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神様とともにある

昨日、楽しみにしていた舘野泉さんのピアノリサイタルに行ってきました。
これは、今年4月におこなわれたリサイタルシリーズ「新たな旅へ」のアンコール公演にあたります。四月は全て日本人が作曲した「左手のための」曲を演奏したそうですが、今回は、以下のような構成になっていました

吉松隆:アイノラ抒情曲集 Op.95
スクリャービン:左手のための2つの小曲 Op.9
末吉保雄:土の歌・風の声(舘野泉の左手のために)

休憩(20分)

バッハ(ブラームス編):シャコンヌ ニ短調 BWV1004より
谷川賢作:スケッチ・オブ・ジャズ(私の好きな一人のピアニストに)より
吉松隆:ゴーシュ舞曲集 Op96(舘野泉に捧げる)

アンコール
カッチーニ(吉松隆編):アヴェ・マリア
シュールホフ:アリア

以前も書いたように、私はこの人の演奏を聴くようになったのは最近のことでした。
両手で弾いていた時代をCDでしか知らないのですが、本当に北欧の曲を愛しているのがCDからも伝わってきました。
左手のCDも聴きましたが、生演奏は初めてです。どんな演奏なのだろうか、と期待いっぱいに着席しました。



アイノラ抒情曲集はシベリウスをイメージして作ったそうで、そういう意味では、往年の舘野氏を思い出す方もいらしたのかもしれません。とても心地よい曲で、途中、うっとり(つまり「こっくり」)きてしまいました。退屈だったのではなく、一日仕事で疲れきった中で、適温、そして心地よい音楽・・・。心身の緊張を解く音楽だったのです。

土の歌、風の声はフランスはラングドック地方の風土や歴史、巡礼者や十字軍の行路だった道をイメージした曲です。この曲から痛みと再生を感じることがありました。「委嘱を受けた当時、旧友(舘野氏をさす)は、大変な困難を乗り越え、ひとまわり大きくなって再出発したところでした」(プログラムより)と作曲者の末吉氏が書いていますが、曲もまた舘野氏の困難とそこから再出発したところを描いていたのでした。

ブラームス編曲のシャコンヌはそれはそれは激しいものでした。舘野氏の復帰の際に選んだ曲の一つだったようです。それだけ思い入れがあるように聴こえました。

今日のコンサートは、これから、舘野さんは日本人の作った左手のための曲のために生きていくと宣言しているような思い入れが伝わってくるものでした。
ところで、私が学生の頃、大学の礼拝で「タラントのたとえ(マタイ25:14-30)」の説教がありました。舘野さんがアンコールで弾いた2曲を聴きながら、与えられたものがどうこうではなく、与ええられていること自体に感謝して応えなくてはなりません、という話だったことを思い出しました。昨日の演奏会で舘野さんはタラントに忠実で、それを感謝している、と。だから神様が傍にいて、舘野さんに左手をあげたのだ、と。そして、いま、舘野さんは左手に忠実で、左手に感謝している。そう思ったとき、涙がスーッと出てきました。こういうことは初めての経験でした。実はとなりのオバさまも泣いていました。別の席からも目に手を当てる人がいました。

拍手は鳴り止まず、足をすこし引きながら何度もカーテンコールに舘野さんは応えていました。本当に良い演奏会でした。
by eastwind-335 | 2006-12-20 08:21 | Musik | Trackback | Comments(0)

東風のささやかな毎日のささやかな記録


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