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「本」の定義

帰宅時、電車のドア上部に設置されているモニターをボーっと見ていたら、4月23日の「本の日(サン・ジョルディの日)」の紹介が流れました。
最後に「さて、ユネスコでは本は何ページからと定めているでしょう」というクイズが出た。

うーん、何ページなのかなあ?
20ページぐらいかなあ?と「絵本」や児童書を頭に置きながら思ったのですが・・・。

答えは表紙を含まないで49ページ以上の冊子をさすんですって。
それ以下の冊子は「小冊子」というのだそうですよ!

GWは休日出勤が2日もある!前半は休日出勤が2日もあって(とほ。仕方ない。そういうお仕事なので)、後半の連休で海辺の街に帰省し、両親の「断捨離」の手伝いをする予定です。
祖父に比べればずっと「上等」だと思うけれども、父はこの数年の間に「昔だったら億劫じゃなかったんだけどなあ」ということが増えたそうで、結局そこをフォローするのが母。父に加えて母も「持病」ができちゃったから、二人とも「もっといろいろできたんだけどなあ」と思うことが増えている様子。

私からすると「70代後半にしては平均はできているんじゃ?」と思うのですけれどねえ。まあ、私みたいな「凡庸」「上昇志向なし」なのが言っても説得力なし、なわけで・・・。
とはいえ、うちの両親は凡庸の親だから「ねばならない」は少ないし、代替というものをうまくみつけて、いまをささやかに楽しんでいるように見えるので、ホッとしています。

いまでも「できないこと」が多すぎる私なのに、70代になったら「もっとできなくなる」のかあ、と私が元気だったら突入するであろう生活を垣間見るのは勉強になる

思えば、母は50歳になったころ「字が下手になった」と嘆いていたことがある。
母は別に書道をならっていたわけではないのだけれどムスメの私がみても「バランスがよい」。気取りのない字だけど、おさまりがよいというか。更年期が始まっていたのはわかっていたので「ママ、思いこみすぎなんじゃ?」と応じていたのだけれど、いま、自分が母の年齢になった時に思う。

老眼で書くのが面倒になったんだろうなあ、と。このごろ、漢字や仮名を横へ書き連ねていくのは、なんだか手首や指先に「ムダ」が生じているような気がする(爆)。老眼を自覚してみると、私は気分が字に出やすいと自省していたのですが、落ち着いた気分の時にも思った通りの形の字を書くのに、ちょっとした意識が必要となった!
そんな時も母を思い出す。母が私が何かメモをとっている時に、「自分は横書きがヘタなの。あなた、上手ねえ」とチラと言ったこともあった。でも、私も横書きは苦手で、加えて言えば、実をいうと横書きに書いてある日本語を読むのもあんまり得意ではない。どうにも横書きというのは「解く」ためのものってイメージがある。

学校教育の置き土産なのでは?と思う。つまり、算数、理科、英語の「教科書」で横書きになじんだから。
苦手意識の強かった科目を思い出すのかなあ。

だから、小説を横書きにされちゃったら、たぶん私は楽しめない。
なにか「分析」しなくちゃ、とか「解かなくちゃ」と思ってしまうから。
もっといえば「正解」があるはずなのに、見つけられない私ってダメだなあーって思うというか・・・。
「合っている」「間違っている」と2極化されちゃいそうっていうか(笑)。
ところが、縦書きだと、どんなにむつかしい内容でも、なぜか「楽しんでいる」。私はこう思うんだけど・・・って姿は見えない著者に対して、心の中で頭の中で語り掛けている自分がいる。
言葉が遅かったにもかかわらず、2歳児のころから字が読めなくても新聞をわかった顔をしてめくっていた(らしい)私。幼稚園以来、本をよく読んでいたほうだと思いますが、あのころ、横書きといえば「絵本」ぐらいで、横書きの絵本は、私は文章よりも「絵」を楽しんでいたのかも。幼い私の記憶に「内容」までも残った「絵」と「字」があわさった本の多くは「縦書き」だったなあ。

さてさて、今度のGW明けにはパディントン展に行こうと前売り券を買ってきた。
家人と一緒に、と思って2枚買っておいた。1枚は図録付き前売り券。図録には、松岡享子さんによる、ボンドさんの未訳パディントン話が2話ほど収められているんだそうです。
昨年末からこの3月にかけて3冊の新しいパディントンの翻訳がWAVE出版から出た。ながらくパディントンの未訳本があるのは聞いていたのですが、福音館が一向にそのことに触れないのはなぜかなあ、とも思っていた。福音館書店という「こどもの本」の文化を作り上げてきた出版社ができない、となると、どこかの出版社に権利を買い取られちゃったかなあ~と。
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新しい翻訳者による新しい体裁の本3冊は買っただけになっている。1冊目を買った時に「え?表紙が赤?」と驚き、2冊目3冊目をまとめて買った日には「フランスじゃあるまいし3色旗の色だなんて」と思ったのですけれど、本棚の「イギリスの棚」に並べてみて気が付いた。ははーん、ユニオンジャックの色か!と。
ちらとページを開けたときに目にした文体は松岡さんのそれを彷彿させるものだった。ちょっとホッとした。しかし、となればなるほど、なんで松岡さんと田中琢治さんの訳じゃないのかなあ。なんで福音館から出なかったのかなあ、と大人の事情をいろいろと勘繰りたくなる。田中さんはカナダの大学の先生である、と以前福音館のサイトで読んだことがある。となると、本業がお忙しいのか。共訳っていうのは案外大変なものだと体験者から聞いたことがある。いろいろな事情があるのでしょう。

なにはともあれ、日本にパディントンを紹介してくれた福音館が主催の「パディントン展」で、ポンドさんの最後の2冊、つまりボンドさんの遺作を翻訳するのが松岡さんでよかった。
いつか、この2冊が「本」になって福音館書店から出版されますように。

GWは思ったほど休めないとはっきりしたけれど、パディントン展に行く前にWAVE出版から出た件の3冊を読まねば!うち2冊は21世紀になってから書かれたものだから、映画の「パディントン」に通じるものがあるみたいだし。あ、映画「パディントン2」も見に行けなかったから、これもブルーレイがでたら購入しなくちゃ。見ると、特典付きやらエディション違いやらあるらしい。どれがいいかなあ。

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by eastwind-335 | 2018-04-18 06:18 | Books | Trackback | Comments(0)

出版社がかわるパディントン

私は翻訳シリーズ物が好きで、一度面白かった場合は、買いそろえるようにしています。
ということで、我が家には同じ作者の本がずらずらあります。

もうすぐ、日本でも「パディントン」の映画第2弾が公開され、そこに、イギリス人らしい「笑い」を醸し出すヒュー・グラントが出る、と知り、どんなつくりになるのかなあ、と今から楽しみになっています。しかし、たぶん、映画館で見るのではなく、またもやBDになって買うのではなかろうか、と。

大人になってから、改めて『パディントン』シリーズを、まさに「大人買い」したのですが、松岡享子さんの翻訳が、そのうち、カナダに暮らす田中治さんという学者さんとの共訳になっていることに気づき、数年。
マイケル・ボンドさんの逝去の折にも、未訳のものがあるのは知っていましたが、出るとしたら福音館書店から出るのだと思っていました。

とーこーろーが!!!
WAVE出版から出るというじゃないですか!
正しくは「出た」か。

大人の事情があるのかもしれませんね。ボンドによるパディントンの小説の未訳本は、実は残り3冊だったから、本当は同じ出版社から出してほしかったけど。児童書っていうのは、信念にのっとった翻訳となるはずだから、ここで「訳の感じが変わる」となるのは・・・という思いがあるのです。ええ。

誰の日本語だからイヤだ、ではないのだけど、特定の人による「翻訳の日本語」によってその世界を作ってきたので、急に違う世界に連れていかれると、そこはパラレルワールドなんじゃないか、って思ってしまうわけです。私は。そんなことを文句つけるのであれば、児童書ぐらい原著を読め、と突っ込まれそうですけれど。

本屋で新しい訳者による、他出版社からの発売と知り、衝撃を受けたのですが、あえて、本屋では実物を見ないことにしました。
ポイントがたまっているので、今回は取り寄せをすることにしました。普段は、本は本屋で、なのですが、ためらっちゃいそうだから。

まあ、翻訳が途絶えるよりはずっといいんですけれどねー。ええ。
東京創元社のように、ボンドの「パンプルムース」シリーズを尻切れトンボで止めちゃうとか、早川書房のように、あと数冊のウェストレイクなり、アーロン・エルキンズの作品を長らく放置しているとか、翻訳じゃないけれど秋田書店のように「エロイカより愛をこめて」の文庫本化を止めちゃうとかねえー。

ハヤカワはカイガイノイヤラシイレンアイ小説から手を引けー!!!!と本当に思います。いや、カイガイノイヤラシイレンアイ小説だって「翻訳小説」の範疇でしょうけれど(ガイジンが作家だし)、でも、ハヤカワで出さなきゃならないのか?ってことなのです。意外性で売らざるを得ないってことにしても、することをきちんとしながら、でしょうが!!!(怒)。

閑話休題。

新訳を出す翻訳の方もご苦労があると思います。出版社が変わる時に今風の言葉遣いになってないといいなーと思いますが、それじゃ、コドモに受けないでしょうね。礼儀正しいクマ、の日本語より、ブラウン一家の言葉遣いが気になるのです・・・。その辺の家じゃないですよー、ちゃんとしたお宅のクマですからねー。
そして、出版社が変わってしまったこと!そのあたりの事情が新訳本のどこかに書いてあるのかしら?届いたら、最初にワタクシはあとがきから読んでしまいそう(笑)。

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by eastwind-335 | 2018-02-01 07:03 | Books | Trackback | Comments(0)

長い冬

毎年降雪の時期がある東京ですが、今年は、降雪後が非常に寒い毎日となっています。
夏の長雨、秋の天候のせいもあり、お正月が過ぎても「葉物」やダイコンなど季節の野菜がいっこうに安くならないねえ、と言っていたところの降雪。もうこの春まで野菜の値段はこれぐらいかな、と腹をくくって、毎晩献立を考えています。

年明け、私の周りでもアメリカからの帰国が、大降雪のために遅れてしまった人たちがいます。
ほんの数日の差で「楽勝」で帰宅できた人もいれば、「帰りたくても帰れない」と連絡をしてきた人も。もともと、アメリカはホワイトクリスマスになっていたそうで、留学先から連絡をしてくれた知人のお嬢さんは「ホストファミリーに、案外ホワイトクリスマスにならないのよ、と聞いてます」とのこと。
年明け早々のアメリカの豪雪、寒波のニュースを見たときに、ふと、『長い冬』を思い出しました。
ローラ・インガルス・ワイルダーの「小さな家」シリーズの1冊です。
私にとっては、小学校3年生の時のクリスマスプレゼントの1冊で、実家の押し入れにまだ入っているはずです。12月のある土曜日、新聞を広げると、岩波書店のクリスマスプレゼント向けの本の広告が目に付いたのです。あの頃、8時を過ぎて起きていても良いのは、「ローラのドラマ」を見るときだけ。福音館書店の本は1冊が高く、子供心に、親にセットを買ってください、とは言えなかったのだけど、岩波少年文庫だとセットでも安い、という計算を即座にした覚えがあります。
あの頃、土日に家に父がいるときは「寝貯め」する日だったので、静かにしておくべきだったのですが、がまんできず、まだ布団にいる両親に「ほしい」と新聞を見せてお願いしたのでした。
ところが両親はまず、親より先に新聞を見た、と私を叱り、本についても父が「小学3年生が中学生の本は読めないからダメ」といいました。あの頃、両親は社宅からの脱出を図っていたときで、海辺の街に土地を買う話を進めて家計を締めていたころ。だからあの頃はやっていた目を閉じる人形だの、モンチッチだのと社宅の子が持っていたものは「東風ちゃん、リカちゃんだってすぐに飽きたでしょ?」の一言であっさり却下。でも本は「おもちゃじゃない」んだから買ってもらえると思ったのに、「中学生になったら買う」と言われてしまったのです!

とはいえ、人形と同様、ふだんだったら、「そう、わかった」といったと思います。でも、どうしてもこの本(複数)はいま私のものにしたかった。そこで、「弟くんには、新しい本をいつも買ってあげるのに。私には図書館で借りなさいっていう。どうして私が本が欲しいと言ったらだめなの?」と泣いてしまったのでした。

父はそれほど読書好きではないので、「中学生の本はわからないはずだ」の一点張りで、最後には「どうして普通の子のようなもので我慢できないのか」と言いましたし、母は「そんな頼み方、ありますか!」と私の口答えを叱り・・・。弟は「またお姉ちゃん、おこられてる」というので、また私が号泣し・・・。

結果としては、あとから母が父に口添えをしてくれたようで、その年のクリスマスプレゼントとしてセットを買ってくれました。まだ10歳になったぐらいの子には難しかったかもしれませんが、私にはそうでもありませんでした。なんでも器用によくできる兄弟がいる、思ったことを口にしては気まずい思いをするローラはまるで自分のようでした。「とうさん」じゃなく「父ちゃん」という翻訳に戸惑いがありましたが、ドラマで見るローラの家の話とは違うことが次々と描かれていました。自然災害や病によって家族に事件が起きる。それをどうやって乗り切るのか。私にできることは何か。私が今なお就業を続けているのは、実をいうと、この時の読書がきっかけだったのでした。私は小学生の時に将来何なりたいか、という具体的な夢はなかったのですが、私にはアルマンゾみたいな人は出てこないはずだから、絶対に働き続けなくちゃいけない。何がいいんだろうか。

以来、高校生になるぐらいまでの私の悩みは「手に職をつけるには不器用すぎる自分」でした。

一方、これらの本をテレビドラマシリーズよりも先に読んでしまったため、実をいうと、岩波少年文庫版のドラマ化部分は「えー、ちがうじゃん、これ」と見なくなってしまったのでした(笑)。思えば、その頃から文字で得たイメージを愛しすぎるところがあったのでしょうね。でも、一人の俳優が交代することなく成長をみせながら演じていたというのはすごかった。

さて、その少年文庫本ですが、私は鈴木哲子版を読み育ちました。ローラが書いた自分自身のシリーズの最後の1冊は、私が高校生になってからようやく少年文庫版に翻訳がでました。それが「ローラの旅日記」で、谷口由美子さんが訳していました(今入手できる少年文庫版は鈴木訳はなくすべて谷口訳なのだそう)。この本には、結婚しました、めでたしめでたし、ではなく、生まれて数か月の子を一瞬にして失うローラたちの姿であったり、病気で足がマヒするアルマンゾの姿が描かれていました。同じころ、私は父が(のちに持病となる)腎臓疾患を発症して入院・退院をする、という出来事を体験していました。その頃も相変わらず「きっと独身だろうな、私」と思っていましたが、結婚したとしても、夫に何かあれば私が働かなくちゃいけないんだ、と。

もちろんローラの本で「パッチワーク」なるものを知ったり、いろいろとおいしそうな食事(ルバーブのジャム)を知ったりもしたのですが、一番影響を受けたのは「一生働く」ってこと。一生働いていてもイヤミを言われない職場を見つけよう!

そして今に至るわけです。

久しぶりに『長い冬』を思い出していた時に、ローラの幻の原稿が翻訳され、それを記念しての何種類かの講演会があると知りました。うち一つに申し込みました。まだ数週間先のことですが、楽しみです。
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by eastwind-335 | 2018-01-27 12:17 | Books | Trackback | Comments(0)

エリザベス・ボウエンは手ごわい

年末年始休みのために借りてきた本。
結局お休み中に読み終えたのは3冊。
今は、ボウエンの『リトルガール』と森田安一の『『ハイジ』の生まれた世界』を平行読み。通勤時にはボウエン。病院ではハイジ。

森田さんの本には、あのアニメの「ほのぼの」を期待してはいけません。まだ、シュピーリの母親の育ちのあたりまでしか読み進めていません。進められない、というか、進まない。宗教改革の厳しい時代のなかで生きてきた一族のところで行き詰ってます。まだシュピーリが生まれてないのです!母親は詩人として有名な人だったそうで、彼女の生い立ちの部分がそれなりにある。
似たような名前の登場人物が多いのは、欧米の翻訳ミステリーでばっちし慣れている私ですが、背景の歴史についていけなくてページをめくるスピードが遅くなっています。これってどういうこと?!と思う文言も多い。スイス史の本もだし、17世紀前後の宗教史も読まないといけないかなあ・・・。
昨年、ルター500年ということで、宗教改革をめぐる読みやすい本も出たので、私も手に取ってみたのですが、目から鱗!世界史受験じゃなかったと言い訳をしながら書きますが、ルターだけじゃないのね、と。

じゃ、小説である『リトルガール』がすいすいと読み進められるか?といえば、これがまた難関で。
登場人物が多く、訳が右往左往しているのです。訳が悪いのではなく、本文がそういう文体なのではないか、と思います。ようやく第1章を読み終えたところ。セリフがどこへ向かうのか?セリフの口調が示す意味は何なのか?セリフをつなぐ地の文の意外性(セリフからは想定できない文章が続く)をまだ味わえず、「漢字」と「ひらがな」を目で追っているだけの修行中です。
第2章は主人公3人が10歳前後をすごした女学校の日々から始まります。イギリスの女学校といえば、バーネットの『小公女』を思い出す私。『小公女』の原題である『リトルプリンセス』にかけた小説なのかな、これ?と思っていたものの、それもよい意味で裏切られそうなセリフ展開。読みがあたったらうれしいけど、どうかなあ?

ボウエンってどんな作家なのかなあ、とググったところ、ほかの作品の読書感を記しているブログがありました。ちょっと読んだら、やっぱり文章が独特らしい。あの世界に入っていけない人がいる、と書いてあった。ググるまでは訳者あとがきから読もうかな、と思っていたのですが、その文章を目にして、もう観念しました。どのくらいの深さかわからないけど、とにかくボウエンという名の湖に飛び込んでみようと。海ではないのです。この小説。湖。だから、どこかに泳ぎ着くことが可能なはず。

年譜もついていたのでそちらだけは先に目にしたら、そうか、自分自身を投影した小説なのかもしれないわー、と思える記述も。
そして「いつ」と書いてないけど、セリフや地の文から「1960年代ごろのロンドンなのかな?」とか想像しながら読める楽しさも。中産階級の女性たちの生き方(中産階級の中での立場逆転とか、成長による容姿変化は第1章ですでに、変化球的なセリフや地の文から伝わりつつあったけど)が第2章以降には一層明らかになるようだから、がんばって読み続けようっと。


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by eastwind-335 | 2018-01-20 09:13 | Books | Trackback | Comments(0)

脳内読書すごろく

腰痛という思わぬ伏兵が昨年12月ごろから私の左半身に身を潜めていたようで、歩くのも小走りするのも問題ないのだけど、ちょっと体をねじって位置を変えたりするときに非常に「いたたた」なことが続き1か月。
夜、寝返りを打っているときに痛みを感じて目覚める毎晩でした。
レントゲンを撮ったら、背中の一部が側弯していると。内科でお世話になっている、本業は整形外科のドクターに「これは、姿勢が悪いからではなく、遺伝性のものだから」と言われました。外観では姿勢が悪いとは思えないとのこと。両親の親族の「だめだめ遺伝性のもの」は基本的に私が担うことになっているので、「あー、また?」と思うぐらいでしたけれど、老人になった時に備え、どっちの遺伝なのか両親に確認したい。でも、老親に腰痛もちになったと知れたら次の巡礼の旅はおろか、3月に予定している久しぶりの訪韓も、家人との家族旅行も、「やめておきなさいよー」と一度は言われちゃうなあーと思うと、実家に帰った時も言い出せず・・・。

腰痛の原因として思い当たるのは11月初めに、用務先の紅葉の美しさに気を取られ、石畳で尻餅をついたことぐらい。でも、尻餅をついたときにはお尻にこぶができるほど確かに痛かったけど、腰は痛くなかった。本当にどうしちゃったんでしょう。ホームドクターに伺っても「本当はもともと腰痛が起きてもおかしくない骨の配置だから、尻餅で身体が気づいちゃったのかも」という返事。

というか、腰痛がいままでなかったことのほうが「奇跡」ですって。確かに、リフレクソロジーをやってもらう都度「腰痛がありませんか?」って聞かれていたから。でも、マッサージより痛いものはなかったんですけどね(笑)。

そんな腰痛も3が日があけるぐらいから非常に楽になりました。まだ痛いところはあるのだけど、痛みの大小でいえば小さい。
そして、一昨日は代行のドクターが「背中、レントゲンの写真ほど湾曲してません。痛みがあるときは一時的に湾曲することがあるんですよ」と。そんな言葉も薬になったのかもしれません。
読書のスピードもあがり借りた本のうち2冊を読み終えました!
病院の待ち時間を使って少しずつ読んでいた『イングリッシュネス』。次にイギリスに出かけることがあったら、こういうことは気を付けて避けようとか、やってみよう、とか、勉強になりました。原著の半分しか訳してないそうです。続きも訳してほしいなあ。
そして、夜、痛みを感じない体形を布団のなかでさぐりながらページをめくっていた『イングランド・イングランド』。この2冊を同時に読み進めたことで、特に後者をよりおかしく(興味深く)読むことになったと思う。

イングランド人が思う「イングランド」はいったいいずこに?、がテーマの『イングランド・イングランド』。

最近の日本に置き換えても十分成立するストーリーだと思いました。
お子さまシュショーとそのお友達が強調する「日本」、マスコミが2020年に向けて作り上げようとしている「クール・ジャパン」、そんな調理方法で毎日ご飯を作ってる思われちゃ困るんだけど、というのが本音の世界無形遺産「和食」だの、国技という名を捻じ曲げはじめている相撲協会、そして、WM南アフリカ大会以降のサッカー日本代表に枕詞のようにつく「日本らしさ」。まだまだある。

外からの評価を受けいれず、中の人間がかたくなに「らしさ」を求めてしまう恐ろしさが気になっている私。
単なるユートピアコメディじゃないなあ、ジュリアン・バーンズの作品は、と思います。


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by eastwind-335 | 2018-01-07 20:53 | Books | Trackback | Comments(0)

図書館ありがとう

私は人さまより一足先に年末の休みに入りました。

今日、1か月ぶりぐらいに、銀行に記帳をし、お金の出し入れをし、残高チェックをし、ボーナスの額の少なさにのけぞり(若干ですが天引きをしているからでもあるのですが)、銀行近くの図書館の棚をうろうろと。

借りたのは、
レイチェル・ジョイス『ハロルド・フライを待ちながらークウィーニー・ヘネシーの愛の歌』
ジュリアン・バーンズ『イングランド・イングランド』
エリザベス・ボウエン『リトル・ガールズ』
ケイト・フォックス『イングリッシュネス』
森田安一『『ハイジ』の生まれた世界ーヨハンナ・シュピーリと近代スイス』
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4冊はイギリス文学とイギリス文学を理解するための導きになるはずの本。
最初の本は去年の5月ごろ読んだ本(その時の感想はコチラ)の続編、というか、番外編。
2冊目はジュリアン・バーンズ。何冊も並ぶ背表紙の1冊はバーンズの愛妻をなくしてからの日々を記した本。いつかその本も読むだろうけれど、今は、もうすこし軽い話を読みたい。見開きには「アイロニーと風刺に満ちた傑作!」とある。デイビッド・ロッジよりは薄いし(笑)、EU離脱問題にゆれる「英国」(っていうか、イングランド)のことをもっと知ることができるかも、という期待から。
同じ棚にある(ボとバは近い)ボウエンの本は第一次世界大戦が少女を女性にしていくという話らしい。
なんか、イングランド本が多いなあーと思いながら新刊の棚へ戻ると4冊目があった。図書館に入館したときにはなかったのだけど、思いがけず長い時間を「外国文学」の棚の前で過ごしていたのだろうなあ、私。その間に、誰かが返却したのでしょう。
タイミングって大切よね!

・・・この年末年始は、第二段階の交渉が始まるイングランドのことを「知る」時間を過ごすのでしょうか、とふと思いました。自分が選んだわけなのだけど。3月のお休みの時にロンドンに行きたい!と思っているから(でも、あの「棒茄子」の額では・・・)イングランドのものばかり目に付くのかしら?

最後の1冊はいわゆる「ハイジ本」だけど、私はこの方を刀水書房のPR誌で「スイス史」の専門家として知ってまして、「ハイジ」だけではないシュピーリのことを描いた本だと伺ってました。シュピーリの初期作品、買っただけでまだちゃんと読んでいないなあ~。1年以上寝かしていることに気づきました。

図書館に文庫本を入れないでほしいという文藝春秋社長の発言。わからなくもない。文庫本というのは、もともと「所有するための本」だったと私も思います。安くて、しかも「解説」が付く、ということで、お得感満載!
ところが、いまは、文庫本書下ろしもあるし、1冊1300円ぐらいする場合もある。それでも私が新刊を買ってまで手元においておきたいのは、好きな作家。もちろん、「所有するための本」だから「高い!」と思うことはない。そして、図書館から文庫本を借りるのは何となく躊躇してしまう。
バッグに入れて折ったりしたらどうしよう、とか思うわけで・・・。借りている(他人の本なのに)表紙やページに持ち癖がつくのも気になる。

本だけはデフレになることはありません。むしろどんどんと値上がりする「嗜好品」になっています。だからといって、本を読まないのはもったいない。納税者の権利として図書館を利用するのは当然。ただ、図書館は本屋ではない、ということが前提。最近は話題の本が棚に4冊も5冊も並ぶことはないけれど(『マジソン郡の橋』なんて、人口の少ない海辺の町の図書館ですら6冊並んでた!)、図書館も矜持が必要なわけですよ。
文庫本は半年ぐらいたってから入れる(かつての貸しCDショップみたいに)としてもいいのかも。



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by eastwind-335 | 2017-12-27 21:30 | Books | Trackback | Comments(0)

いよいよ次回配本!

カズオ・イシグロのスピーチはNHKで大々的に取り上げるのに、ICANのことになると途端に「なんだかね」みたいなコトになっているのはおかしいよね、と職場で話題になりました。うちの家人は「昔はそれなりにワルっぽいのになあ。インテリ枠にまとめられちゃって、本人も困ってるんじゃないの?」と特別インタビューを見てつぶやいていました。私は、『日の名残り』でブッカー賞を取った時に、それこそNHKで取り上げられた時に比べるとずいぶんと年を取ったなあ、と。もう還暦もすぎたと知り、心底驚いてます。

もともと、彼の作品は好きですが、英語で読んだことはない(今後もたぶんない)私。翻訳家の方の日本語のおかげで好きになっているんだなあ、と思わなくもない。
翻訳家の日本語のほうが、日本人による日本語作品よりもずっと好きなのはどうしてでしょう・・・。

現役(だった)の大学教授が海外の大学モノを訳しているからか、デイビッド・ロッジの一連の作品は、「ぶふ、ぶふふ・・・」と笑いながら読んでしまう。
短編集が出たというので、世間より御用納めが2日ほど早くから始まる連続休暇(有休を消化せよ、と人事課から催促の槍が降ってきた!)の間に借りて読もう!

そんなことを考えながら、「まだ、ドナルド・E・ウェストレイクの新作は国書刊行会から出ないのかしら?」と検索。

おおおおー!!!
やっとドーキー・アーカイヴシリーズの次回配本になった!
「さらば、シェヘラザード Donald E. Westlake Adios, Scheherazade ドナルド・E・ウェストレイク/矢口誠訳【次回配本】」ですって!!!
(けれども、国書刊行会ではHP上では配本時期までは明記していない)
ドーキー・アーカイヴっていうのは、「知られざる傑作、埋もれた異色作を、幻想・奇想・怪奇・ホラー・SF・ミステリ・自伝・エンターテインメント等ジャンル問わず、年代問わず本邦初訳作品を中心に紹介する、新海外文学シリーズがついに刊行開始!」と銘打って国書刊行会が刊行する外国文学。

ウェストレイクがなくなってもうすぐ10年(信じられない)。
心臓発作でバカンス中に亡くなっちゃうだなんて・・・。

まだまだ彼の作品は、ハヤカワ書房は出さなくちゃいけないと思うのだけど、前も書いたのだけど、R指定が付くような、前世紀だったら書店の端っこに並ぶどぎつい表紙絵の横に置いた方がいいような内容の本が、「女性の新しい愛のカタチ!シリーズ最新作!」とか帯を付けて売ってもらえるのに、なんで、あんなに健全な笑い満載なドートマンダー(ウェストレイクが駐在していたドルトムント、が語源らしい!)シリーズはまだ未訳がこんなにある!

Drowned Hopes(1990年)
The Road to Ruin(2004年)
Watch Your Back!(2005年)
What's So Funny?(2007年)
Get Real(2009年)

見かけはさえないけれど、男気が見えにくいけど、でも仲間のためだったら結局一肌脱いじゃう、そんなドートマンダーと、彼に恩義を感じちゃいすぎて、スットコドッコイなことをしちゃう仲間たちの、まさに「友愛」を軽妙に訳してくれていた木村仁良さんはもう私たちに紹介をする気が失せてしまったのでしょうかね。彼の翻訳によるウェストレイクのほうが、私は好きなので、本当は、国書刊行会の翻訳がどういう仕上がりなのか、ちょっぴり心配でもあり・・・。

それ以外にも、ハヤカワは、まだ元気なアーロン・エルキンズも未訳があるんだけれども。

少なくともウェストレイクは作品がこれ以上増えることはないのだから、どうか、ドートマンダーシリーズぐらい「完結」してほしいです!

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彼らの翻訳本で私の本棚をコンプリート状態にしたい!



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by eastwind-335 | 2017-12-17 17:21 | Books | Trackback | Comments(0)

明治の旅

英語ができたらよかったのになー、と努力を一ミリもせずに思ってしまう私。
いや、翻訳本を読んでいて、躓くというか、ひっかかることが多くて。

内容がわからない、のではなく、「普段、自分では用いない記号で文章が終わる」という点において。どういうわけか「!?」で終わる文章が散見される訳なのです。

もう英語を「文法的に正しいか?」なんて考えずにすむ(つまり試験で評価される)ことがなくなって30年近く経ち(基本的には学部3年生になった時には英語は「必修」ではなかったので)、いろんなことを忘れているなあ。

「!?」について、ググってみましたよ!「感嘆符疑問符」ってベタな名称だということを知りました。
もっと、なんか「専門的~!」な表記なのかと思っていたのですけれど(笑)。

そして、日本語でよく用いられる記号なのだ、と知ってさらにびっくり。
小林多喜二の『蟹工船』、二葉亭四迷の『平凡』で用例がよく見られるだの、現代でもライトノベルや漫画でよく使われる、だのと読み、蟹工船にそんなに出てたっけ?と頭のしわが伸び切っているワタクシは、次は『蟹工船』立ち読みだな、と思いました。

ググった結果、英文で、ではなく、日本語の文章での使い方ばかりがでてくるのも驚き。

原著も「!?」となっているのかしら?という思いがますます募る。

そんな疑問を呼び起こしたのは、今読んでいる『シドモア日本紀行ー明治の人力車ツアー』(講談社学術文庫)
19世紀から20世紀のアメリカの女性人文地理学者エリザ・R・シドモアの日本紀行記。当時は横浜が窓口だった時代なので、横浜から始まり、三浦半島、鎌倉、東京、そして関西へと旅した彼女の紀行文。子供時代、近くに住んでいたことがある町の名前などが出てきたりして、「あー、もっと若い時にこの本を知っていたら、行ってみたのになあ~」と残念に思うことも色々ある。

明治の皇居の様子など、代替わり(いくら国民の象徴だからって、政府主導で日程なんぞを決めたら、まさしく「政治的利用」のような気がするんだけどなー。カレンダー会社に配慮した改元だなんて、あっていいのかしら?)が近づいている今、非常に興味深いものがあります。

絶えず気になっているコトは、この本には記載されていませんでしたけれど、自分の日常と異なる文化圏を旅する面白さについては、私も体験していることなので、ページが進む進む・・・。

が、やっぱり気になるのが、時折でてくる「!?」。訳者の好みなのか、19世紀の英語はそうだったのか?気になる気になる・・・。

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by eastwind-335 | 2017-11-10 07:20 | Books | Trackback | Comments(0)

やっと読み終わった

硬いカバーの堅い本。読むときは週に1冊、というときもあるのだけど、なんせ、通勤の復路せいぜい30分ぐらいしか読めない。それだって、疲れていたりすると・・・気が付いたら乗換駅だったりするから(涙)。
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読み始めて1か月以上かかった。
もちろんほとんど読めない週もあったのだけど。図書館で何度利用延長をしたことか・・・。

翻訳がちょっと。文章が飛んでいる気がして、原著の完全訳なのかしら?と何度思ったことでしょう。いや、翻訳のせい?原著を辞書を引き引き読んだ方が早いのかも、と思うほど、文章を読むというよりも「字を読む」という本だった。

たぶん西洋史がばっちり頭に入っているひとだったら「お約束」の言葉、歴史的事実がそこから読み取れるのでしょうけれど、抜けている人には読みづらい。お約束がわからないから、目の前の数行の内容が今一つピンとこない。
ユルい高校で学んだ私。「日本史」も「世界史」も高3になって初めて学ぶ。先生自体もユルいから先生のお得意のところが長引く(笑)。だから、終わらないままで卒業。(マグレで大学進学をしてしまった)私のウィークポイントは地域を問わず「16・17・18・19世紀」。
理系の夫ですら知っている歴史的事実や人物や国際関係について「えー?そこ、習ってない時代だから」と答えてしまうそんな私の「歴史脳」で読むのですから、困難を極めます。
連なる字から具体的な事例を思いつくに至らないのです、足りない私。

一国ごとの歴史、ヨーロッパの歴史、アメリカの歴史、日本の歴史、アジアの歴史・・・が頭に入っていて、なおかつ、国境を接する国々との外交関係もわかってなければならず・・・。あちこちの地名も大切。

パスポートの歴史を知るのがこんなに大変だったとは!

「回り道をしているうちにいろんな風景が見えてきて、知りたいこと以上のご褒美が与えられるはず」というのが信条な私。くじけず、注も一つ一つめくってみたのですが、その注(山のようにある!)だってあーん、翻訳になっているものなんてチョッピリだけ。注の論文や書籍へのアクセスは困難そう・・・。

でも、旅好きとしては、移動の歴史を知ることは大切じゃないのかなー、って思います。それに、昨今の世界の動きを見ていると、人の移動はパスポートで保証される時代はいつまで続くのかしら、と不安になることも。だから、この本も途中で返却するのではなく、読み終わりたかったのです。
もう一度よく読み直したい。次は本に具体例を書き込みたいほど。そういう意味では、読み返せば読み返すだけ発見がある、そんな本。私のような偏屈向き。古本で扱ってないかしら?



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by eastwind-335 | 2017-11-04 21:45 | Books | Trackback | Comments(0)

これは尋ねすぎ

高校生の頃に雑誌「オリーブ」や「ポパイ」に目を通すようになって以来、私はM社の雑誌に目を通さない月はない、といってもいいほど(買うかどうかは別にして)。

最近はメルマガも登録してあって、クロワッサンやKunelなどが発売されると、新しい号の紹介があって、そのメールで本屋へ行き、雑誌のついでにほかの本も買う、という本屋的には「かもねぎ」状態であったりもした。

で、そのメルマガがリニューアルし色々なサービスが増えるという。改めて会員登録が必要。そのサービス(プレゼントだの試写会だの)は別にどうでもいいのだけれど、新しい号の紹介やビハインドストーリーはやっぱり読みたいから、その作業をしようとした。

個人情報を超えた内容ばかり尋ねる。
まあ、新しいサービスは「ものをあげる」的な視点で設定されているから、住所を聞くのはアリかもしれない。
でも、なんで生年月日だの、年収だの、1か月に使える金額だの、職業だのあれこれ聞くんだろう。
「名前・生年月日・性別・結婚・住所・電話番号・子供(の有無)・世帯年収・個人年収・個人の月額使用可能額・その使い道・使用可能額のうちの情報収集金額・居住・趣味、関心事・趣味、関心事の中でも特に強い関心度があるもの・使用SNS」は必須。これに加えて読みたいメルマガの本体雑誌名(選択式)。
さすがに性別だけは、昨今のLGBTを配慮しているのか「男性・女性・未設定」としてあるけれど、ほかはすべて「絶対選択肢内から回答のこと」となっていて「答え(たく)ない」という設定がない。

M社は、プレゼントを送るためだのなんだのと理由をつけて伺っています、それを承知で答えてください、みたいな「規約」を設定しているのですが、それにしても、訊きすぎ!

社としては個人情報保護を行うが、インターネットによる情報保護は100パーセントではないと明記している。ま、この手の文章はいまやどこの社も機関もつけますけどね。
M社もそういう点に疑問のある人は答えないでください、という姿勢をちゃんと打ち出しています。規約を読み通し、若干の文言にひっかかりを感じた私は「足抜けしよう」と思いました。

だいたい、プレゼント応募はこれまでだってしていないし。いわゆる「加工可能情報」を他社に売って儲けてるマガジンハウス社にタダで商品(わたし)を渡す必要はない。

メルマガと「私のあれこれ」を単純に交換できるほど、「私のあれこれ」は安くない!

よく祖母が「タダより高いものはない。安かろう悪かろう」と言っていました。長年働いている割には年収が低い私。そこは覚悟で就業しているので、ついつい節約モードになりますが、「お値打ち」という言葉も知っている。

ということで、これからは「自分で情報を探しに行く」ことにし、メルマガはマガジンハウス社がいう「今年末」でバイバイすることにしました。

便利な世の中だけど、人の能力が急カーブで上がるってことはない。むしろ、下がる一方なのに、与えられる情報は増していくばかり。その情報量に見合ったように行動(生活)しなければならない、という心身のムリが蓄積されたら、恐ろしいことになってしまう。与えられた情報を選択するよりも、こうしてみたい、という「社会的動物の勘」を養いたい。
自分の目につくぐらいの情報の中で生きるのが、私にはちょうどいい。スマホで検索ばかり、詳しくはwebで、なんていう情報までおっかけていたら、自分の生活がダメになる。知っておきたいことへたどり着くまでの「ぐるぐる」を楽しみたい。
私にとって、グーグル先生に一直線に情報の泉へ連れて行ってもらうのは、「数学の宿題を教科書ガイドで解く(正式には丸写しする)」ことでその場しのぎをしていた高校生の時のような「うしろめたさ」がある。
もうメルマガ経由でビハインドストーリーを読んで「次はここへ行ってみよう!」とか「あれをやってみよう!」と思うことは減るかもしれないけれど、きっと、別の媒体でも、したかったことには繋がるはず。そうやって50年生きてきたんだもん。大丈夫。

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by eastwind-335 | 2017-10-25 06:26 | Books | Trackback | Comments(0)

東風のささやかな毎日のささやかな記録


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