何がおきているのかな?
2014年 05月 06日
*誤解がありましたので、一部文章を訂正しました*
好きな作家のことだから、それは嬉しいのだけれど、そして、ちょっとびっくりしている。
ここのところ、ちょっとした「石井桃子」ブームになっているのでしょうか?
それが、日本の海外児童文学の翻訳を担った村岡花子の生涯が朝ドラになったからなのか、たまたまのことなのか。
石井桃子に関する本や特集が3月以来ずずいと増えてきたような。
河出書房新社で出版が続く、随筆集のシリーズ。
新潮社の季刊誌『考える人』での小特集(特集自体が「海外児童文学ふたたび」なのですけど)。
数日前の朝日新聞で金井美恵子エッセイ・コレクション集完結への批評(紹介か?)。既刊みたいですが、金井氏が石井桃子への非常に思いのこもった文学研究の文章を残していると読み。
PR誌「波」には直接的ではないけれど、新しいシリーズとなるらしい「Shincho modern classics」で新訳『くまのプーさん』を出した阿川佐和子氏のコメントとか。
私が所属する部署が設立された時のボスの趣味で、ボスの退職後もずっと購読し続けている(本好きが多い部署なので)「読書人」という週刊書誌新聞の広告で見つけた石井桃子論。
それとも、私が石井桃子さんが好きだから目につきやすいだけで、世間はそれほどブームになっているわけでもないのか。
河出から出ている随筆集は、ゆっくり読みたくて、また、通勤のバッグの中でグチャっとなってしまうのを避けたくて、と、日々の余裕の中で読みたいのに、結局、その時間がなかなか作れず、まだまだ3冊目も途中だと言うのに、もう4冊目が出てしまい・・・。
4月の初め、電車に1時間近く座りっぱなしの日があった。荷物も小さかったので3冊目を忍ばせた。ちょっとだけ読んでみた。いま、私たちが気楽に「観光」という海外旅行をするのとはちがい、彼女の時代には目的が必要であり、訪問先の人を直接知っているのではなく、誰かの紹介だったり、照会の結果に登場した、つまり「はじめまして」の日々を海外で送るのです!
その緊張感と、照会に紹介で応える(見知らぬ人に人を紹介するのは結構大変だと思う!)信頼と、そこから生まれる新しい人間関係と・・・。
ただ英語ができるから日本語に直すのではなく、その人、その人の作品をだれかに繋ぐ、その才能があるから(その分、疲れてもしまうのでしょうが)、石井さんの本はいつまでも愛されるのだろうなあ、と思った。
そして、戦後の彼女のエッセーのなかには、どんなテーマであっても、戦後民主主義の根付きへの喜び、根付きの中で生じる危うさへの危惧、うつりゆく時の中での警鐘が静かに語られている。それが21世紀も最初の10年を終えて、その維持が難しくなっているいまこの時に読み返すことで、スタート時の希望を後世の私たち、そのスタートの時には生まれてもいなかった私たちは追体験、想像しながら継承していかなくてはならない、と思うのです。
結構、彼女は時事についても一言二言触れているエッセーが多く、今のシュショーたちが強調する考えを知ったらなんと書くかなと想像したりして。
そして、依然として4冊目になっても、この随筆集の刊行の目的がいまだ明らかにならない(あとがきがない)。
実は、石井桃子をめぐるこの頃の出版状況は私にとっては「ミステリー」にもなっているのです。
いや、解が書かれているのでは?と想像できる文章が数か月前の文芸誌に出てるのは知っているのだけど、まだ地元の図書館に行けず、文芸誌を読んでない。
GWに読むべきか、読まざるべきか。
通勤時間にそんなことを考えながらとりあえず、『考える人』は買ってみてGW前半に少しページをめくってみた。
・・・・!新潮社の6月の新刊としての広告に、ここのところ続々出ている、しかし編集目的が一切明かされていないあの石井桃子エッセー集の編集者による『新潮』で石井桃子論を出してた編集者さんの『ひみつの王国ー評伝石井桃子』が告知されていた。
色々とネットの世界を歩いていて知ったところによれば、この編集者さんは新聞記者として(現在も現役の編集委員)取材を重ねいろいろな話を聞いていたらしい。
『考える人』では水村美苗さんが石井さんのこの一冊として『幻の朱い実』を紹介しているのだけど、他の人たちは寄稿なのに、水村さんはこの編集者さんとの対談スタイル。
この編集者さんが石井さんから聞いたらしいこの作品の裏話なども対談で紹介されているのだけど。
「ふーん」と声を上げる私。
具体的な表現ができないのだけど、そして、この人が『新潮』で数年にわたり掲載してきた石井桃子論を私が全く読んでいないからかもしれないけど、なんだか、石井桃子という人が商業化されていくような気がしている。
優秀な編集者さんだとの評判の高い方らしい(他の作家論も評価の高い批評しか目にしてない)から、まさかそんなことはないと思うのだけど、でも、まるでタレント本の売り出し前みたいな。
福音館とか岩波じゃなくて新潮社なのか、とか。
エッセー集が河出書房新社から出るのと同じくらい、ちょっとした違和感。
河出のスタイルなのか、何か編集側の意図があるのか、石井さんの丁寧な日本語に相応しくない非常に雑な製本(上がズタズタな切り口)も、この評伝を読んだら意味が分かるのか。
読んだら、そんなことも忘れてしまえる、そんな本でありますように。
「ああ、石井さんと言う人はそういう面を持ち合わせる人だったんだー」と思いながらページをめくることになるのか「それは行間からも分かってた」と思うのだろうか。
たぶん、この編集者は作家への愛情以上に鋭い視点を全面に出すのでしょう。その鋭さが、これまでの作家論の対象となった作家たちに愛されているのだろうから。石井桃子という人について語る時、いままではファンの域を越えない論が多かったのだろうと思う。そういう意味で「知りたくなかった」的な話が出てくるのか?
本が出る前に、金井美恵子の本を借りて読まなくちゃ!と、予約を入れ、週末に図書館に行き(最近、図書館閉館時間までに自宅最寄駅につかないほど残業がつづいていたので・・・)ようやく目的の本を借りました。
目次をみると、『幻の朱い実』への書評らしい。
楽しみ楽しみ。
しかし、そのページに至るまでの書評の山・・・。読んだことのない作家の名前も多くて。作品を読んでから読むか、書評を読んでみていつかの日まで取っておくか。
きっと石井さん優先の読み方になっちゃうんだろうな~。
GWといえども、本当のお休みは昨日だけ。今日は休日出勤なので!お留守番で済めばいいのだけど・・・。
好きな作家のことだから、それは嬉しいのだけれど、そして、ちょっとびっくりしている。
ここのところ、ちょっとした「石井桃子」ブームになっているのでしょうか?
それが、日本の海外児童文学の翻訳を担った村岡花子の生涯が朝ドラになったからなのか、たまたまのことなのか。
石井桃子に関する本や特集が3月以来ずずいと増えてきたような。
河出書房新社で出版が続く、随筆集のシリーズ。
新潮社の季刊誌『考える人』での小特集(特集自体が「海外児童文学ふたたび」なのですけど)。
数日前の朝日新聞で金井美恵子エッセイ・コレクション集完結への批評(紹介か?)。既刊みたいですが、金井氏が石井桃子への非常に思いのこもった文学研究の文章を残していると読み。
PR誌「波」には直接的ではないけれど、新しいシリーズとなるらしい「Shincho modern classics」で新訳『くまのプーさん』を出した阿川佐和子氏のコメントとか。
私が所属する部署が設立された時のボスの趣味で、ボスの退職後もずっと購読し続けている(本好きが多い部署なので)「読書人」という週刊書誌新聞の広告で見つけた石井桃子論。
それとも、私が石井桃子さんが好きだから目につきやすいだけで、世間はそれほどブームになっているわけでもないのか。
河出から出ている随筆集は、ゆっくり読みたくて、また、通勤のバッグの中でグチャっとなってしまうのを避けたくて、と、日々の余裕の中で読みたいのに、結局、その時間がなかなか作れず、まだまだ3冊目も途中だと言うのに、もう4冊目が出てしまい・・・。
4月の初め、電車に1時間近く座りっぱなしの日があった。荷物も小さかったので3冊目を忍ばせた。ちょっとだけ読んでみた。いま、私たちが気楽に「観光」という海外旅行をするのとはちがい、彼女の時代には目的が必要であり、訪問先の人を直接知っているのではなく、誰かの紹介だったり、照会の結果に登場した、つまり「はじめまして」の日々を海外で送るのです!
その緊張感と、照会に紹介で応える(見知らぬ人に人を紹介するのは結構大変だと思う!)信頼と、そこから生まれる新しい人間関係と・・・。
ただ英語ができるから日本語に直すのではなく、その人、その人の作品をだれかに繋ぐ、その才能があるから(その分、疲れてもしまうのでしょうが)、石井さんの本はいつまでも愛されるのだろうなあ、と思った。
そして、戦後の彼女のエッセーのなかには、どんなテーマであっても、戦後民主主義の根付きへの喜び、根付きの中で生じる危うさへの危惧、うつりゆく時の中での警鐘が静かに語られている。それが21世紀も最初の10年を終えて、その維持が難しくなっているいまこの時に読み返すことで、スタート時の希望を後世の私たち、そのスタートの時には生まれてもいなかった私たちは追体験、想像しながら継承していかなくてはならない、と思うのです。
結構、彼女は時事についても一言二言触れているエッセーが多く、今のシュショーたちが強調する考えを知ったらなんと書くかなと想像したりして。
そして、依然として4冊目になっても、この随筆集の刊行の目的がいまだ明らかにならない(あとがきがない)。
実は、石井桃子をめぐるこの頃の出版状況は私にとっては「ミステリー」にもなっているのです。
いや、解が書かれているのでは?と想像できる文章が数か月前の文芸誌に出てるのは知っているのだけど、まだ地元の図書館に行けず、文芸誌を読んでない。
GWに読むべきか、読まざるべきか。
通勤時間にそんなことを考えながらとりあえず、『考える人』は買ってみてGW前半に少しページをめくってみた。
・・・・!新潮社の6月の新刊としての広告に、
色々とネットの世界を歩いていて知ったところによれば、この編集者さんは新聞記者として(現在も現役の編集委員)取材を重ねいろいろな話を聞いていたらしい。
『考える人』では水村美苗さんが石井さんのこの一冊として『幻の朱い実』を紹介しているのだけど、他の人たちは寄稿なのに、水村さんはこの編集者さんとの対談スタイル。
この編集者さんが石井さんから聞いたらしいこの作品の裏話なども対談で紹介されているのだけど。
「ふーん」と声を上げる私。
具体的な表現ができないのだけど、そして、この人が『新潮』で数年にわたり掲載してきた石井桃子論を私が全く読んでいないからかもしれないけど、なんだか、石井桃子という人が商業化されていくような気がしている。
優秀な編集者さんだとの評判の高い方らしい(他の作家論も評価の高い批評しか目にしてない)から、まさかそんなことはないと思うのだけど、でも、まるでタレント本の売り出し前みたいな。
福音館とか岩波じゃなくて新潮社なのか、とか。
エッセー集が河出書房新社から出るのと同じくらい、ちょっとした違和感。
河出のスタイルなのか、何か編集側の意図があるのか、石井さんの丁寧な日本語に相応しくない非常に雑な製本(上がズタズタな切り口)も、この評伝を読んだら意味が分かるのか。
読んだら、そんなことも忘れてしまえる、そんな本でありますように。
「ああ、石井さんと言う人はそういう面を持ち合わせる人だったんだー」と思いながらページをめくることになるのか「それは行間からも分かってた」と思うのだろうか。
たぶん、この編集者は作家への愛情以上に鋭い視点を全面に出すのでしょう。その鋭さが、これまでの作家論の対象となった作家たちに愛されているのだろうから。石井桃子という人について語る時、いままではファンの域を越えない論が多かったのだろうと思う。そういう意味で「知りたくなかった」的な話が出てくるのか?
本が出る前に、金井美恵子の本を借りて読まなくちゃ!と、予約を入れ、週末に図書館に行き(最近、図書館閉館時間までに自宅最寄駅につかないほど残業がつづいていたので・・・)ようやく目的の本を借りました。
目次をみると、『幻の朱い実』への書評らしい。
楽しみ楽しみ。
しかし、そのページに至るまでの書評の山・・・。読んだことのない作家の名前も多くて。作品を読んでから読むか、書評を読んでみていつかの日まで取っておくか。
きっと石井さん優先の読み方になっちゃうんだろうな~。
GWといえども、本当のお休みは昨日だけ。今日は休日出勤なので!お留守番で済めばいいのだけど・・・。
はじめまして。石井さんの評伝を刊行を待ち続けていて、検索でこちらの記事を拝見しました。
私も全体像がわからないまま次々と出た河出からのエッセイ集はちゃんと編集方針を示して刊行して欲しかったなぁと思っていたのですが、あれを編集されてるのは、何冊目かにやっと編集された方の名前がクレジットされていて、たぶん河出の中の方だと思われます(この方がそれまでの何冊かも担当さrたのだろう、というのは推測ですが)。
今度、新潮社の方から評伝を出される方は、書いておられるように新聞社の方で、別の人ですよね。石井さんが亡くなられたときには。追悼文を書かれていましたし、これまでにいくつか石井さんに関するテキストを発表されています。石井さんへのまとまったかたちでのインタビュー(未発表)や、近しい人から託された資料(書簡などだったか)があって、評伝を執筆するという話を、4年前に池袋の図書館で行われた石井さんに関する講演会でおっしゃっていました。
金井さんは、たくさん石井さんについてのテキストを書かれていてどれもすばらしいものです。石井さんのインタビューの聞き手もされたこともあります。
私も全体像がわからないまま次々と出た河出からのエッセイ集はちゃんと編集方針を示して刊行して欲しかったなぁと思っていたのですが、あれを編集されてるのは、何冊目かにやっと編集された方の名前がクレジットされていて、たぶん河出の中の方だと思われます(この方がそれまでの何冊かも担当さrたのだろう、というのは推測ですが)。
今度、新潮社の方から評伝を出される方は、書いておられるように新聞社の方で、別の人ですよね。石井さんが亡くなられたときには。追悼文を書かれていましたし、これまでにいくつか石井さんに関するテキストを発表されています。石井さんへのまとまったかたちでのインタビュー(未発表)や、近しい人から託された資料(書簡などだったか)があって、評伝を執筆するという話を、4年前に池袋の図書館で行われた石井さんに関する講演会でおっしゃっていました。
金井さんは、たくさん石井さんについてのテキストを書かれていてどれもすばらしいものです。石井さんのインタビューの聞き手もされたこともあります。
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eastwind-335 at 2014-05-14 08:21
junさん、はじめまして。
このようなブログですが、どうぞよろしくお願いいたします。
今回は、私の誤解をご指摘いただきありがとうございます。本を見直したら、違う方の名前でした。どこかの時点で思い込んでしまったようです。気を付けます。
(なお、しばらくは見せ消しの形で訂正をします)
石井さんの評伝を執筆されている方のことについてもお知らせくださりありがとうございます。
評伝で、石井桃子という人について、どんな視点で、何を書かれるのか。著者がこれまで書いたものを読まずに、評伝に正面から向き合ってみたいと思ってます。
また、何か興味深いお話がありましたら、コメントにお寄せいただければ幸いです。
金井さんの「幻の朱い・・・」についてのテキストは、私が初読の時に感じたことも描かれていて、ホッとしたり。当時の私の周囲は作家としての石井桃子はもとより翻訳家としても知らない、とか「子供の本の人でしょ」と言い切る人が多く、共に語ることができずうずうずしていたのを思い出しました。
コメント本当にありがとうございました。
このようなブログですが、どうぞよろしくお願いいたします。
今回は、私の誤解をご指摘いただきありがとうございます。本を見直したら、違う方の名前でした。どこかの時点で思い込んでしまったようです。気を付けます。
(なお、しばらくは見せ消しの形で訂正をします)
石井さんの評伝を執筆されている方のことについてもお知らせくださりありがとうございます。
評伝で、石井桃子という人について、どんな視点で、何を書かれるのか。著者がこれまで書いたものを読まずに、評伝に正面から向き合ってみたいと思ってます。
また、何か興味深いお話がありましたら、コメントにお寄せいただければ幸いです。
金井さんの「幻の朱い・・・」についてのテキストは、私が初読の時に感じたことも描かれていて、ホッとしたり。当時の私の周囲は作家としての石井桃子はもとより翻訳家としても知らない、とか「子供の本の人でしょ」と言い切る人が多く、共に語ることができずうずうずしていたのを思い出しました。
コメント本当にありがとうございました。
by eastwind-335
| 2014-05-06 07:45
| Books
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