おくればせながらの不良(7):初めての美術館
2015年 06月 23日
私が初めてドイツへ行く時、恩師の一人から出発前に『うたかたの記』を読みなさい、と勧めてくれました。そして、ミュンヘンに行ったら必ずピナコテークをゆっくり見てくるように、というアドバイスもありました。私は無精者ですが、人に勧められたら行く。そして、
ホントに本物なのだろうか?どうして、近くに行ってもブザーがならないのかしら?
と展示されている絵画のみならず、その施設の設備、展示方法に、感動と圧倒を覚えて帰国したのです。
そして、勧めてくださった恩師に「ピナコテークの絵ってコピーなんでしょうか?」と質問をしてしまい、呆れさせてしまったという・・・。
だって、1980年代後半、美術展というのはデパートの催事場で行うことがよくあった。こっから先はダメってラインが床に書いて(張って)あって、そこを超えると(肩がラインから出ただけでも)ブザーがなり警備員が飛んでくるという、結界破り(笑)みたいな扱いが待っていた!
それが、(手を伸ばすなんて気はないけれど)すごく近くまで行ってみてもいいわけで・・・。
人と人の間から絵を見る、のが当たり前だった私には、自分の横にいる人は手を伸ばしても届かないところに立っているってことや、天井からすりガラスを通じて光が入ってくる様子とか、私には何もかにもが初めての体験!
それから、27年。その後、ピナコテークは「モデルネ」という現代アートを展示する美術館を加えました。モデルネは初体験でした。現代アートって何?なワタクシですが、何でも見てみようという気持ちで向かいます。
モデルネ、というだけあって、あっさりした外観の美術館です。
いきなり円天井に圧倒される私。
現在展示中の企画展を紹介する壁。
向かい側にも案内が。そして、ホールの真ん中ではおじちゃんが3人そろってごちゃごちゃと・・・。なんか、試合前にエンジンを組む草サッカー選手って感じで思わずカメラを構えてしまいました!
この日は、モデルネはアウディがスポンサーの無料公開日。こういう太っ腹さが、ドイツの美術館にはある。日本でも、外国人にだけでいいから、無料の日っていうのを作ってあげたらいいのに。Oh,Motenashiの日、とか、どうでしょう(笑)。
閑話休題。
見学を始めます。まずは、Zoom!展。これは、写真展でした。
入口からして違うような気がしちゃいます
様々な写真家の作品がありましたが、その中でも、幾人かの作家さんの視点にくぎ付け。
足元に作品名が書かれています(そして踏んでもブザーは鳴らない・笑)。これは富田林市にある新興宗教団体が見える風景をテーマにした連作。
写しているものは、正直言って、日本のありふれた「風景」なんだけど、目的を持った撮影からは、「<異界>も目にするうちに当たり前になる様子」が想像できるのです。
これは、イタリアの「モスク所在地の正面の写真」。
写真にはそれぞれ礼拝所の住所が書いてあります。一見してイスラム教の施設があるとはわからないところもたくさん。
なるほど、「現代」を象徴する題材を意図をもって撮るってことが現代アートなのですね!
続いて、Philip Gustonという画家(イラストレータといった方が良いのかな?)の作品展。
詩が先なのか、イラストが先なのか、ちょっとそこがわからなかったけれど、何気ない(!)線がこのようなアート感の高い詩集になっていくのですね~。詩の「額縁」という役割を果たしていると思います。
こちらは色がついている作品。
JJこと植草甚一を思い出した私。
少しお腹がすいたので、カフェに行ってみることに。
重たいものから軽いものまで色々ありそうです。
えーっと、どういうわけか、気持ちは黒い森ケーキだったわけです(汗)。
向こうにご年長組が写っていますが、この日のカフェは年長組があちこちで集まってお食事していました。
2階へ向かいます。
天井が高くて、ワクワクします。最近、まったく日本の美術館はご無沙汰なのだけど、こういうのを見ちゃうと、1600円だして人の頭の間から作品を見なくちゃいけないっていうのが納得できなくって・・・。
ここでは、ナチ時代に誹謗された美術品を展示するという企画展が。作品はたくさんあるわけではありませんが、当時の誹謗記事を見ながら、本当にそういう評価で良かったのかを実物を見て自分で考える、という企画です。
Max BeckmannのMann im Dunkelこれのどこがいけないのか?と。
さらに奥は常設展のようで、1920年代以降の作品が並んでいました。
これもMax BeckmannのGrosses Stillleben mit Fernrohrという作品。絵も塑像もやったんですね。
円形の入口を見下ろしながら向かいへ。
写真展をここでもやっていました。Nicholas Nixon展。
これは、Nicholas Nixonが自分の妻と彼女の妹たち(The Brown sisters)の40年を撮り続けた記録。
これは撮り始め(1975)の頃。
毎年毎年、誰も欠けることなく写真を撮った、ということは素晴らしいと思うのです。みんな、いつだってHappyだったとは言えないと思うけれど。
少しずつ、4人は髪型が変わり、表情も変わり、年を重ねて生きています。
私は銀座の松屋で証明写真をいつも撮ってます。あそこにも30年ぐらいの撮影の家族写真のポスターがあったと思ったけれど・・・。
さ、そろそろ次へ向かわねば・・・。もっとゆっくり見たかったなあ~。
ドイツでは美術館や博物館前に集まる若者っていますよね~。日本は「見に来たんじゃないのだったら敷地へ入ってもならぬ」みたいな感じで、敷居が高いですよね。ミーティングポイントにはならないよね。
たぶん、美術館の展示物の前にまで「自主的に」やってくる若者の数っていうのは日独、さほど差がないと思う。でも、建物の一部になじんでいるのは絶対にドイツ。
だから、この風景を見たときに「いいなあ」と思ってシャッターを切ったのです。
ホントに本物なのだろうか?どうして、近くに行ってもブザーがならないのかしら?
と展示されている絵画のみならず、その施設の設備、展示方法に、感動と圧倒を覚えて帰国したのです。
そして、勧めてくださった恩師に「ピナコテークの絵ってコピーなんでしょうか?」と質問をしてしまい、呆れさせてしまったという・・・。
だって、1980年代後半、美術展というのはデパートの催事場で行うことがよくあった。こっから先はダメってラインが床に書いて(張って)あって、そこを超えると(肩がラインから出ただけでも)ブザーがなり警備員が飛んでくるという、結界破り(笑)みたいな扱いが待っていた!
それが、(手を伸ばすなんて気はないけれど)すごく近くまで行ってみてもいいわけで・・・。
人と人の間から絵を見る、のが当たり前だった私には、自分の横にいる人は手を伸ばしても届かないところに立っているってことや、天井からすりガラスを通じて光が入ってくる様子とか、私には何もかにもが初めての体験!
それから、27年。その後、ピナコテークは「モデルネ」という現代アートを展示する美術館を加えました。モデルネは初体験でした。現代アートって何?なワタクシですが、何でも見てみようという気持ちで向かいます。
モデルネ、というだけあって、あっさりした外観の美術館です。
いきなり円天井に圧倒される私。
現在展示中の企画展を紹介する壁。
向かい側にも案内が。そして、ホールの真ん中ではおじちゃんが3人そろってごちゃごちゃと・・・。なんか、試合前にエンジンを組む草サッカー選手って感じで思わずカメラを構えてしまいました!
この日は、モデルネはアウディがスポンサーの無料公開日。こういう太っ腹さが、ドイツの美術館にはある。日本でも、外国人にだけでいいから、無料の日っていうのを作ってあげたらいいのに。Oh,Motenashiの日、とか、どうでしょう(笑)。
閑話休題。
見学を始めます。まずは、Zoom!展。これは、写真展でした。
入口からして違うような気がしちゃいます
様々な写真家の作品がありましたが、その中でも、幾人かの作家さんの視点にくぎ付け。
足元に作品名が書かれています(そして踏んでもブザーは鳴らない・笑)。これは富田林市にある新興宗教団体が見える風景をテーマにした連作。
写しているものは、正直言って、日本のありふれた「風景」なんだけど、目的を持った撮影からは、「<異界>も目にするうちに当たり前になる様子」が想像できるのです。
これは、イタリアの「モスク所在地の正面の写真」。
写真にはそれぞれ礼拝所の住所が書いてあります。一見してイスラム教の施設があるとはわからないところもたくさん。
なるほど、「現代」を象徴する題材を意図をもって撮るってことが現代アートなのですね!
続いて、Philip Gustonという画家(イラストレータといった方が良いのかな?)の作品展。
詩が先なのか、イラストが先なのか、ちょっとそこがわからなかったけれど、何気ない(!)線がこのようなアート感の高い詩集になっていくのですね~。詩の「額縁」という役割を果たしていると思います。
こちらは色がついている作品。
JJこと植草甚一を思い出した私。
少しお腹がすいたので、カフェに行ってみることに。
重たいものから軽いものまで色々ありそうです。
えーっと、どういうわけか、気持ちは黒い森ケーキだったわけです(汗)。
向こうにご年長組が写っていますが、この日のカフェは年長組があちこちで集まってお食事していました。
2階へ向かいます。
天井が高くて、ワクワクします。最近、まったく日本の美術館はご無沙汰なのだけど、こういうのを見ちゃうと、1600円だして人の頭の間から作品を見なくちゃいけないっていうのが納得できなくって・・・。
ここでは、ナチ時代に誹謗された美術品を展示するという企画展が。作品はたくさんあるわけではありませんが、当時の誹謗記事を見ながら、本当にそういう評価で良かったのかを実物を見て自分で考える、という企画です。
Max BeckmannのMann im Dunkelこれのどこがいけないのか?と。
さらに奥は常設展のようで、1920年代以降の作品が並んでいました。
これもMax BeckmannのGrosses Stillleben mit Fernrohrという作品。絵も塑像もやったんですね。
円形の入口を見下ろしながら向かいへ。
写真展をここでもやっていました。Nicholas Nixon展。
これは、Nicholas Nixonが自分の妻と彼女の妹たち(The Brown sisters)の40年を撮り続けた記録。
これは撮り始め(1975)の頃。
毎年毎年、誰も欠けることなく写真を撮った、ということは素晴らしいと思うのです。みんな、いつだってHappyだったとは言えないと思うけれど。
少しずつ、4人は髪型が変わり、表情も変わり、年を重ねて生きています。
私は銀座の松屋で証明写真をいつも撮ってます。あそこにも30年ぐらいの撮影の家族写真のポスターがあったと思ったけれど・・・。
さ、そろそろ次へ向かわねば・・・。もっとゆっくり見たかったなあ~。
ドイツでは美術館や博物館前に集まる若者っていますよね~。日本は「見に来たんじゃないのだったら敷地へ入ってもならぬ」みたいな感じで、敷居が高いですよね。ミーティングポイントにはならないよね。
たぶん、美術館の展示物の前にまで「自主的に」やってくる若者の数っていうのは日独、さほど差がないと思う。でも、建物の一部になじんでいるのは絶対にドイツ。
だから、この風景を見たときに「いいなあ」と思ってシャッターを切ったのです。
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コリアンダー
at 2015-06-24 00:56
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なつかすぃ!ワタシも一度だけ行ったことがあります~。もう7年も前なので展示とか変わっちゃってるでしょうけど。吹き抜けの階段部分にGパンが沢山ぶら下がってました。
そーだったマックス・ベックマン。フルネームを覚えてなくて、時々、思い出そうとするたびに、あれマックスなんだったっけエルンストじゃないし、と、毎回こんぐらがっていたのですが、おかげでスッキリしました☆(←調べ直さないぐーたら者)
そーだったマックス・ベックマン。フルネームを覚えてなくて、時々、思い出そうとするたびに、あれマックスなんだったっけエルンストじゃないし、と、毎回こんぐらがっていたのですが、おかげでスッキリしました☆(←調べ直さないぐーたら者)
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eastwind-335 at 2015-06-27 08:33
コリアンダーさん、おはようございます。
コリアンダーさんの時はGパンがぶら下がっていたんですね!
日本も現代美術館は独特な雰囲気がありますが、ここはハコとしてのわきまえと、展示内容の興味深さがうまくマッチングされていて、キューレターのセンスを感じました。
マックス・ベックマンは特別展と常設展のどちらにもありました。
いくつも企画展があるので、一日では見られませんよね~。私は次に行ったら、二日がかりでじっくり見ようと思ってます(もう次の事を考えてる・汗)。
コリアンダーさんの時はGパンがぶら下がっていたんですね!
日本も現代美術館は独特な雰囲気がありますが、ここはハコとしてのわきまえと、展示内容の興味深さがうまくマッチングされていて、キューレターのセンスを感じました。
マックス・ベックマンは特別展と常設展のどちらにもありました。
いくつも企画展があるので、一日では見られませんよね~。私は次に行ったら、二日がかりでじっくり見ようと思ってます(もう次の事を考えてる・汗)。
by eastwind-335
| 2015-06-23 05:15
| 旅の思い出15いつだって今!
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Comments(2)