを教えてもらえるらしい。放送は聞き逃してしまってるのですが(汗)、CDもあるし、なんといっても「知りたかった」ことがテキストにたくさん出ているので。ま、このテキストだって500円近いんですけれどね。

韓国語の方が、テレビに連動して実際に作文や文法を身に着けるための練習帳が毎月出ていて、両方やったらバッチリって感じなんですよねえ。
別にドイツ語講座にアイドルは不要だと思いますけれど、ドイツ語のすそ野を広げたいのだったら、文化交流に小難しいオペラや戦争責任を問う映画ばかりでなく、もっと軽い感じの、20代の人が見に行こうかな、と思えるような気楽な映画も取り入れないとだめなんじゃないかな?って常々思っています。ドイツにだって堅くない映画やクスって笑える小説だっていろいろあるのに。
アルプスの村の医者物語とか、ミュンヘンの神父ミステリーとか、あるのになー、あるのになー。
もっとドイツ語圏大使館も自国の若い人(20代か30代)にも人気のあるドラマや映画をプッシュしてみたらいいのになあ。

ドイツ映画祭が今日から始まっています。見たい作品が来ているので、家の都合や許せば、明日か明後日行く予定です!

by eastwind-335 | 2016-10-15 19:51 | テレビ | Trackback | Comments(0)

イギリスで中国式教育

今朝のBBC Worldでイギリスの中学校で中国式教育を4週間取り入れるというドキュメンタリーを放送していました。

これがとっても面白い!
中国人の先生(中国の中等教育で「実績」がある)と生徒たちの様子を隠さず描いています。

中国式授業を4週間取り入れ、その間の4週間をイギリス式の教育と比較するというもの。
生徒たちは数日で中国式の「詰め込み」教育に抵抗をはじめます。

私は中学校こそ「詰め込み」であったのですが、以後は「ゆるーい」学校生活だったので、中国式(「ひたすら写してひたすら先生の話をまとめていく」)という方法は厳しいなあと思うけれど。でも、私ですら中学3年間でみっちりそれは身についているし(笑)。大学受験のために塾とか予備校に行ってた人にはおなじみだろうと思うのです。
学習方法は「わたしもそうだった」だけど、中国式というのは、試験、成績、資格=人生にとらわれ「すぎて」しまうこと。
今の日本の高校生も、高校を終えるまでに英検2級は当たり前、って受けさせられているそうですね。大学生のTOEICスコアーに対する執着もそう。

イギリス人の管理者は教室では「規律」が求められる、それは教える先生の文化が違っても一緒であり、異文化を尊重するにように、と強く述べます。
中国人教員たちも「規律」とか「権威」が大切だと思っているのだけれど、彼らの考える「規律」や「権威」は良くも悪くも家庭教育がはぐくんできたもの。そして、国家が集約してきたもの。中国人教師たちは「こんなに恥ずかしいことはない」と自分たちのやり方が失敗したとは思っている。それでも自分たちのやっていることは間違いない、知識習得を重視する中国式の教育はすばらしいと頑ななほどやり方を変えません。

このあたりが「中国」なんだよなあ、と見ていて思った私。

英文法の中国人教師が「国際試験での文法の成績は中国のほうがイギリスよりもずっとよい」と自慢げに独白するシーンがあるのですが、無意識に彼女がつかう文法略語が英語では排泄物を意味する言葉であるために、生徒の一人があきれたようにその本来の意味を小声で口にするシーンがありました。

教師の側もそんなことを気にする余裕がない、ということかもしれません。まあ、略語って危険だよね。日本でもある工科大学がMITのように略称で海外に打って出ようとしたら「おーい、NGワードだから、それ!」ってことになって、学内のTシャツ販売(これもまたアメリカの大学購買部の真似)をストップしなくちゃ、となったと聞いたことがあります。

実は中学校の管理職は「中国式で教室運営がこんなにうまくいかなくなるなんて」と驚き、授業の前または授業中に「視察」にやってくるようになります。イギリスだって校長が乗り出して来たら学校が生徒に「罰を与える」とイコールだから、生徒たちも緊張する。
彼らが一番怖いのは、自分の属しているコミュニティーから外されてしまうこと。校長と生徒の間でのやりとりの間はずっと生徒たちは黙っていた。
ところがその重石が教室を出てしまうと、とたんに先生や授業に集中しない。中国人教師にはその資格はないとわかっているからでしょう(少なくとも4週間のプロジェクトなわけですし)。
中国人教師は「規律」や「服従」が「教師である私」に向けられるべき、と考えているんだなあと非常に強く思います。しかし、イギリスでは(少なくとも、あの中学校では)、組織のなかのトップに、よね。
そして恥という感覚もアジア(日本と中国とであっても違うと思うけれど)とヨーロッパでは違う。

このクラスは決して成績が悪いわけでなく、むしろ勉強熱心な子たちが多い。だからこの方法に取り組んだらしいのだけれど、最初の数日で、がまんできなくなった男子は家から電気式ポットを持ち込み、紅茶をマグカップに入れて教室に持ち込む。床に置いたカップを倒してしまい先生がカンカンになるシーンがあるのだけれど、以後もポットを持ち込み紅茶を片手に授業を受ける。
私は「へえ、イギリスでも教室には飲み物を持ち込んではいけないんだ」というところが興味深くもあり。そして、男子であってもやっぱり「カップ・オブ・ティー」なのね~と。
ついに中国人教師が親を呼び出してポットを持って帰ってもらうということに。ナレーションでは中国では親が呼び出されることは恥ずかしいことだ、と説明をしていますが、ファーをあしらった上着をきたおしゃれなママ、「息子からは人権問題だ、って聞いていますけれど、安全上問題よ、と言ってありますから。持って帰りますね」とサラっといっておしまい。

そして、中国人教師は、親に対して何も言えず(いわゆるアジアンスマイルで終始した)、終わる。センセー、ちょっと、親にもっと言いたいことがあったんじゃなかったの?と一人突っ込む私。だから生徒たちがナメるんじゃないの?とも。

今回は保護者会の風景で終わりました。中国では科目担当者が保護者を前に自分の授業方法や信念を伝える場所なのですね。子ナシ夫婦の私たち、一度も保護者会に出たことがないので、今の様子はわかりませんが、日本はどんな感じなのかしら?と。とにもかくにも、なんというか、次々と自分たちの信念を語る教員のスピーチを聞く保護者達、「スピーチの内容に感動した」と言って、先生たちは親の「信頼」を得たと思うわけですが・・・。
これって、なんだか、明治時代のアジア人と欧米人との関係みたいだわあ、と。

来週の放送では、最後の1週間を描くようです。
最初から見ておけばよかった!最初の数分でこのプロジェクトの説明があったと思うのだけど・・・。
早くこの番組を知って、録画してみておけばよかったな、と思うほど面白い番組でした。NHK-BSのドキュメンタリーでいつか放送されるかも、と期待します。BBC Worldは日本語字幕付きでした。中国人教師の英語、イギリス人生徒、教師、保護者の英語から感じ取られる感情もこのドキュメンタリーには大切な要素だから本当は字幕がいいんですけれどねえ。吹き替えだと、中学生の声なんてナントカ48が発するようなアニメ声になりそうだし!
by eastwind-335 | 2016-06-19 07:54 | テレビ | Trackback | Comments(0)

ドキュメンタリーを支えるドキュメント

今週、残業ばかりでヘトヘトだったので、昨日夜のEM関連番組は録画してあります。開幕戦も。
結果を知るつもりではありませんでしたが、CMだけはカットしておこう、と終わりの部分まで一気に飛ばしたところ、フランス代表監督がガッツポーズをしていたので、結果だけはわかりました。

それを見る前に、早く見てBDディスクに焼いておこうと思うドキュメンタリーがあり、家事を終えてからせっせと3本の作品を見ました。
今週の公共エイセイ放送の「ヒトラー」シリーズ。
いま、遅ればせながら(というか文庫本かされたので)『帰ってきたヒトラー』を帰りの通勤電車の中で開いてます(座ったと同時に寝てることが多いので、読み進めているとは言い難いのですが・・・)。タイミングが合ったドキュメンタリーです。私は第一話から第三話までを録画しました。
第一夜は『我が闘争』の著作権が切れる事態にあたってのバイエルン州と現代史研究所とドイツ政府とそして生き残ったユダヤ人たちの思いと思惑と事態収拾。
研究所の人たちの、つまり歴史家たちの、誇り、憤り、疲弊、そして研究が政治に翻弄されることへの思い、そして、「あの時代」への怒りと警戒がドキュメンタリーの軸になって、そこへ、ユダヤ人の二通りの考え方が紹介される、という枠組みのドキュメンタリーです。
この一件については、バイエルン州の方向転換(出版せず、いかなる版も訴追調査対象とする)が出た時に、国際ニュースでは短い時間ながらも特集を組んだので、印象に残っています。
(地上波ではあまりきちんと取り上げられていなかったようですけどね)
なので、研究所側の発言、そしてユダヤ人協会の意見は既知のことでした。しかし、改まってみると、州の二転三転はいろいろな人を疲弊させたんだな、ということがわかり、それだけでも興味深い内容になっていましたが、このドキュメンタリーはもう一つの視点を視聴者に提供していました。
それが隣国「フランス」での出版。
ヒトラーはフランス向けにはフランスを敵対視する部分(本文の30から40パーセント)を削除した簡略版の翻訳のみを許したのだそうです。そのなかで、不法行為の形で完全版を出し、警告を発した出版業者がいたと。そして、もちろん、この時代を専攻している歴史学徒には知られていると思いますが、一人の出版業者の勇気と判断は私たちもまた知っておくことではないでしょうか。
また、フランスのホロコースト博物館の弁護士は、注釈付きの版の出版の意義を理路整然と説明しました。ただ良くない、ではなく、なぜ良くないのかを知っておくことが大切なのだ、と。

一方で、ひたすらにつらい思い出を彷彿させるようなものは、一つたりとも目にしたくないという気持ちでいる人(ホロコーストの生存者)たちがいる。
エモーションを尊重した、というのがバイエルン州知事だった、と。

しかし、インターネットによって誰でもなんにでもアクセスできる現代において、出版をしないということはない。むしろ、学術的批判的注釈をもって、いま再び、あの本の意味することを問うことこそが、過ちを繰り返さないための第一歩である、ということで、今年1月に現代史研究所は出版をおこなったそうです。この版が早く日本語でも読めますように、と願います。

現代でも、日本では多くの政治家があまり偉くなりすぎる前に本を出しています。ライトな本(いろんな意味で)すぎて私は手に取ったことがないのですが、(批判的視点をもって)一見しておく必要があるのではないか、と思います。
ホントは私はそんなの書店に積んである時から目がつぶれるような気がするから、見えないところにおいてほしいわ、と思うのだけれど、見ないふりが一番いけないのだ。見ないふりは容認と一緒だ、と思うこの頃です。

第3夜の「ヒトラー最後の日々」も見ごたえがありました。ニュルンベルク裁判のために、ヒトラーたちのいた(そして自殺した)地下壕にいた人たちが証言を行ったフィルムに焦点をあてたドキュメンタリー。一部再現シーンもあるのだけれど、その前夜のものよりも見ごたえがあった。
私はそういう証言フィルムがあったのも知らなかった(長らく、アメリカの大学に保管されていたことすら知られていなかったらしい)。そしてこのドキュメンタリーで扱われた4人はたいていのところを英語でインタビューに答えている。そんなに当時のドイツ人って英語ができたのかしら?と思っていたら、撮影前に英語に直してもらった証言を練習していた人もいたそうで。

個人的には、この証言フィルムについてのドキュメンタリー(撮影秘話)を知りたいなあと思いました。最近アメリカで発見されたそうだから、待っていればまた出会えるのかしら?

良質のドキュメンタリーにはそれを支える記録があるのだ、としみじみ考える2本の番組でした。録画しておいてよかったー。
by eastwind-335 | 2016-06-11 15:09 | テレビ | Trackback | Comments(0)

女性しかいないのか

昨晩は久しぶりに地上波の番組を見ました。

たまたまNHKをつけたら、NHKスペシャルが「難民大移動 危機と闘う日本人」というタイトルで国連難民高等弁務官事務所に働く「日本人」を取りあげるというので。
ベトナムやカンボジア難民の受け入れ以来、日本では難民受け入れ数は本当に限られた人数であることは、私が子供時代から感じていたことの一つだった。学生時代にベトナム難民のために日本語の教師をしていたことがある人の話を聞いたことがあったけれど、日本は「駐在で来た外国人」には住みやすいけれど、「生きるために来た外国人」には暮らしにくいという話があったことを思い出します。

いまも、シリア難民を直接受け入れるというよりは、シュショーはお出かけの度に、周辺国に設置されている難民キャンプへの金銭的支援を強調している。一部地域に対しては、お金を出しても感謝されない、人や船を出したいとか言って、「見える化」に必死になっているシュショーではありますが、そこに日本人のコロニーがなければお金で済ませたいと思っているのがよーくわかる(笑)。

まあ、朝5時台に公共エイセイ放送で放映される欧米各国のいわゆる「夜7時のニュース」を見ていると、どこも似たような話が聞こえてくる。日本のメディアでは取り上げられなかったけれどオーストラリアの首相が早々と「シリアのキリスト教徒」の難民は受け入れる、などと表明していたときがあり、びっくりしました。その後どうなったんだろう?

家人は「日本はお金ばかりで」ってオチになるんじゃ?と番組が始まる前に言ってましたが、私は「いやいや、免許取り上げが怖いから、日本人だって国連を通じて難民のことをやってまーすってPR番組にしてるんじゃ?」と予想。

で、結果。国連を通じて難民のことに携わっている「日本人「女性」」たちがいることを紹介する番組でありました。あとでモルゲンターク新聞のテレビ欄を見たら、番組冒頭のタイトルと違っていて「今世紀最悪の難民危機 奔走する日本人女性!」ってなってました。
新聞だけだったらNGOに勤務する女性って思ったかも。っていうのと「女性だけ?」って見なかったかも。

私は一億総活躍だとか、女性の活用という言葉に「胡散臭い」って思ってるんです。
私が女子学生だった頃、つまり男女雇用機会均等法から5年ほどたって「よくできる女子学生=総合職=一生独身でやってもらいたい」「それ以外=事務職=すぐ結婚してやめてもらう」という図式が出来上がったころも、「デキる女性たち」をやたらと取り上げていたことがある。あの時と同じ匂い。

UNCHR本部で今後のことを決定するレベルで活動する日本人女性、ヨーロッパの入り口であるギリシャの海岸沖に到達する難民たちとファーストコンタクトに勤める日本人女性、そして、シリア周辺国に設置された難民キャンプに勤務する日本人女性たち。

どの人も立派な志と、現実的な解決策を考えようとしていた。特に、家人と二人でこういう人もいるのだね、という話になったのは、難民キャンプに暮らせず町へ戻る人たちへの家庭訪問を行っていることや、第三国移住の手続きにかかわっている人たちの活動を見たときのこと。
私は、難民キャンプで一生を終えたいと思う人はいないと思います。けれど、キャンプは保護地域であり、そこを出たらもう「個人」の責任で生きるんだろうと思ってもいました。ところが、この番組によってUNCHRにはそこを支える任務もあるんだな、ということがわかりました。

彼らが訪問した家庭では、シリアにいたころと同じように小鳥を飼っていました。そういうことがむつかしいのがキャンプでの生活であり、家人とふたり「キャンプにいる人たちよりは経済的にまだマシだってことはよくわかるよね」と。ただし、キャンプ外で暮らす場合、労働は制限(禁止)されていて、2か月に一度、そのような人たちに金銭的援助(生活費支給)をUNRCHではしているそうです。二重取りしないようにって、目の写真を撮っているのにはびっくり。

第三国移住の審査に通り、二日後にカナダへ行く家族の紹介もあった。
そういう移民審査に通る人たちは、正直言って生き続けていけるのか、という不安のなかで生きているのではなく、現状のままではだめだという考えの中で生きていける人たちなんだ、と思う。

キャンプの絶望的な生活の中で、夢を持たせ続けるのはむつかしいだろうと思うけれど、ある日本人女性職員は「天文学者になる夢をなくしてはいけない」と少女を励ましているシーンがあった。
こういう「不安」しかない人たちと接して仕事をするって大変だと思う。口先だけではできない。でも、寄り添うなんて甘い言葉では続かない。不安を持つ人以上に不安を理解している国連職員の人たちの精神的な疲弊を考えると、頭が下がる思いです。

多くの若い人にこの番組を見て、難民というものは一言では片づけられない多層的な構造にあることをわかってもらいたいし、国連に勤めるということの意義を覚えてもらいたいと思うのだけれど。

ただ、一つ気になってしまうのは・・・。
その「難民の抱える危機と闘う日本人」のは女性しかいないのか?ってこと。
たまたまUNCHRのシリア難民セクションは日本人女性しかいない、ってことなんだろうと思いたいのだけれど。
一方で「なんで女性だけなの?」って思いも否めず。もし、ここの日本人が女性だけだとしたら、UNCHRが「UNCHRの日本人女性」に求められていることが何なのか、を突っ込んで考えるとかね。国籍・性別の差はないというし、そうだろうと思うけれど、でも、それでも「日本人」に求めることがある気がします。

という点においては、突っ込みが足りなかった気がする。
国連における日本人職員の男女比と部署の関係とかわかっていないのですが、もしわかってみていたらまた違った視点で見ていたかも。いずれにしてもこの機関のトップが「日本人女性」だったことも考え合わせると、ここで「日本人女性」を強調すべきなのかな?って。
(こんなところに日本人女性が!的な番組を見ていても思うんですけれどね~。日本人男性と外国人女性<特に西洋人>の組み合わせってあんまり紹介されませんよね~)

繰り返しになるけれど、現地キャンプや現地の町のシリア人にかかわる「日本人」職員の活動はこの番組を見なかったら知ることはなかったから、この放送に気付いてよかったと思っているのだけれど。国際的エリートだけでなく、NGOレベルで現地とつながっている人を取り上げる番組も対の形で作られることを願ってます。
まあ、そうなるとある種の政府批判が醸し出されるでしょうから、今のカイチョーや大臣の元では無理かな?
by eastwind-335 | 2016-02-29 07:31 | テレビ | Trackback | Comments(0)

平成の「ちびまる子ちゃん」?

「ちびまる子」ちゃんはまさに「私と(ほぼ)同世代」。
ということで、このアニメが始まった時、「わかる、わかるぅ。私もそうだった!」と、自分の子供時代を思い出してました!
実は、学生時代、父が入院していたときには、私はこれで気分が救われたってことも。あの頃、付添代わりに私が寝泊りをしたのです。相部屋はそれぞれベッドのそばに小さなテレビがついていて、普段は父が見ていたのですが、その日はなぜか私にチャンネル権があった。
「ちびまる子」では8月末の回だったので、お約束(!)の「宿題がおわらないまる子」と翻弄される家族の一日を描いてました。うちの両親は教育不熱心だったので、小学校1年生の時から子どもの宿題は「自己責任」。でも、2年生の時だったか、母が祖父母の看病で帰郷した時に、父が「ママには内緒だよ」と言って私の工作を手伝ってくれたのでした。画用紙で家を作るという課題。電灯のカバーとかをササッと作ってくれて。ただし、「月曜日には、先生に「お父さんに手伝ってもらいました」と言う」のが約束でした。もちろん、私は正直に言いましたよ!あまりのブキッチョっぷりに、誰がみたって、私が作ったんじゃないってすぐにわかりますもの。

快方に向かっている時ではありましたが、「ああ、パパにはそうやってコソっと手伝ってもらったことだってあったなあ」なんてしんみり思ってるうちに、笑いながら涙してしまったり。あんまりおかしくて泣いた、と父には誤魔化しましたが、あの回は忘れられません。

最近、まる子ちゃんはすっかりご無沙汰です。いや、地上波そのものにご無沙汰。
ところがです。
今朝、夫婦して、遅起き。家人が「台風どうなってるかな?」ととりあえずNHKにチャンネルを合わせると・・・。

アニメかぁ~。

しかし、夫婦して、つぎの瞬間、そこから目が離せなくなって。
口ぐちに「あった、あった!」「わっかるぅ~」と。
だめ、だめ、うちの夫婦のツボにピタっと!それが、これ!
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出てくる男の子たちの恰好には、イマドキこんな丈の半ズボンないでしょっ?って感じの子がいて(それが主人公である「ともお」)、顎がとがって鼻がスッとしていて目が鼻の下ぐらいまでありそうな昨今のアニメと違って、「顔もスタイルもちょっと昭和っぽい感じだよね~」と言いながら見はじめました。でも、小物(移動弁当屋、自販機など)に「あ、これは平成だわ」と意見が一致。

特に、私は前夜見た韓国ドラマの内容(後述)とリンクしてしまって、「ともお」に人一倍笑ってしまったのでした。

なんでもない、でも、クスっとしちゃう台本。登場人物も悪人がいなくて、憎めなくて。登場人物の小学生たちだけでなく、その親や近隣住民のこともちゃーんと描いてて、特に夫は(私よりも6つも年上ゆえ)なんか感じるものもあるようで・・・。
ドラマでいえば「あばれはっちゃく」シリーズってところですかね(←昭和の子しか知らないドラマよね・・・)。舞台になっている団地ってどこかしら?。30基も団地があるなんて・・。

来週の予告がNHKのHPに出てます。
あ~!来週も見ちゃいそう(笑)。この時間帯、KBSで「本当によい時代」を習字の練習しながらチラ見してたはずなのに(笑)。
今朝は途中から見ましたけれど、来週はオープニングから見なくちゃ!


DVDも出てるそうですよ!

ちょっと尾籠な話ですが、昨日、Mnetで見た韓国ドラマ「応答せよ1994」(←まさに、私が初めてソウルに行った年!なので、時間が合えば見ちゃいます)のメインテーマが「腹痛」。つまりトイレ問題。今日初めて見た「ともお」もトイレ問題でして、プププっと。
「応答せよ」は群像劇なのですが(だから好き)、その一人、延世大学医学部生であるスレギを演じるチョンウという役者さん(「がんばれ、イ・スンシン」でも怪演)にこの頃関心を持ってます。
久しぶりに俳優さんに注目したかも。イ・ソンギュン以来かも。ってことで、スターじゃなくてアクターな顔ですよ!
by eastwind-335 | 2014-10-11 13:01 | テレビ | Trackback | Comments(0)

東風のささやかな毎日のささやかな記録


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