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カテゴリ:Books( 147 )

読んでから観るか、観てから読むか、その時間がとれるのか?

ドイツ映画祭の時には「5月にロードショーらしい」とわかっていたので、敢えて外したドイツ映画「僕たちは希望という名の列車に乗った」。いよいよ公開が近づき、先週は新聞に大きく広告が出た。
すでに見た著名人のコメントは敢えて読まず、他の情報、つまり、下の方の小さな字の文章を拾い読みしていたところ・・・

「原作本の発売決定」

おやまあ!
「希望の灯り」の時は、広告やフライヤーに原作(新潮社クレストブックス)を紹介しつつも「品切」と記されていました。新潮社って、ほんとうにザンネンな出版社になっちゃったなあー。こういうことを恥ずかしいって思わないようじゃ潰れちゃうんじゃないの?って心配しちゃうわ。

で、「僕たちは希望という名の列車に乗った」のほうは原作があるというよりも、事実をもとにした映画だという宣伝が目に付いていたのですが、原作本がロードショーを前に『沈黙する教室』として出版されることになったそう!

久しぶりに「読んでからみるか」「観てから読むか」に悩む?と嬉しい悩みができちゃったー、よーし、買おう!と思いながら出版元のアルファベータブックスのHPを見て2度びっくり!

発売日は映画公開直前・・・。

あららー。
いまの私の状況だと「観てから読む」になりそうね。
明日仕事帰りに書店に行って買って帰ろう!とルンルンしていたのが、出ばなをくじかれた感じ(笑)。

原作が翻訳されて出版される、ということだけでも「ありがたやー」だし、昨今の出版状況の厳しいなかでの出版なのですから、アルファベータブックスには「Danke!」なわけですが。
なんとヒトはわがままな生き物なんでしょう。いや、こんなわがまま、私だけよね・・・。

文庫本化は絶対になさそうなので、来週、ハードカバーの本を買って帰らなくちゃ。

by eastwind-335 | 2019-05-13 15:17 | Books | Trackback | Comments(0)

元の持ち主を思う

昨日は一日家から出ませんでした。家人が一日外出したので、テレビを見て人さまのブログやインスタをまとめて読み、と好き勝手をしました。
疲れていたので夕方、遅いお昼寝も1時間半ほどしました。

で、夜になって、金曜夜にブックオフで買ったドイツミステリーを読み始めました。ノイハウスの『悪しき狼』(創元ミステリー文庫)。
布団を敷きなおし、枕の横に本を置き、仕事関係のメールに返信をいれ・・・。

布団の中で読み始めようとしたら、なんかいい香りが。
私は香りがするものをほとんど身に着けませんが、後輩ちゃんで香り上手な人がいます。彼女を思い出させるような感じ。
ベビーパウダーのような匂いというか・・・。

枕カバーの柔軟剤かなあ、と思ったけれど、洗ってしばらくしまっておいたものに変えたばかりで、もうその香りは飛んでいる。
再び本を手に取りページをめくると感じる。
本をくんくんと嗅いで、本についている香りだと分かりました。特にしおりは挟んでありませんでしたが、前の持ち主は匂いのあるしおりを挟んでいたのかもしれません。

それとも、ブックオフで匂い付け?もう1冊買った本を嗅いだけど、そこからは匂わない。

意外な体験をすることになりました。
新刊のにおいとか古書のにおいは、本を買うとすぐにわかるのだけど、女性らしい香りがする本は初めてでした。
どんな人が読んだのでしょうね?とてもきれいな状態で売られていたので、読んですぐに手放すことができる「思い切りのよい、仕事のテキパキできる女性」かなあ、と思っています。

まあ、本の内容は、この匂いとは程遠い「血なまぐさい」事件から始まるんですけどね・・・。

私は本をけっこう買う方だと思います。
1度しか読まないというのが明らかにわかる本は借りますが、本屋の棚の前で「きっと、これは気に入るなあ」と思った作家だと、間違いなく新刊書で買う。
一方、評判になっても図書館で借りたり、古書店で買う場合もある。その一人がノイハウス。ピア&オリバーシリーズというフランクフルト近郊の警察モノ。もともとは「ミステリーマガジン」や「young Germany」で紹介されていた、っていうことで頭に残っていた作家名だったのですが、本当に人気なのかなあ、と眉唾だったりもした。それに1冊が1000円以上する文庫本なんて!!
私は学生時代の癖が抜けなくて、講談社学術文庫や平凡社文庫だったら1冊1000円超えは許すけれど(その頃は単行本を文庫本化してくれていたことがほとんどだったから)、普通の小説に1000円っすかあ?という気分でした。

しばらくして、ブックオフを探検していたら、彼女の本が3冊まとめて出ていた。それもかなりお安い値段で。定価1.5冊分ほどで3冊買えたんだもん、お値打ちよね。
ドイツへの旅行の前だったので買って読みました。しかも、日本では3作目あたりから翻訳がでたそうなのですが(ドイツでも最初の2作は自費出版だったそうで、版権の問題があるのかも)、シリーズとして1作目から読めたわけで・・・。
ということで、縁があるのかも、と思い読み始めました。

時折、ブックオフへ行っては、続きがないかを探し・・・。昨秋には新作の1作遅れまで追いつきました。

ついに一昨日、最新刊の古本も入手。1020円。
もう少し下がってから買ってもよかった気もするけれど、こういうのは「出会いだから」。
定価は1400円+税なので、ま、いいわよね。



by eastwind-335 | 2019-04-14 08:57 | Books | Trackback | Comments(0)

ひつじが読書の邪魔をする・・・

ひつじがいっぴき、ひつじがにひき、ひつじがさんびき・・・

と眠れないときには羊を数えるとよい、と言いますが、私は身体が水平になった途端「寝てしまう」ので(いや、水平にならずとも立っていても寝てしまうときが・・・)、ヒツジは不要です。

さて、少し時間が取れたので図書館で本を借りたのは以前も書いた通り。
うち1冊は「ドイツ人がアイルランドを舞台にドイツ語で書いた動物ミステリー」の翻訳。
レオニー・スヴァンの『ひつじ探偵団』(原著 Glennkill)。2007年に早川書房が出版したミステリーです。

いわゆる「コージーもの」だと思いますが、これが2005年、06年にドイツで評判となって売れたミステリーだった、と訳者あとがきで紹介されています。作者のスヴァンは英文学の博士号をとっているそうで、そのタイトルが「われわれの目でみるだけでいいのか?-近代文学における動物の意識」だとか!私は彼女の博士論文が翻訳されるほうがいいんだけどなあー。とっても興味深いですよねえ・・・。

これは背表紙のタイトルに惹かれて手に取り、楽に読めそうだなあ、と思って借りたのですが、ヒツジが出てくるからか、ページが進まない。
つまらないのではなく(といっても、特にこったナゾ解きでもないのだけれど)、これは多分、ヒツジがわんさかと、人格ではなくひつじ格(個性)をもって登場するからだろうと思うのだけど、まさに「ひつじがいっぴき、ひつじがにひき・・・」状態で、3ページが進めばよい、って感じで・・・。

で、今朝、ようやく読み終えました!
すごくおもしろかった!
アイルランドという、今、イギリスがのEU離脱を前にまさに旬な国(刊行当時はよもやEUを印象付ける国となると予定ではなかったでしょうが)の田園地帯が舞台。といっても、私には、イギリスの田園風景との「違い」は「ゲール語」で語る人物がいる(といっても翻訳の文体が変わるわけではない)だの、巨大な石の下が先史時代の巨石墳(ドルメン)だの(←巨石墳のフリガナとして1度ドルメンとつけ、以後、ずっと「ドルメン」と書くので、最初私は「ドルメンってなに?」と思わず辞書を引いてしまったほど)ぐらいで、正直、これがスコットランドだったとしても、気が付かずに読んだと思われるのだけど、それでも、読み終わってみると、アイルランドの話だったんだなあーと。
ケルト文化、精霊、ゴッドの意味が通じない羊たち(司祭が「ゴッド」を連発するので、彼の名前をゴッドと思い込むほど)・・・。キリスト教における「羊」の意味を当の本人、もとい当の羊たちがわかっていないというのは、殺されてしまった飼い主が無神論者で、彼が羊たちに読み聞かせていた物語はなんとロマンス小説で・・・。羊たちはその小説の筋もちゃんと覚えていて、飼い主が殺されたときも、その小説になぞらえて状況を確認してみたり。

と同時に、男性でもロマンス小説を読むのか!と驚いちゃった私です。

そして、一般に、一匹の迷える子羊を大切にするのが神様だ、なわけですが、羊って一匹だと生きていけないのだ、という常識を打ち破る伝説の羊がいたり。最初から登場する羊たちは放牧されていたのではなく、サーカスで芸をさせられていた黒羊オテロ(シェークスピアですね!)は途中で加わった羊。加わったことでオテロは人生、もとい羊生が変わったようなものだというのを回想シーンを織り込んだり。物覚えがよいけど鳥目の鯨のモップルがいたり。羊のリーダー「サー・リッチフィールド」にはまるで「放蕩息子の帰還」のような双子がいたり。神を知らない羊たちの言動は、まるで新約聖書を読んでいるような気分(笑)。

謎を解く羊は「ミス・メイプル」。アガサ・クリスティの「ミス・マープル」を踏まえています。

最後、すべてが解決するほんの手前、ある人物が羊たちへ行った読み聞かせは「嵐が丘」の。
お金の単位が「ユーロ」というところでやっぱりグレートブリテンの話じゃないんだ!と。

この小説が本当にドイツで流行ったのか、ちょっと眉唾な気持ちでもありますが、あとがきによれば2005年から6年にかけてよく売れたという。

ページをめくると面白いのだけど、めくればめくるほどほど眠くなる(笑)。そういう小説でした。

by eastwind-335 | 2019-02-22 21:31 | Books | Trackback | Comments(0)

読み比べ、の楽しさはさておき・・・。

このところ、海外文学、とくに児童文学の「新訳」が出ている。
シリーズの途中から訳者が変わる、ではなく、新訳。

『長くつしたのピッピ』のシリーズもそう。
出版社を変えて『ナルニア国物語』も新訳が出た。

欧米系の作品に特にその傾向があるのは、非英語圏の翻訳作品の売り上げとの関係かしら?

時々耳にするとか目にするのが「今の子どもには(日頃使わないので)読みにくい日本語で訳されている」と。
確かに、大人になっても繰り返し手に取るのは、子供の爲の日本語ではなく、本を読む人のための日本語で書かれている本。
逆に言えば、今の子どもに人気のあるような創作児童文学で用いられるような日本語に慣れていると、昭和の翻訳文学はむつかしいことになるのかも。

どのくらい、今の子どもに受け入れられる日本語になっているのか、新訳も読んでみたくなる。

昨日、福音館書店からメールニュースが届いた。そこには『バレエシューズ』の完訳版の出版案内が出ていました。
はて、『バレエシューズ』って最近、中村妙子さんが訳し直した「新訳」で出なかったっけ?同名で違う作家のもの?いや、あらすじは同じようだし・・・。
とググったら、教文館出版部で昨年3月に、そして福音館書店からは今年、同じ本を違う訳者で出していることがわかったのでした。
中村妙子さん訳は挿し絵がイギリス版のもの、福音館の朽木祥さん訳は完訳のもの。

中村さんの出版が紹介されたとき「いつか図書館で借りよう」と思っていたままだったことを思い出した。
こうなると、朽木さんのも一緒に借りて、中村さんがカットした部分はどこだったのか、と考えながら読むことになるのかなあ・・・。

中村さんの安定した日本語。年齢からすると、最後の翻訳かもしれない、と思う。彼女のような日本語を使って小説を訳す人はどんどん減っているので、とても楽しみ。
朽木さんの日本語は初めて。翻訳よりは創作のほうが多いかたみたい。しかし、イギリスでの生活の経験がそうで、それならではの翻訳なのだろうという期待もある。

どっちを先に読むべきだろう・・・。







by eastwind-335 | 2019-02-14 08:39 | Books | Trackback | Comments(0)

帰国までの道のり

それほど厚くない文庫本なのに、時間をかけて読んだのが、プリーモ・レーヴィの『休戦』。
アウシュビッツを体験し、耐え、生き残ったイタリア人作家プリーモ・レーヴィの9か月にわたる帰郷の個人的体験記。
岩波文庫の表紙には「旅の記録」という言葉も見られるように、彼の回想録になっている。

プリーモ・レーヴィの本は朝日出版社の『アウシュビッツは終わらない』を読んだのが最初。なぜこれらの本を読んだのか、というと、単に図書館にあったから。「あるイタリア人生存者の考察」という副題に、レヴィがユダヤ人に多い苗字とも知らず、単にイタリア人兵士の話かなあ、ぐらい思ってページをめくったのでした。そういうわけで、当時の私には重すぎた。
しばらくすると、『今でなければいつ』が出て。こちらが出たので、書店の棚的には「プリーモ・レーヴィ」祭りのような感じがあったように記憶しています。偶然読んだ本の著者の新刊を読んだとき、ユダヤの問題はアウシュビッツという「空間」だけではないのだ、と思ったのでした。

その後、「イタリア映画祭」で彼の作品をドキュメンタリーとして再現した映画をわざわざ見に行った。
もうブログを始めていて、感想(こちら)もupした。
夜に見た、ということもあり、途中、ウトウトしてしまった部分がある。
映画を見たときにはまだ翻訳が入手しにくかった、映画では「帰郷」と紹介されていた(らしい)彼の作品が、この『休戦』です。

もう映画の内容は遠く彼方にいってしまい(もう一度、どこかで見たい!)、本は新鮮な気持ちで読みました。しかし、内容はやはり重く、私の日常は非常に多忙で、帰りの通勤電車の中でこの本を広げるには体力がなく・・・。いったん、時間が取れるまで置いておくことにしました。
中断していた本を取り出したのは、1月27日がアウシュビッツ解放の日である、ということやその意義をドイツのラジオで聞いたからです。
解放されたときの戸惑い、心身の破綻からの回復への過程は、その文章から伝わってくる彼らの感情は、毎年この時期になると世界各国(特にロシアとドイツのテレビ)の報道によって「想像はできる」気がする。本当に「わかっている」とは、私はとても言えないけれど。
しかし、レーヴィの「ユダヤ人」という集団の中にあっての「イタリア人」としての孤独は別の視点で考えさせられるものがあって・・・。

ユダヤ人としてはアウシュビッツからソ連軍に「解放」されたのかもしれないけれど、「イタリア人」としては解放をした連合国から見れば彼は「敵国人」である。だからこそ、単純に「解放」を意味する、または「帰郷」をイメージさせるタイトルではないのだ、と途中まで来て、ハッと気づいた。そして、もう一度、こういう二重の仕組みのなかで、プリーモがどうやって生き抜いていくかを読み直し、そして途中でストップしていたのです。

冬の終わりに開放され、春の間を通じてソ連(現在のベラルーシ)へと向かい、ルーマニアを経て、オーストリアからイタリアトリノへと移動をする間の見聞は、言葉が通じない問題、自分の体調、同胞(ここではイタリア系ユダヤ人)との関係、ソ連の想像を超えた意向、移動者を受けいる国々の思惑という縦糸横糸のそれぞれの色が場所場所で異なる。

通り過ぎた土地で思われている「ユダヤ人」感をレーヴィは様々な場所で「ほかのユダヤ人たち」と共に知り、それを利用し、それをかいくぐって生き抜いていく。
一方で、だからこそなのかもしれないけれど、帰郷への思いが揺らぐこともあったりする。自分の望まない場所で、家族関係を解消させられ、人間関係を壊され、いつ自分は死ぬのかと思いながら生きてきた。それが「日」という単位であろうと「月」であろうと「年」であろうと、それは個人的な体験としては誰にとっても過酷で、それを第三者が時の長さで度合いを(勝手に)計ってしまうのだ。

本を読んでいた時には、なんとなくだけれどその時々の風景が浮かび上がってきた。それは映画を見たからだったのか、それとも本に出てくる地名によっては少しは私もなじみがあるところだったからか、海外のドキュメンタリーが頭に残っているからか。
もう11年以上たっているので映画のことはあまり記憶にないのだけれど、今回本を読んで非常に印象に残ったところは、映画を見たときにも同じように思っていたことを、過去の記事を読み気づき、自分の成長のなさを感じた。一方で、やっぱり、ナチの犠牲になったユダヤ人がドイツを通らないとイタリアに帰ることができない、という地理的事情は、アウシュビッツ生存者にとっては非常につらいことだっただろうと思う。
やるせない思いはその時に限ったわけでなく、母の許に帰国してもレーヴィから消えることがなかった。

いまは入手できない映画だけど、やっぱりあのドキュメンタリーはもう一度見たい。

by eastwind-335 | 2019-02-07 21:18 | Books | Trackback | Comments(0)

21世紀のパディントン

お正月はちょっと頭を楽にさせたくて、買って1年近くほっておいたパディントンの新作3冊を一気に読みました。

新しい訳に不満はないのですが、どうして松岡享子さんじゃなかったのかなあ、と思ったり。出版社が変わっているので多分契約の問題もあったのでしょうね。

パディントンは変わらないけど時代が変わったからと、マイケル・ボンド氏は新作を発表したときに語ったそうです。

イギリスもミレニアムを迎える頃に大きくかわりましたもんね。新しいものを受け入れる人々を、クマを通して描いているんだなあ、と風刺作品もあるボンド氏らしい視点を通して四半世紀前を思い出しました。

私自身、家人との新婚旅行以来ロンドンにでかけていなかったので、新作におけるパディントンの戸惑いは自分のことのように思えました。

新しい訳は松岡訳を踏まえているようですが、グルーバーさんの扱いが違う。
英文にあたれば、ひょっとしたらボンド氏自身も表現を変えてきているのかもしれませんが・・・。
うまくいえないのだけど、新しい訳におけるグルーバーさんの存在は大きいです。新しい訳者さんは、ひょっとしたらグルーバーさんへの思い入れが強い人なのかなあ?
その一方で、「イングランドに生きるハンガリー人」の21世紀の日々を松岡訳だったらどういう日本語にしていたかなあと思う。

また、映画「ニコラス・ウィントンと669人のこどもたち」を見たことも、今回の私の読書に影響を及ぼしています。
パディントンが第二次世界大戦中のキンダートランスポート運動につながる存在であっただけでなく、ハンガリー出身のグルーバーさんもハンガリー動乱(1956年)の影響をいろいろと受けていたのだろうなあと想像しながら読んでしまいました。

もう子供の頃のような気分で読書はできない、というわけではありません。やっぱりパディントンの言動にひやひやしちゃいますからね。でも、それ以外のところについても一つ一つ目に行くようになった私。
名作は何度でも読み直すことができるのは本当だなあと思います。

まだ未邦訳の作品(手紙集)の訳は松岡さんにお願いしたいです!福音館書店、がんばれー!!!(って版権をWAVEが取ってしまっていたら身もふたもないことですが)

EU離脱問題にゆれる今、本当はボンドさんに1作書いてもらいたかったなあ・・・。でも、いい時代にボンドさんは作家活動をしていた、と言えるかもしれません。これはその時代にいきる作家へのご褒美かな。

by eastwind-335 | 2019-01-06 09:07 | Books | Trackback | Comments(0)

言葉のお年玉

甥は12月生まれなのですが、ついつい、毎年、誕生日プレゼントを贈るのが遅くなってしまいます。
今回は年明けに届けるありさま。

デキすぎ君との付き合いのないオバちゃんは、賢弟のお子である甥へのプレゼントにいつも悩んでしまいます。
ちょうど、大きな資格試験に合格したと聞いたばかりだったので、そのことに関わるかなあ?と思われるビジネスの文庫本を送りました。

毎年、仕事で出会った人(どういうわけか著作のある方とお会いします)の本から選ぶのですが、そういう方から頂きこの1年の間に読んだこのジャンルはあまりにマニアックすぎて(笑)。かといって、流行りの本だと読書家の弟が買って、甥と回し読みしているといけないしなあ。

かなり最後まで悩んだのは、プリーモ・レーヴィの『休戦』か、『第七の十字架』か・・・。しかし、下手に「ググられて」オバのこのブログにたどり着かれるのも・・・(笑)。

甥からお礼の電話があったのですが、その前に弟から「あれ、本違うだろ」と突っ込みが。弟もそれなりに私の選書を気にしていたのかしら?甥に選書の目的を伝えたら「ほら、やっぱり。東風ちゃんらしい理由だよね。」ですって。

甥には図書券も送るのですが、イマドキの大学生だから迷惑していないかしら、とちょっと心配だったので、今回、どういう形態の本を読んでいるのか確認してみました。
すると「ボクもね紙媒体で読むのが好きなんだ!」と。
うふふ。
こんなうれしいコトバを甥から聞けるなんて。
言葉のお年玉をもらった気分です。いや、お年玉を渡さねばならないのは、年長者であるワタクシのはずだったのに(爆)。

甥の読書傾向も教えてもらいました。ミステリーが好きだというので、私も!と思わず声をあげてしまいました。しかし日本の作家のほうが好きなんですって。翻訳の日本語は落ち着かない、と。えええ?と驚きました。かといって原著で読むわけではないようですが。
彼のお気に入りの作家は読んだことがなかったけれど、これを機会に読んでみようかしら。


by eastwind-335 | 2019-01-05 17:35 | Books | Trackback | Comments(0)

1作遅れで読んでます

昨日、私自身は3名の仮装者しか見なかったのですが、ハロウィンでした。
凄く疲れていて、私は夜ご飯を食べ終わったら即座に寝てしまいました。そして2時ごろ、腕の痛みで(前に比べたらずっと痛みは弱くなりましたが、腕は相変わらず90度ぐらいしかあがらない)目が覚め、少し布団の中で本を読みました。

布団の中で本を読む気がするほどには回復している、と思いたい。

読み始めたのは、ドイツの警察小説『穢れた風』。
フランクフルトからさほど遠くないヘッセン州のある町を舞台としたシリーズ。新刊として出るときには手を取っても裏表紙の簡単な解説しか読まない。そして定価では買わず、古本屋に出ているのを見つけたら買う。翻訳本紹介サイトみたいなところで評判になり始めたときは「ふーん」ぐらいだったのだけど、2年ぐらい前の夏だったかな、古本チェーン店に定価の半額ぐらいで出ていた。で、たまたま手に取った本が翻訳順番だと3冊目だったけど、本国の出版順だとこれが第一作とわかった。1.5冊分の値段で3冊買えるのだから、とまとめ買い。「上司と部下がduzenするまでに至る3作目までは面白かった」ので、後日4冊目も買った(これは半額にはなっていなかった)。

4作目になるとちょっぴりシリーズの登場人物たちの私生活の方向性が「うーん」と首をひねりたくなっているのですが、事件そのものは「面白い」。

先週、久しぶりに入った古本屋に第5作目である『穢れた風』あったのでした。「買うぞ!」即決しましたよ!
夜、目が覚めてしまった時に30分ぐらい読むだけなので、一向にページが進まないのですが、ますます登場人物の私生活は「はあ、そうですか」って感じになりつつあるけど、「所詮、これは娯楽小説なのだ!」と思えば「売れるためには仕方ない仕組み」なんだろうなあ、と。事件の背景は案外堅いところを踏まえているのに、なんとなく「土曜ワイド劇場」のノベライズ化のような印象を抱く私って・・・。

それより、もっと気になるのは、ドイツ人だったらお約束の言葉に対する翻訳文内での説明の少なさ。全くないとは言わないけど、ここもあるほうが心情がわかりそうだけどなあー、って。
ドイツの警察小説を読む日本人はドイツのことを知っている、がお約束なのかなあ。「ドイツ人だったら「こういうタイプ」」とイメージづけられるドラマのタイトルとか作家の名前が何か所か出ているのだけど、あれ、スルーしちゃうのかな。それとももはや「読者努力」でググれっていうのが前提なのかなあ。としたら、ドイツの長寿刑事ドラマTatortを「事件現場」とのみ訳しただけって、初めて読む日本人にはその面白さが伝わらないような・・・。
いつから( )に括った説明を翻訳小説にはつけなくなったのかしら・・・。
ドイツ語文学の翻訳は英語圏に比べるとぐっと少ないわけですが、文庫本解説のところで触れるぐらいできないのかしら・・・と思いながら先に解説のページをめくるも「あ、無理だな」と。文庫本解説は別に「ドイツ通」の人ばかりが担当するわけじゃない様子。

ドイツ語の警察ドラマ、結構面白いと思うのだけど、どうしてミス(テリー)チャン(ネル)で取り上げないのかなあー。
北欧OKだったらドイツ語の新作ドラマだっていいじゃん!

昨日久しぶりにポーランドの警察ドラマ(本当に地味によくできた、一方で「ポーランドのある種のナショナリズム」がクンクンと臭うドラマ)やフランスの警察ドラマ(ダンケルクが舞台とは!)をミスチャンで見たからか非英語圏のドラマをもっと見たいなあーと。

あー、スイスの葬儀屋シリーズの続きはもう放送してくれないのかなあ。あれ、面白かったのに!

by eastwind-335 | 2018-11-01 06:26 | Books | Trackback | Comments(0)

岩波新書

PR誌好きな私、紀伊国屋書店でちょくちょくPR誌をいただきます(もちろん、本も買って帰ります)。
旅行にも数社のPR誌を持っていくほど。ちょうど機内で読むのに都合がよいのです。文庫本はあまりにも「自分」がですぎていて、恥ずかしい感じがするから(笑)。

先日いただいたPR誌は、岩波の『図書』の特別版。岩波新書ができて80周年を記念した号「はじめての新書」。

学生時代、新書は「本」ではない、とまで言い切るような先生もいた環境に身を置いていたこともあり、「はじめての」と銘打たれると、なんかドキドキしちゃう。
高校生になった時に、児童書でも文藝小説でもなく、「知」というものに初めて接近したのは、新書を通してだった。

赤版、青版、黄色版、あった、あった。いまは基本的に新装赤版。

特集号は「はじめて」でない人たちだって胸躍る内容。
新書との出会い、おすすめする新書とその理由は「わかる!わたしもそうだった!」と、会ったこともない、名前だけの著名人のちょっとした言説に「わたしもー!」と時を超えて場を超えて、紙面を通して共鳴してしまう。

この特集号のすごいのは、「岩波新書」オンリーではないってこと!まだ岩波新書で書いたことがない人も「私と「新書」」について書いているし、おすすめの新書だって他社のものをあげている人たちも。

最後は、新書を出している他社の新書編集長に、おすすめの新書と岩波新書の中のおすすめをあげてもらっていた。

新書80周年を自社の回顧と展望のような形にせず、書籍の形態の一つとして「新書」を取り上げ、盛り上げていこうとする。そういう姿勢は、読み手として嬉しいものがあります。

いっぽう、一つだけ残念だったのは80年前の新書を売り出した人々への思いがわかるはずの、新書の版が変わるごとにでた「発足の辞」が一向に取り上げられなかったということ。80年前は戦争の時だった。なぜその時に新書ができたのか、新版が出る時代までの間、新赤版が1000点になった時の辞、等々、「新書」とはこういうものだ、と初めての人に伝えたかったら、中身よりも矜恃だろうに、と思う私は堅物すぎるかしら?
でも、物事には「理念」「夢」があるはず。文字が読めたら子供だろうと大人だろうと対等。年齢も性別も超えた読書への喜びが大切だったのになあ。岩波新書らしさもそこから感じられるのに。

あれだけはもったいない。


by eastwind-335 | 2018-10-25 23:14 | Books | Trackback | Comments(0)

久しぶりにPOPEYE

「ひとりっぷ」という言葉を目にすることが増えました。音声よりは文字のほうが圧倒的に多い気がします。
なんといっても「ひとりっぷ」という本がでるぐらいですもんね。

もともとはおしゃれ女性雑誌のエディターさんが、コラムで用いていたそうです。
なんでもない女性が「一人旅」というと寂しい感じがするのでしょうが、おしゃれ雑誌で「ひとりっぷ」と言い換えが始まると、それは流行になる。

弟が同居していたころは、わが家には「POPEYE」が時々ありました。私もよく読んでいた。これをきっかけに、私は「ブルータス」へと、男性の雑誌の方面に足を突っ込むことに。だって、女子大生やOLが愛読していた光文社の年代別雑誌は読み物が少なくて私の生活や性格とは相いれないところが多かったから。

弟が下宿をするようになり、私も結婚して、生活がかわると、Popeyeは自然と遠のいていった。ま、「ブルータス」を読み始めると、ポパイは子供っぽい雑誌に思えてきたというのもあるし、家人はマガジンハウスには縁遠いひとなので(笑)。

そして、昨日、20余年ぶりに、私はPopeyeを取り寄せましたよ!コンビニの棚に「一人旅に行ってきます」って表紙に書いてあるのを見かけたので。
まだペラっとめくっただけだけど、以前の「Ku:nel」のような温かい感じ。
(もう、Ku:nelは料理特集の時だけしか買わなくなった私。だから、今出ている号はすぐに取り寄せたけど)
いま、Popeyeは何歳ぐらいの読者層を想定しているのかなあ?大学生ぐらいなのかしら?もうちょっと上かしら?
大学生ってこんな高いお値段の服を買うのかなあ?うちの甥はこういう雑誌を目にすることがあるんだろうか・・・。

そして、つくづく思うのは、なんで男性用のアウトドアウェアーはこんなに素敵な色なのだろうか、ということ。

一昨日も、日比谷シャンテの3階にあるアウトドアウェアーのお店をはしごしながら、遠目に「あ、この色いいなー」と思いきや、それはメンズです、と。バナナリパブリックでも、セーターの微妙な色あいに心惹かれるのはメンズ。
欧米だと体のしっかりした女性も多いからユニセックスなのかもしれないけれど、日本は、そしていかにも日本の中年女性の体形である私にはメンズの仕立てはあわない(腕周りや腰回りとか狭すぎるー!)。

ま、着るものなんてどうでもいい。それよりも、ああ、旅に出たい。

by eastwind-335 | 2018-10-23 06:59 | Books | Trackback | Comments(0)

東風のささやかな毎日のささやかな記録


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