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読んでから観た

久しぶりに、仕事とは関係のない本を一気に(といっても3日かけてだけど)読んだ!
それも映画を見たいから。
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登場人物の多い(なんといっても20名の生徒と彼らの親と、生徒たちとかかわった先生と、DDRの「同志」たち・・・)ノンフィクションであり、略語続きの機関名など、何度もページを行ったり来たりして、正直「すらすら読めました」とは言い難いのですが、大体の時代背景を頭に入れてから観たかった映画。

ベルリンの壁ができてからのこともそれほどよくわかっていませんが、できる直前のことも今一つわかっていない。
たぶん、ドイツに暮らす現代の若い人たちだってそれほど習っているわけではないのかもしれません。だからこそ、映画化されたのでしょうしね。
単なる「青春映画」とは言い難いので、原作を読んでおかなくちゃ、と思ったのでした。

もともと私は原作通りのストーリーになるとは思っていなかったのですが、20人というそれぞれ「独立した人格」の持ち主(・・・って共産主義の社会では言っちゃいけないのでしょうが・・・)を数名のキャラクターにまとめて描いたので、えーっと、原作のここの部分の相当するのかなあ、と原作を思い出すのに必死。そして、生徒にとって「教師」はとっても大切なのに、出てくるのはこれだけか、とか、校長先生の立ち位置があんまりはっきりしなくてかわいそー、とか、色々と思うこともありました。

セリフ(つまり字幕)からももちろん、登場人物の背景が徐々にわかるようになっています。今回も字幕のおかげで、東ベルリンの暴動を知ったほどです。それぐらいセリフの「背景」にある歴史的事実や知識が私にはない・・・。こういう事実に基づく映画は、わかっていれば登場人物の立ち居振る舞いも「そうか!」とわかることがたくさんあるはずなのに・・。
だから、読んでいっておいてよかったー!
読まずに見ても「こういう時代に生きる若者の勇気が活かされるエンディングでよかった」と思うかもしれませんが、たぶん、それは生徒たちが口々に、自分たちが誰のせいではなく、「自分がした」というに至るまでの悲劇が背景にあって、そういう気持ちを持つことになったんだ、と思ったにちがいない。
でも、原作は、そういう「悲劇」はなかった。なしであそこへ至るまでには、生徒たちの親の存在もあった。親同士のつながり、子供のクラスメートと親とのつながり・・・。原作を読んでいて感動したのはそこでした。
だから、悲劇が起きるシーンに「それなしに描くことはできなかったのかしら?」と思いました。
(一方、原作にはない親子の別れのシーンに涙することも)。
あと、テオとレナとクルトの(恋愛)関係は、映画に本当に必要だったのかなあ、って。ま、ドイツの若い人たちに見てもらうためには仕方ないのかなあーと、数年前のドイツ映画祭でクラウメ監督が「若い人に自分の映画を見てもらいたい」とQ&Aで答えたのを聞いたことを思い出しました。

クラウメ監督にはもう一つ言いたい!
バッグを斜めかけ(昔の郵便配達人みたい)にしたテオが朝、校舎に入るシーンがあったのだけど、背中の真ん中よりちょっと下にバッグがあるその後ろ姿を見て「え?それは多分21世紀のカバンの掛け方!」と突っ込みそうになりました。
ボディーバッグをかけている21世紀の男の子だわよー!

すでにこの当時は、DDRにおいてキリスト教の活動は認められていても奨励はされていなかった。そういうことは原作でも映画のシーンで描かれていたのだけれど、描き方が異なっていた。映画の中の重要な「場」の一つになっていたと思う。ただし、原作にないことをそこに盛り込み、いくつかのストーリーをそこにまとめてしまっていた。まあ、そうしないと時間を上手く使えないってことよね、と自分を納得させたりして・・・。

親と子の関係も、え?それだけですか?!親だって子供の勇気に・・・(以下むにゃむにゃ)。
労働者階級一家の期待の星テオの温かい家族がこの映画の救われるシーン。私は、テオのお父さんを演じた役者さんをどこかで見た気がする、アメリカかイギリスのドラマかなあ?・・・あ!おでこから鼻にかけて「とーってもバラックみたい」!。バラックが筋肉もりもりになった感じ・・・と、出てくる度に「バラック」「バラック」と思っていたのですが、帰宅してキャストを確認してびっくり!(あんまり予備知識がないほうがいいかな、と思ったので、劇場案内しかチェックしなかった)
「アイヒマンを追え!」に出ていたロナルト・ツェアフェルトだったのね!
言われてみれば・・・と思うのですが。あんなにガタイでかかったでしたっけ?
それだけでなく、あの、いやーなランゲ文部大臣は「アイヒマンを追え」で伝説の西ドイツ検事フリッツ・バウアーを演じていたブルクハルト・クラウスナー!うわあ、実在した人物を演じるのがうまいのでしょうね!
ツェアフェルトとクラウスナーが対峙するシーンがあったのですが、もっともっと注意深く見ておくべきだった!

要するに、「クラウメ組」で作った映画だったのね、と帰宅後にわかった次第です。

主役は生徒たちだけれど、生徒の1945年から数年の体験、親の戦時中の体験がこの映画の大きな背景である、ということを考えると、もう少し「親」のことも描ければ、単なる「青春映画」にならずにすんだのかも。私も親の年齢(かそれ以上)になったので、親の言動にウルっときたことも・・・。

現実に1956年におきた事件として、統一後のドイツでドキュメンタリー作品を作っていた時もあるそう。でもその時は「DDRの政治性」を強調しすぎたものだったらしく、また、DDR内ではこの事件が「なかったこと」になっていたらしい。なので、それこそクラウメ監督に「ドキュメンタリー作品」を作ってもらいたいなあ。
原作の「後日談」は、現在の「難民問題」に通じるところもありますしね!


by eastwind-335 | 2019-06-01 13:48 | 映画 | Trackback | Comments(0)

東風のささやかな毎日のささやかな記録


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