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あの時は二つの国だった(22)ポツダムといえば

日本人のかなりの人がドイツにあるのを知っているけれど、どこにあるかを正確に知らない地名の一つが「ポツダム」だと思います。

私は中学の頃、フルート吹きだったので、サンスーシ城でフルートを吹くフリードリヒ大王の絵、というものをみたこともありました。そこがポツダムの地にあると知ったのは、大学の西洋史の授業の時だったと思います。
(高校の時、普通は世界史の授業で習うんでしょうけれど、そういう学校じゃなかったもので・・・)

前日、彼が来ていたというブラウス(寝巻用?)を博物館で見て、「うわー、ホントに大男だったんだ!」とびっくりしたワタクシ。あのサンスーシ城の、憂いある表情のフルーティストは大男だったわけ?!と一人びっくりしていたのでした。フリードリヒ大王の「大」は偉業をたたえて、と聞いてますが、ホントは「大」男だったんだと信じてます。

あの時は二つの国だった(22)ポツダムといえば_a0094449_21535618.jpgZoo駅で家人と待ち合わせをして、向かう先はそのポツダム。向こうで、お仕事でご一緒した日本人の方々や各国の方10余名でポツダム見学をすることになったのでした。英語で解説してくれる方が待っているとか。

車窓からの風景で一番印象に残ったのがコチラ。
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あの時は二つの国だった(22)ポツダムといえば_a0094449_21553124.jpgポツダム駅に到着

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ここから待ち合わせ場所の旧市場までは徒歩でもそれほど時間はかかりません。
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あの時は二つの国だった(22)ポツダムといえば_a0094449_21584456.jpgトラムも走ってます。

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あれ?工事中?
あの時は二つの国だった(22)ポツダムといえば_a0094449_65213.jpg橋を渡って川を越えます。
橋は比較的新しいもののようです。

途中、昔映画館だったところでお昼ご飯を頂きました。
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内装もお料理もやや中東系のものが多かったかな?
集合時間まで30分しかなかったので、家人はmenuにしたものの私はケーキを頼んだだけ(正解だったかも。家人はギリギリに食べ終わってたから)。
壁にはここの歴史が記されていました。もとはオランジェリーだったのですね(確かに横から見ても上から見ても採光を考えている建物と思いましたが)。
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食事を終え、どういう国の方と一緒になるのかな、とやや緊張しながら、待ち合わせ場所に向かいます。
方向指示版の通りに歩くと、狭い道が。草ぼうぼう!にはびっくり。でも、こう言っちゃナンですが、この埃っぽい感じが私のイメージする旧東ドイツなんです・・・。本当は、手前の工事のために手入れをしていないだけで、いつもはこんなことではないそうです。
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向こうに見える建物と対照的な感じ。若い人が行きかうので注意してみたら、左手の建物はHochschuleの建物でした。街の図書館も入っているようです。
そこを抜けると、違う空間が!
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オベリスクの向こうは市役所(左)とポツダム博物館(右)です。
ウォーキングツアーで一緒になったのは、南米の方やスペインの方でした。解説は、ドイツ人と結婚しベルリンに暮らすアメリカ人男性。

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ニコライ教会は中も立派でした(撮影は控えました)。これも再建したものみたい。日本的基準で考えるとカトリック的な建築物ですが、実はここもプロテスタント。
オベリスクがある広場の向こうは、目下再建築中の宮殿。より本来の姿に戻すのだとか。
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ここをスタートに、フリードリヒ大王の話を交えながら、街のあちこちを歩きます。
あの時は二つの国だった(22)ポツダムといえば_a0094449_7505648.jpgまずは、みんなが不思議がっていた建物。ポツダムのHochschule、旧東ドイツっぽいデザインだな~と思っていたらやっぱりそうでした。

古い市があったところから通りを挟んでノイエ・マルクトへ。
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バロック式の建物でできている一角。18世紀の趣を残す建物でできている一角です。フリードリヒ大王も小さなころここにいたことがあるのかな?(もはや説明も記憶のかなたへ・・・)
屋根の上の彫刻が面白く写真を撮っていてほとんど聞き逃してました(汗)。
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あの時は二つの国だった(22)ポツダムといえば_a0094449_9112015.jpg向かいにあるのがKabinethaus。ここで生まれたのがフリードリヒ大王の後を継いだ国王(フリードリヒ3世)。弟の子供だそうです。

フリードリヒ大王はあんまり女性が好きじゃなかったらしい、とか、ここが役所の一つだったとか、そういう話を伺いながら、一見するとなーんでもなさそうな道を歩きます。しかし実はここもポツダムの旧市街の端っこ。いろんな歴史的由緒のあるところなのです。そんな道にあったのが、ジャガイモ大王、じゃなかったフリードリヒ大王を偲ぶ展覧会のポスター。ジャガイモもこんなにステキに描いてもらえたら(笑)。
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おや?撮影中!
あの時は二つの国だった(22)ポツダムといえば_a0094449_9191919.jpgいかにも「再建しました!」という建物が遠くに見えます。ポスターにでも使うのかな?暑い夏日でしたが、モデルさんたち、顔色変えずににこやかにカメラをむける私たちにも微笑んでくれました。

あの時は二つの国だった(22)ポツダムといえば_a0094449_9204797.jpgさらに歩くと、ポツダム大学。ドイツ統一後にできた大学なんだそうです。
にしては、壁のイラストは東っぽい?ここはコンピュータサイエンスの学部の建物だとか。

あの時は二つの国だった(22)ポツダムといえば_a0094449_9383131.jpg向かいの公園にはグロッケンシュピールが。

そして、フリードリヒ大王の時に軍が置かれていた場所も近くにありました。
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あの時は二つの国だった(22)ポツダムといえば_a0094449_9395335.jpgこのツアーで初めて知ったのですが、軍に関係する建物には、大砲などのモチーフが壁にあるんだそうです。
ポツダムは軍都でもあったのかな?


軍人の住まいも多かった地域。身分が低いと屋根裏部屋に部屋をもったそうです。
あの時は二つの国だった(22)ポツダムといえば_a0094449_9405824.jpg・・・あれ?家人が少佐の町に長期出張していた時もこういう部屋だったはず・・・。出張先が用意してくれた部屋が高過ぎて日本側からもっと安い部屋にするように言われたのでした(笑)。

建物の外装から暮らす人たちの階層がわかるとは興味深いです。とくに、欧米は街中は圧倒的に集合住宅が多いから、「素敵な外装」なだけで通り過ぎそうになりますが、建物の話を聞くと、いにしえの日々が想像できる気がします。
あの時は二つの国だった(22)ポツダムといえば_a0094449_9424218.jpgここは衛兵待機所。

あの時は二つの国だった(22)ポツダムといえば_a0094449_11224526.jpgここまでが昔のポツダムの町だった、とわかる城門が残されてもいます。

そんな19世紀の日々でポツダムの町が終わったのではない、つまり現代性のある観光資本を持ち合わせてます。
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かつてシュタージがあったところ(中には入らなかった)です。
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あの時は二つの国だった(22)ポツダムといえば_a0094449_11353136.jpgさらっと道に事実が記されています。ほかの建物とさほど変わらない外装。

手前はお土産屋さん。壁の雰囲気も新しい感じだし。
あの時は二つの国だった(22)ポツダムといえば_a0094449_1136151.jpg周囲はこんな感じ。

あの時は二つの国だった(22)ポツダムといえば_a0094449_1136578.jpg子供たちが踏んでいるものは音がするもので、この男の子、とっても楽しそうでした。

あの時は二つの国だった(22)ポツダムといえば_a0094449_1137289.jpg聖家族よろしき像もありました。

1990年以前からこのあたりの雰囲気はこうだったのかと伺って見たらよかったな、と帰国して写真を整理した時に思いました。が、この日は暑くて暑くて・・・。
ここからまっすぐ行ったらサンスーシー宮殿というところでガイドさんとはお別れ。
彼とともに歩いたのはこの地図の通り。
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われわれ日本人組は「いつ、ポツダム宣言の話になるのか」とちょっとした緊張感をもって歩いていたのに一言も触れなかったので、びっくり。英語の得意な方が代表して尋ねてくださったところ、「だって、会議をしたのはこの街じゃないだし」とのこと。
そうなんですよね。会議があったのはココではない。
サンスーシー城に到着!ここには別のオベリスクが・・。
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サンスーシー城といえば、フリードリヒ大王のフルートを吹く間なども見なければならないのだと思うのですが、広ーい!
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誰もガイドブックを持っていなかったこともあり(汗)、どこをどう歩いたらいいのかもわからなかった、ということもあるのですけれど・・・。
とりあえず、よく「サンスーシー城」の写真として紹介されるところまでは歩こうということになりました。
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家人を含め日本人は夕方からまたお仕事がある人ばかりのため、遠くに宮殿が見えるところまでで、バスで駅に戻ることにしました。

ガイドさんが「バス停が公園内にある」ということで、地図でも確認してみたのですが、あるとしたらかなり歩く必要があるみたい。お一人、脚が不自由な方もいたので、宮殿が見えるところまででも大変だったかもしれません。

サンスーシーはまたゆっくり訪れてみたいです。

ポツダム駅に戻り、私は一人で市の観光局がやっているおみやげ屋さんへ。
欲しかったものは残念ながらサイズ切れでしたが、フリードリヒ大王のエコバッグは買いました。
お買いものはスイスイできたこともあり、結局家人たちの乗った電車に間に合いました。

フリードリヒ大王のことが分かった(きっと評伝を読んでたら有名な話ばっかりだったのでしょうけれど)この小遠足。これまで、歴史的な人物としては知っていましたが、なんか近寄りがたい感じがしていました(って、歴史上の人物に近しいも近寄りがたいもないんですけれどね!)。でも、この数日で、すっかり「でっかなオジさん」って感じに・・・・(こらこら)。

それから、実は、街のポスターでちょっと気になるものがあったりして、それが後からワタクシとしては、ポツダム遠足の最大のおみやげだったりして!
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あの時は二つの国だった(22)ポツダムといえば_a0094449_1151347.jpgひとり、この広告に反応してしまい、同行の日本人のみなさまに「このヒト大丈夫?」という視線で射抜かれそうに(汗)。


家人たちは仕事場があるZoo駅へ。私はそのまま先まで乗っていきます~。こうやって、夫についてこないヨメとして、数名の日本人の皆様の記憶に残ることになりました・・・。
by eastwind-335 | 2012-11-17 12:05 | 旅の思い出12朝帰りde欧州旅行 | Trackback | Comments(0)

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