人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ジュニア向けだけれど

小学生の時、家族で京都へ行ったことがあります。
両親の実家がある広島へ帰省する際、父が大阪出張を入れていたので、京都で待ち合わせたのでした。

いまとなっては、どこへ行ったのか確かではないのですが、清水寺、三十三間堂はさすがに覚えています。清水の舞台の話を両親から聞きながら、どうやってここを作ったのだろうと不思議に思ったし、泊まったホテルが三十三間堂の近くで、自分と同じ顔の仏像があるはずだ、と言われて必死に探したのになくて、すごくがっかりしたからです。
あと、苔を覚えているので、西芳寺へも行ったのかな?もう30年ぐらい前のことですからねー、あんまり記憶はありません。竹が多い寺にも行った気が。

その後も修学旅行、家族または個人、トモダチとの旅行で何度も京都を訪れていますが、いずれにせよ、京都でこの前の戦争といえば「応仁の乱」と思っていました。
アメリカ軍も奈良や京都への空襲は避けたとよくいわれていますよね(学界的には、いまは否定されているそうですが)。
ところが、最近出たばかりの本(しかも中学、高校生向け)を読んで、京都も戦災にあったんだ、と知ることになりました。京都に暮らす人たちは郷土史の授業などで学ぶことなのでしょうけれど、日本のほとんどの人たちにとっては、「へえー」と思うことがたくさん。西陣やちりめん業者の戦時中の苦労(著者は精練業を営む親がいた)はもちろんのこと、京都が師団が置かれた軍事都市でもあったことも意識したことはありませんでした。
ジュニア向けだけれど_a0094449_865368.jpg

岩波の予告を見たときから気になったタイトルだったので注文をかけていました。届いてすぐに読んでしまいました。
京都の話から、金属供出によって失った精練のボイラーが運ばれた海南島の歴史、建物疎開があったこと、その手順、そして、空襲のこと。もちろん、もっと被害の大きな都市はありますが、「ない」と思っていたものが「あった」ということを知った時の衝撃。著者は高校の社会の教員だったそうで、授業のような語りかけるような文体。資料もわかりやすくなるように、細かく、かつ具体的に説明がされていて、高校生のみならずオトナにも読み応えのある1冊でした。
この本の面白いところは、京都で生活したことのない者にとって初めての事柄が、単なる「〇月×日に京都ではこういうことがありました」という記載だけではなく、著者の家族史からもわかることです。つまり戦前、戦中、戦後の京都の一家族の生きかたを通して「京都の歴史」を読むことができ、それは日本、そしてアジアの歴史につながっていることが読み終わったらわかる、すごい本でした。
堀川通りの幅の広さ、そしてスコーンと抜けるような空間にはバスで北賀茂神社へ行く都度、感心していました。でも、昔からの幅ではなかったのですね。次に京都へ行くのはいつになるかわかりませんが、今度は、いつもはバスで通り過ぎる堀川通りの商店街を散策しながら歩いてみたいと思います。



中学も高校もなぜか修学旅行は京都でした。
中学の時はあんまり楽しい思い出はありません。規則規則でうるさかったかしら。ひょっとしたら数年前にすでに家族旅行で来ていたから、特に目新しいことがなかったからかも?
そんな中、平安神宮でクラスの女子の大半が「レンアイ成就」を願いお守りを買った中で、私は(あえて)買わなかったことを当時の担任が気付き、「東風さん、そんなんじゃ行き遅れますよ。あなたみたいな人こそちゃんとお願いしなくちゃいけません」とみんなの前で言われたのを思い出します。可愛げのない中学生だったワタクシ、あの弁柄とレンアイが化学反応を起こしちゃって、心底「お守りぐらいで!?こんなケバケバしいところでその他大勢と一緒にお願いしたって効きっこない」と思い、結局買いませんでした。
あー、いろいろ思い出してきちゃった。旅行後の定期試験には修学旅行に関する内容として「二条城は何のために作られた城か」という問いがでました。「観光」って書いたら、大きく×。先生やガイドさんは説明しなかったと思うのですが、旅行のしおりに書いてあった、と「東風は注意が足りなさ過ぎる!」とこれまた同級生の前で注意されたり。実は正答率の低い問題だったのに、まるで私ひとりができなかったような言われ方をされたのでした。思えば人前で注意されるダメっ子だったワタクシですが、よくぞグレなかったものよ。
正直言って、二条城はワタクシのトラウマで、大河ドラマも徳川家、とくに最初の3代に関わる話になると、とたんに見る気が失せます。

高校の時も京都へ。
でも、この時は「宿舎が京都」だっただけ。往復の新幹線は制服(学校は家から私服にさせたかったらしいのですが、親のほうが往復だけは制服に、とお願いしたそうです)、時間までにホテルに戻る(これを破ると、正座、夜のお出かけ時間短縮、男子はグリグリももらってました)の二つだけ約束事だけ。あとは野放し(まあ、奈良、神戸より遠くへは行かないように、という内規はありましたが)。生徒たちは二日かけて研究テーマ(事前に学校に提出)について調べ、かつ遊ぶ。先生たちはすることがなくて、パチンコ屋へ行き、これまた男子たちがパチンコ屋に行って、店内でご対面、なんてことも。
同じ斑になった子が、京都らしさを食べ物から見出そう、そのためには、京の台所といわれる錦小路の研究がいい、と言い出したおかげで、私は17歳のこの旅行で錦小路を制覇。ほんの数軒に予めお手紙を出しただけだったのに、「あ、隣にも寄って行きなさい」「あ、3軒先にも言ってあるから」とほとんどのお店でお話を伺い試食をさせてもらい、京都の美味しい水が食文化をささえていることを学びました。場所を移し、老舗の湯葉店でできたての湯葉をいただき(作るところも見学)、流通の都合で関東地方には滅多に入ってこなかった麩嘉の麩まんじゅうをいただき、寺町をぶらぶらしていたら、担任とバッタリ。彼の引率で好事福盧(こうずぶくろ)を買いに村上開進堂へ(実際にはオレンジゼリーしかなかった)。ここのお店で、京都と東京の老舗事情(東京遷都で京都の菓子屋が東下りした)について色々と知ることになった私たち、そのまま、吹き寄せとか松風といった京都ならではのお菓子を扱うお店にまで連れて行かれ、すっかり、OLさんの旅行みたいなことをしてきたのでした。
風変わりな教師の集まった高校でしたが、担任もこだわりのある人で、彼は「新京極なんて中学生が行くところだ」と、「なんちゃって、京の旦那衆ゴッコ」をすることに。夜のクラス行動は銭湯(本当は旦那衆が集まる朝湯がいいんだけどなー、とも言ってました)。半日あったクラス行動日も、朝食もそこそこに私のクラスだけ出発。イノダコーヒー本店で朝のコーヒー、鴨川をブラブラして、鳩居堂でお買い物。昼間は某有名店で懐石料理(昼間は安いんだ、と教わったのもこの時)。あとで、母から聞いたのですが、懐石料理のお金はエクストラだけれど、この年齢になったら一度こういう食事を体験させてもいいと思う、と父母会の時に説明をされていたそうです。そうそう、祇園はお金がかかりすぎますので、連れて行きません、ともおっしゃったそうな。
「どーしようもない土産は買うな、その土地でしかないものを見つけ出せ」とも言っていた彼のこだわりプラン、なんか、その後の私の旅のスタイルにも影響しているような・・・。
Commented by greenagain at 2009-12-23 14:23
二条城は観光のために作られた」、名答だと思います。笑いました!
私が先生なら「そういう答えもありますね」ってコメントつけちゃいます。
錦小路の研究とは、着眼点がイカシていますね!
修学旅行、私も中学、高校と京都奈良でした。班行動、制限時間内、制服など、拘束旅行でした(遠い目)。宿で酒盛りした男子がいた為に、全員正座させられたり。今でも意味不明の連帯責任指導。
京都奈良へ行く度に、拘束旅行の思い出を上書きしてます。
Commented by eastwind-335 at 2009-12-23 18:01
greenagainさん、こんにちは。
1980年代はそんなイカした中学教師はあんまりいなかったかもしれませんね。高校はその点、先生たちの発想が自由で、修学旅行も、なんでもない春や秋の遠足も楽しかったです。
ああ、連帯責任指導、中学の時にありましたよー。高校は当事者主義だったし、運動部が強かったから、あんまり余計なことで足をひっぱられたくない同級生が多くて、大っぴらな規則破りはなかったです。修学旅行中は公共交通機関で移動する事、と指導があったのですが、間に合わないっ!と京都駅からタクシーを飛ばし、ホテルの数軒前で降りて滑り込みセーフという猛者猛女たちも。そういう話でいまだ盛り上がるのですから、成長がないのかもしれません(笑)。
Commented by オカジ at 2009-12-23 23:58 x
こんにちは。
いつも素敵な旅をされている東風さんの原点ここにあり?というお話ですね。京都の町遊びあれこれを読ませていただいて、わたしの高校時代を振り返ってみましたが…イノダ(支店)こそ母に連れられランチで結構使ってたのですが、街中のことなんてまーったく知りませんでしたし、錦なんて足踏み入れたこともなかったし、懐石料理なんて…。今でこそ町の通りは分かりますが、それ以上のこと知らないのは何十年たっても相変わらずです。
わたしは中高とも修学旅行のない学校で、特別に修学旅行に行きたいと思ったこともなかったのですが、「テーマのある旅」ってもの学ぶ子ども時代のチャンスだったと考えると、修学旅行があってもよかったのかなぁなんていまさら思ってみたり…。
Commented by pepe at 2009-12-24 00:25 x
東風様、咽の調子はいかがですか?私の相方もよく咳だけが残るんですが漢方を処方してもらったらましになったみたいです。なんでも気管支を潤す効果があるとか・・・。さて最近の修学旅行って私の頃とは全然違いますね。私の頃は“ドナドナ”って感じでした。京都でよく見るのが数人のグループでタクシーに乗って市内観光というのです。自主性やテーマを持ってる分にはいいと思うんですが・・・どう見ても野放し状態なことの方が多いように見受けられます。中にはタクシーの運転手さんに「学生がそんなところに行くべきじゃない」と怒られるような場所に行こうとするグループもあったりして・・・傍から見ててハラハラしちゃったりします。
Commented by eastwind-335 at 2009-12-24 04:07
オカジさん、こんにちは。
高校時代の先生は、まだ「卒業旅行」がさほど盛んでない時に、アヤシゲなところからお金を借りて海外旅行へ行き、4月の初月給日には学校まで取立て屋が来た、という逸話の持ち主がいたり、なんらかの研究テーマをもっていらっしゃる方が多くて、「ただ出かける」だけじゃつまらない、と。教員のノリについていける親、2度目、3度目の京都だった生徒が多い学校だからこその指導かもしれません。そして、やっぱり同じ斑になった子のご両親にも感謝してます。そういう時のお願いの仕方ほか、いろいろな「作法」も教えていただきました。
私は、小学校以来、歴史にそこそこ縁の深い街で育ちましたが、親が(転勤してきた)他所者だったから「旅人」視点で、住んでいる街のあちこち連れて行ってもらった方だと思います。それも、私の旅の原点の一つになっているかも。
高校時代は「連れて行かれる」じゃなくて「自分たちで行く」修学旅行でしたが、ま、普通は修学旅行というのは、旅先で教員に叱られるというのが「テーマ」みたいです。
Commented by eastwind-335 at 2009-12-24 04:26
pepeさん、こんにちは。
おかげで咳はこの日曜から1回も出ていません!ビバ!漢方薬!という気分です。相方様、早くよくなりますように。案外、漢方のほうが効くんですよね!
そう、最近の修学旅行って違いますよね。紹介した本のでも「自由行動日の当日、タクシーが迎えに来て」でした。。
歩いてこそ見えるものもあるのですが、携帯をもたせたり、教員が管理しやすい方法を選ぶのでしょう。
私たちの高校ももちろん、男子たちはどうも「行っちゃいけない」ところへも行ったようです。私たちが「白状しなさいよー」と言っても「男子だけの秘密」とかはぐらかしてました。まあ、遊技場でヒマをもてあました先生にバッタリ、の学校でしたからね。
そんな母校もいまは、「平和教育」と称して沖縄へ引率される旅をしています。進学率がよくなったそうですが、私たち、「つまらない学校になったよね」と言ってます。保護者として関わっている卒業生が「お金の使いすぎ」と申し入れたものの、これがトレンドと学校側に言われたのだとか。
by eastwind-335 | 2009-12-23 07:19 | Books | Trackback | Comments(6)

東風のささやかな毎日のささやかな記録


by eastwind-335