あの時は二つの国だった(21)ベルリンは水の町
2012年 11月 03日
この日は、午後から家人や仕事先の方と小さな遠足をする日。
午前中は私は東ドイツ政府がベルリンに「再現した」伝統的な街ニコライ地区へでかけました。
そもそも、私が高校時代に知っていたドイツは第二次世界大戦で空襲を受けた国の一つ(空襲を他国へ行った国としても、ですが)でした。ところが、大学生になって初めてドイツに行ったとき、伝統的な町並みの町が多く(ミュンヘン然り、アウグスブルク然り、ノイシュバンシュタイン城しかり、ケルンしかり・・・・)、京都や奈良のように空襲を受けなかったのかな(←決して空襲を受けなかったわけではない、ということを後に知りますが・・・。)と思ったほど、大きな建造物が銅版画に描かれたように街のメルクマールになっていたことに驚いたものでした。
けれど、空襲の度合いは様々ですが、私が見た街並みはやはり再現されたものが多かったのでした。
しかし、それは空襲後わりとすぐのことだったのではないか、と思うのです。それが、1987年に東ドイツ政府がベルリン市制750年を祝って「作り出した」いにしえの町があるなんて!
このニコライ地区のことを知ったのは、この夏のベルリン775年祭の一環として、19世紀ごろの服装で町の住民がお出迎えするというイベントが市のHPで紹介されていたからです。残念ながらイベントの日にはベルリンを離れることにしたので行けなかったのですが、街のことを調べていくうちに(ネットって本当に便利)「作られた町」の見学もいいんじゃないかな~と思いまして・・・。
中村本にも紹介がもちろんありました。今回の旅行では、日本語で解説が手軽に読めることもあって、この本には非常にお世話になりました。ただ、ほとんど「初めて」に近い人間にとっては、個別情報は非常に役立ったものの、地図の距離感が今一つちゃんとつかめなくて・・・。近いのか遠いのか。やっぱり自分の足で歩かないとわからないものですね。
まずはKloster Str.駅で降りて、中世の城壁、つまりベルリンの中のベルリンを目指します。
が、さっそく足止め。
だって、駅の内装がいいんだもん。
ベルリンのSバーンやUバーンの駅ってそれぞれ個性がありますよね~。一番足りないのは、案外中央駅ではなかろうか?とすら思ってしまう私です。まだまだ開発途中の地なのでしょうか?
階段を上がり、方向を確認するためにキョロキョロ。
振り返って見えたビルの壁に詩?手前に新しいビルができるのかしら?工事中かしら?
ハッ、いけない、いけない。今日は時間が限られているんだったわ・・・と、中世の城壁の方面へ・・・と中村本の地図を片手に向かい始めると・・・。
あら?ちょっと変わった建物ですねー。
目的地に着く前にまだまだ気になるところが。
一見するとふつうの教会だけれど、何か違うような?そして、私はカトリックよりもプロテスタント教会のほうに反応しやすくて・・・ここがどうもこの地区のプロテスタント教会のある教派の中心らしき看板もあり・・・。
あ、中に入れるんだ~。私の印象ですが、観光資源となっていないプロテスタント教会っていつもオープンというわけではないんですよね。平日でもオルガンの練習の時とかは入れるけれど。
中に入ってびっくり!
前々日のボーデ美術館での十字架を見る体験がなかったら、斬新な内装だ!と心底びっくりしたことでしょう。でも、こういう吊り下げ型の十字架ってドイツ特有なのかしら?
この「パロキアル教会」は建設学校も協力しての再築中のよう。天井がこれまで訪れたことのあるドイツの教会では一度も見たことがない形でした。
が、中村本をよく読んでいなかったため、空襲で受けた被害のままの教会クロースター教会は見逃してしまいました。どうもクロースター教会が、鴎外の『舞姫』にも出ているんだとか。もちろん、時間が限られていたので仕方なかったし、私は実を言うと鴎外の『舞姫』は好きではないのです。とはいえ、クロースター教会はいわば廃墟。次にベルリンにいつ行けるかわからないので、次はもうないかも?旅は一期一会の楽しさがありますが、中村本を読み返しては「ああ、この地区をもう少し見たかったな」と思うことも。
パロキアル教会の前には市庁舎の別棟があり、そこでは結婚宣誓の後なのか、記念撮影中。おめでとうございまーす
城壁は一部残されているだけです。とはいえ、よくぞ東ドイツ政府がこれを残しておいたものだ、と思いました。
この街の名物の一つ、赤い市庁舎(旧東ベルリン市庁舎)はその色のおかげでばっちりわかりました。
シュプレー川沿いの道が散歩道として紹介されていたので、そちらへ向かおうとしたのですが、いやいやびっくり。向こうにわたる横断歩道がありません。交通量が多いので、結局クロースター駅まで歩いて戻ります。
おかげで、再び、詩が書かれたビル前に来ることとなり、発掘中の場所を覗き見ることができました。
ベルリンも京都や鎌倉のような歴史都市のように、掘ったら何か出てくる土地柄でしょうね。特に、ここはベルリンの中のベルリンだったわけだから・・・。ベルリンと考古学、ってテーマで街歩きをしてみるのも面白そう~。
新ユダヤ人通り(歴史的にユダヤ人が多いところだったのね)を川へ向って歩いていると、あら、かわいい!という壁かざりが。気に入ったので、何枚か写真でご紹介。
この竹のオブジェはアパートの川沿い側にもありました。何に使うのかしら?
アーティストのアトリエがあるのかな?クマのマークも可愛いし、鳥の巣箱のようなオブジェもかわいい。
鳥の巣箱はドイツっぽいけれど、いくつかの巣箱に描かれたイラストはドイツというよりは日本とか韓国の文具で見られるタイプ。あら、封筒がはさんである!
反対側から見ると、モグラアニメの主人公も描かれていました!
ところで、この日はベルリンを歩き回って5日目。
今回のベルリン滞在は、私にしては珍しく、ほとんどの見学地が知り合いから勧められた場所と中村本を参考に「行ってみようかな」というところを歩き回った、やや受け身の毎日。だから、ベルリン市全体の地図が頭に入っていなかった(よくぞ御無事で!笑)。その日一日一日が「点」になっていて、その点が空間として結びついたのは、実は帰国して、写真を整理して、地図を見直してから。
そのため、この写真を撮ったときには、実はこの川(シュプレー川)が博物館島に続いているとは思わなかったし、川幅が想像以上に広くてびっくり。
そして、川の向こうに広がる風景はまるで東京のウォーターフロント(死語)みたいな風景。
ベルリンの勝どきと勝手に命名!
実は町の中を川が走っている街でもあるんですよね、ベルリンも。
私の中では、ベルリンは22年前のほんの数日の滞在だけがよりどころ。その時は、ベルリンと言えば東西体制の象徴であり、壁こそがベルリンだった。ベルリンの壁は知識として知っていたけれど、ベルリンがドイツのどこにあるかも知っていたけれど、ベルリンという地の地図はきちんと見たことがなかったのです。
滞在4日目までは22年間を埋め尽くす、そんな旅でしたが、この日、私が見たベルリンは2012年夏のベルリンだった、と、このブログを書きながらつくづく思います。
さあ、いよいよ目的のニコライ地区です。ここは1230年創建のニコライ教会を中心にできている地区。
中村本ほか、ググると、1987年に東ドイツ政府肝いりで中世風に再現した街並みであることがわかります。
テーマパークではなく、ちゃんと人が生活している街でもあります。
郵便だって、ほら、ちゃんとDeutsche Postが配達してるし!
背中にホルンマークがついているのね!
1984年以前のベルリンの発祥の地の風景がどうだったのか知りたいものです。
ここがニコライ教会
教会の前にはお土産物屋、しかもクマのぬいぐるみがいっぱいのお店が何軒も!
教会の前にはクマちゃんたちが、まるで父ちゃん一家のリラックス状態でお待ちかね。
ニコライ教会は中は市立博物館になっているそうで、修学旅行に来ていた子供たちが吸い込まれるように入っていきました。これがグリム童話だったら、二度と出てきませんでした、になるのかな(違)。
教会の前にはクマの像を頂点とする噴水がありました。
お水がチョロチョロ出ているのがお判りになりますか?
The 共産党マークによって、東ドイツ時代に作られたのがわかりますよね~。
まさか、東ドイツ政府もこの時には2,3年のうちに自国が無くなるとは思ってもいなかったことでしょう・・・。壁が開いても、旧東ドイツ政府のこの時点での整備がなかったら先日の新シナゴークといい、そしてここといい、簡単に見学できることはなかったわけですよね~。壁が開かなかったら、いくら整備されていたとしてもこういうところはもちろん見学できなかったし、さらに、博物館島の整備はなかったでしょうし(あっても違う形だったかな?)。
教会の周りをグルっと1周して大急ぎで駅に戻り、向かうは本当に熊を飼っている公園です。地下鉄の同じ線にあるメルキシェ博物館駅だから、移動は楽勝!
誰か待っているのかしら?
ここにあるメルキシェ博物館(民俗博物館)も興味があるのだけれど、今回は時間がない~(一度入ったら1時間以上いるのは目に見えていた)。入り口で「こちらの博物館で熊を飼っているとか?」と尋ねたら、通り過ぎた公園にいるとのこと!受付の案内の方が「すばらしいんですよ~うちの博物館も!」とおっしゃってくださったのが、非常に申し訳なく・・・。次回はまずここを訪問だ!と決めました。私、民俗博物館がとっても好き。
さて、クマ舎。びっくり。ふつうの公園にポツンとあるんですよ!こんな公園、日本にあるのかしら?
人寄せのために最近飼い出したのではなく、なかなか歴史のある飼育の様子?こちらは古いクマ舎らしいです。
古い年号が刻まれています。
こちらのクマはヨーロッパクマという種類だそうです。クマ年齢からするとそろそろ年金生活者?
クマ舎は普段は無人なのかもしれませんが、実は番犬もいたりする!
さあ、かわいいクマちゃんのお出ましですよ~。Steiffのクマの背中にコブがあるのは、クマラーには常識なのですが、ほんと、クマって背中がボッコリしているのね!
こんなところ、子連れかワタクシぐらいかな~と思っていたら、案外スーツ姿の30代(たぶん)の男性とかも休憩なのかやってきていました。柵にへばりついていたワタクシの横に来て、「やあ、お、今日はいい日だな~。クマがこっちにも出てきた」と話しかけてきたのでした。「子供に後で見せる」とかいって携帯で写真を撮ってましたよ。
あー、家人から午前中の仕事は終わった、とのメール!Zoo駅に戻らなくっちゃいけないわ。と駅へ急ぐ私の周りを向こうから子供たちが「わあーっ」と言って走ってきました。どこの国もコドモってカワイイですね。手を振る子もいたりして、嬉しくて振り返しました。
クマのところ、行くのかしら?
午前中は私は東ドイツ政府がベルリンに「再現した」伝統的な街ニコライ地区へでかけました。
そもそも、私が高校時代に知っていたドイツは第二次世界大戦で空襲を受けた国の一つ(空襲を他国へ行った国としても、ですが)でした。ところが、大学生になって初めてドイツに行ったとき、伝統的な町並みの町が多く(ミュンヘン然り、アウグスブルク然り、ノイシュバンシュタイン城しかり、ケルンしかり・・・・)、京都や奈良のように空襲を受けなかったのかな(←決して空襲を受けなかったわけではない、ということを後に知りますが・・・。)と思ったほど、大きな建造物が銅版画に描かれたように街のメルクマールになっていたことに驚いたものでした。
けれど、空襲の度合いは様々ですが、私が見た街並みはやはり再現されたものが多かったのでした。
しかし、それは空襲後わりとすぐのことだったのではないか、と思うのです。それが、1987年に東ドイツ政府がベルリン市制750年を祝って「作り出した」いにしえの町があるなんて!
このニコライ地区のことを知ったのは、この夏のベルリン775年祭の一環として、19世紀ごろの服装で町の住民がお出迎えするというイベントが市のHPで紹介されていたからです。残念ながらイベントの日にはベルリンを離れることにしたので行けなかったのですが、街のことを調べていくうちに(ネットって本当に便利)「作られた町」の見学もいいんじゃないかな~と思いまして・・・。
中村本にも紹介がもちろんありました。今回の旅行では、日本語で解説が手軽に読めることもあって、この本には非常にお世話になりました。ただ、ほとんど「初めて」に近い人間にとっては、個別情報は非常に役立ったものの、地図の距離感が今一つちゃんとつかめなくて・・・。近いのか遠いのか。やっぱり自分の足で歩かないとわからないものですね。
まずはKloster Str.駅で降りて、中世の城壁、つまりベルリンの中のベルリンを目指します。
が、さっそく足止め。
だって、駅の内装がいいんだもん。
ベルリンのSバーンやUバーンの駅ってそれぞれ個性がありますよね~。一番足りないのは、案外中央駅ではなかろうか?とすら思ってしまう私です。まだまだ開発途中の地なのでしょうか?
階段を上がり、方向を確認するためにキョロキョロ。
振り返って見えたビルの壁に詩?手前に新しいビルができるのかしら?工事中かしら?
ハッ、いけない、いけない。今日は時間が限られているんだったわ・・・と、中世の城壁の方面へ・・・と中村本の地図を片手に向かい始めると・・・。
あら?ちょっと変わった建物ですねー。
目的地に着く前にまだまだ気になるところが。
一見するとふつうの教会だけれど、何か違うような?そして、私はカトリックよりもプロテスタント教会のほうに反応しやすくて・・・ここがどうもこの地区のプロテスタント教会のある教派の中心らしき看板もあり・・・。
あ、中に入れるんだ~。私の印象ですが、観光資源となっていないプロテスタント教会っていつもオープンというわけではないんですよね。平日でもオルガンの練習の時とかは入れるけれど。
中に入ってびっくり!
前々日のボーデ美術館での十字架を見る体験がなかったら、斬新な内装だ!と心底びっくりしたことでしょう。でも、こういう吊り下げ型の十字架ってドイツ特有なのかしら?
この「パロキアル教会」は建設学校も協力しての再築中のよう。天井がこれまで訪れたことのあるドイツの教会では一度も見たことがない形でした。
が、中村本をよく読んでいなかったため、空襲で受けた被害のままの教会クロースター教会は見逃してしまいました。どうもクロースター教会が、鴎外の『舞姫』にも出ているんだとか。もちろん、時間が限られていたので仕方なかったし、私は実を言うと鴎外の『舞姫』は好きではないのです。とはいえ、クロースター教会はいわば廃墟。次にベルリンにいつ行けるかわからないので、次はもうないかも?旅は一期一会の楽しさがありますが、中村本を読み返しては「ああ、この地区をもう少し見たかったな」と思うことも。
パロキアル教会の前には市庁舎の別棟があり、そこでは結婚宣誓の後なのか、記念撮影中。おめでとうございまーす
城壁は一部残されているだけです。とはいえ、よくぞ東ドイツ政府がこれを残しておいたものだ、と思いました。
この街の名物の一つ、赤い市庁舎(旧東ベルリン市庁舎)はその色のおかげでばっちりわかりました。
シュプレー川沿いの道が散歩道として紹介されていたので、そちらへ向かおうとしたのですが、いやいやびっくり。向こうにわたる横断歩道がありません。交通量が多いので、結局クロースター駅まで歩いて戻ります。
おかげで、再び、詩が書かれたビル前に来ることとなり、発掘中の場所を覗き見ることができました。
ベルリンも京都や鎌倉のような歴史都市のように、掘ったら何か出てくる土地柄でしょうね。特に、ここはベルリンの中のベルリンだったわけだから・・・。ベルリンと考古学、ってテーマで街歩きをしてみるのも面白そう~。
新ユダヤ人通り(歴史的にユダヤ人が多いところだったのね)を川へ向って歩いていると、あら、かわいい!という壁かざりが。気に入ったので、何枚か写真でご紹介。
この竹のオブジェはアパートの川沿い側にもありました。何に使うのかしら?
アーティストのアトリエがあるのかな?クマのマークも可愛いし、鳥の巣箱のようなオブジェもかわいい。
鳥の巣箱はドイツっぽいけれど、いくつかの巣箱に描かれたイラストはドイツというよりは日本とか韓国の文具で見られるタイプ。あら、封筒がはさんである!
反対側から見ると、モグラアニメの主人公も描かれていました!
ところで、この日はベルリンを歩き回って5日目。
今回のベルリン滞在は、私にしては珍しく、ほとんどの見学地が知り合いから勧められた場所と中村本を参考に「行ってみようかな」というところを歩き回った、やや受け身の毎日。だから、ベルリン市全体の地図が頭に入っていなかった(よくぞ御無事で!笑)。その日一日一日が「点」になっていて、その点が空間として結びついたのは、実は帰国して、写真を整理して、地図を見直してから。
そのため、この写真を撮ったときには、実はこの川(シュプレー川)が博物館島に続いているとは思わなかったし、川幅が想像以上に広くてびっくり。
そして、川の向こうに広がる風景はまるで東京のウォーターフロント(死語)みたいな風景。
ベルリンの勝どきと勝手に命名!
実は町の中を川が走っている街でもあるんですよね、ベルリンも。
私の中では、ベルリンは22年前のほんの数日の滞在だけがよりどころ。その時は、ベルリンと言えば東西体制の象徴であり、壁こそがベルリンだった。ベルリンの壁は知識として知っていたけれど、ベルリンがドイツのどこにあるかも知っていたけれど、ベルリンという地の地図はきちんと見たことがなかったのです。
滞在4日目までは22年間を埋め尽くす、そんな旅でしたが、この日、私が見たベルリンは2012年夏のベルリンだった、と、このブログを書きながらつくづく思います。
さあ、いよいよ目的のニコライ地区です。ここは1230年創建のニコライ教会を中心にできている地区。
中村本ほか、ググると、1987年に東ドイツ政府肝いりで中世風に再現した街並みであることがわかります。
テーマパークではなく、ちゃんと人が生活している街でもあります。
郵便だって、ほら、ちゃんとDeutsche Postが配達してるし!
背中にホルンマークがついているのね!
1984年以前のベルリンの発祥の地の風景がどうだったのか知りたいものです。
ここがニコライ教会
教会の前にはお土産物屋、しかもクマのぬいぐるみがいっぱいのお店が何軒も!
教会の前にはクマちゃんたちが、まるで父ちゃん一家のリラックス状態でお待ちかね。
ニコライ教会は中は市立博物館になっているそうで、修学旅行に来ていた子供たちが吸い込まれるように入っていきました。これがグリム童話だったら、二度と出てきませんでした、になるのかな(違)。
教会の前にはクマの像を頂点とする噴水がありました。
お水がチョロチョロ出ているのがお判りになりますか?
The 共産党マークによって、東ドイツ時代に作られたのがわかりますよね~。
まさか、東ドイツ政府もこの時には2,3年のうちに自国が無くなるとは思ってもいなかったことでしょう・・・。壁が開いても、旧東ドイツ政府のこの時点での整備がなかったら先日の新シナゴークといい、そしてここといい、簡単に見学できることはなかったわけですよね~。壁が開かなかったら、いくら整備されていたとしてもこういうところはもちろん見学できなかったし、さらに、博物館島の整備はなかったでしょうし(あっても違う形だったかな?)。
教会の周りをグルっと1周して大急ぎで駅に戻り、向かうは本当に熊を飼っている公園です。地下鉄の同じ線にあるメルキシェ博物館駅だから、移動は楽勝!
誰か待っているのかしら?
ここにあるメルキシェ博物館(民俗博物館)も興味があるのだけれど、今回は時間がない~(一度入ったら1時間以上いるのは目に見えていた)。入り口で「こちらの博物館で熊を飼っているとか?」と尋ねたら、通り過ぎた公園にいるとのこと!受付の案内の方が「すばらしいんですよ~うちの博物館も!」とおっしゃってくださったのが、非常に申し訳なく・・・。次回はまずここを訪問だ!と決めました。私、民俗博物館がとっても好き。
さて、クマ舎。びっくり。ふつうの公園にポツンとあるんですよ!こんな公園、日本にあるのかしら?
人寄せのために最近飼い出したのではなく、なかなか歴史のある飼育の様子?こちらは古いクマ舎らしいです。
古い年号が刻まれています。
こちらのクマはヨーロッパクマという種類だそうです。クマ年齢からするとそろそろ年金生活者?
クマ舎は普段は無人なのかもしれませんが、実は番犬もいたりする!
さあ、かわいいクマちゃんのお出ましですよ~。Steiffのクマの背中にコブがあるのは、クマラーには常識なのですが、ほんと、クマって背中がボッコリしているのね!
こんなところ、子連れかワタクシぐらいかな~と思っていたら、案外スーツ姿の30代(たぶん)の男性とかも休憩なのかやってきていました。柵にへばりついていたワタクシの横に来て、「やあ、お、今日はいい日だな~。クマがこっちにも出てきた」と話しかけてきたのでした。「子供に後で見せる」とかいって携帯で写真を撮ってましたよ。
あー、家人から午前中の仕事は終わった、とのメール!Zoo駅に戻らなくっちゃいけないわ。と駅へ急ぐ私の周りを向こうから子供たちが「わあーっ」と言って走ってきました。どこの国もコドモってカワイイですね。手を振る子もいたりして、嬉しくて振り返しました。
クマのところ、行くのかしら?
by eastwind-335
| 2012-11-03 19:00
| 旅の思い出12朝帰りde欧州旅行
|
Trackback
|
Comments(0)