一銭も持たない生き方

公共エイセイ放送でやっていたドキュメンタリー。
一人のドイツ人女性がもう10数年お金を持たないで生きてきたという話。
我が家は二か国語のものを録画すると両国語がいっぺんにでてしまうので、聞き取りにくい。
ケーブルを経由しての受信だから起きるんだとか。でも、たぶんどうにかしたらうまくいくんだろうと思うのですが、そのまんま。

WDR.tvでGeld gleich Gleuck?というタイトルで取り上げられたことがある彼女の日常を追いながら、自分たちのできる労働に見合うものを相手からもらうという点では単なる物々交換ではなく、シェアリングとも違う、「お金を持たずに生きる」とはどういうことなのかをドキュメンタリーとして描いたこの番組。まさかはしょってないよね?と思うこともあった作りではありましたが、家人と二人、お昼に見ました。

一般に、私たちは貨幣経済のなかで生きているゆえに、生活に困った人のために収入を得るための道を開こうとします。しかし、このドキュメンタリーの主人公は貧富の差を少しでもなくしていくためには、お金を持たない、多く持っている持て余している物がある人はそれを誰かに回すべき(譲るのではなく)だという考え方で生きてます。住むところもお金がなくても生きていけるという信念での彼女の日常なのです。
家もなく、スーツケース一つでの生活とはいえ、彼女にあった服を着て、彼女に似合うアクセサリーをして(これらは相手から「これはあなたに合う」と贈られるようですね)、清潔感あふれる初老の女性。一見したら家財道具がスーツケース一つの人とは思えないかも。

彼女の言動を見ているうちに、もっと困っている人がいる現代のグリム童話なのか、と思えなくもなかった。

彼女は自給自足をしているわけではありません。一見すると寄生に近い生き方のようにも思えます。ただ、与えられっぱなしではなく、彼女が相手に対して同等でいられる何か(ただ一緒にいる、という存在それだけも含め)と相手の持つ(余剰というべき)ものとを交換し合い、つまりお互いのプライドは保ちつつ、ちょっとした発想の転換をすることで少ないものでより豊かに生きている(とシンパには思われている)。
当然のことながら彼女のシンパは応援し受け入れるけれど、一部のメディアや一般の人々の中には彼女の行動を肯定的に見ないひともいます。そこをかなり隠さずに作ったドキュメンタリーだったと思う。
ウィーンのメディアが指摘したように、人脈が彼女の貨幣のような気もする。彼女がそういう考えで自分の築いたもしくは相手が培ってくれた人間関係を見られることに非常に激しい抵抗感を示していたのが印象的。でも、誰でも彼女のように人脈ができるわけではないし、家もお金を持たずに生きることは、たった一人ではできないことで、しかも文通までするようなシンパの人の家に何度もお世話になっているのを見ると、一般的には、やはりシンパは彼女の(精神的な)貨幣じゃないかしら?と思うんじゃないかなあ。

いまや、彼女はある種のスターで、先方が宿泊先やチケットを揃えて迎えるという感じになりつつもあり、その辺をイタリアのバラエティーショーでは突っ込まれていて、彼女が軽いパニック状態になってしまった(緊張した、と言ってたけど、正直あれはパニックだわ)シーンもありました。

50分足らずのドキュメンタリーですし、登場人物の出入りが激しいので、時系列がはっきりしないところもあったのですが、彼女は同意の志と必ずしもつるまないことが描かれていました。つまり共同体を作って、ではなく、それぞれが独立した関係でありたい、と強く望んでいるようです。いわゆる自給自足とは違うし。
彼女の理想、主義主張をインターネットで広めたらいいではないか、という意見に対して拒否する彼女。彼女が講演依頼を受けてから行動する点を含め、均一的なかつ一方的ともなる情報伝達を嫌がっているのを感じます。彼女はインターネットで彼女の主張をするのではなく、講演のスタイルでわかってもらえる人にわかってもらいたいと思っているように聞こえ・・・。私には彼女が目(字)ではなく耳(音声)で共感してもらえる人を探しているように見えます。とはいえ、著書も出しているそうで、イタリアでは図書館賞を受賞するほどなのだとか。
彼女には普通の人以上の主義主張が内在しているパーソナリティの強さが強調されていましたが、彼女がもともと教師や心理療法士だったことも考え合わせると、うまれつき、言葉(音声)によって人に影響を与える力を持ち合わせている人であり、その力を自分でも自覚しているんでしょうね。
彼女は戦争世代であり、子供時代から経済的に浮き沈みのある複雑な生き方をしてきた背景もあるのだろうと思いますが、結果としてお金という存在を超越できないのではないか、逆説的に囚われてしまっている、そんな気もしました。

食べる物については、施しの考え方がいまだに意識無意識の差はあれ多くの人に残っていると思われるヨーロッパでは、まだ調達は可能だと思うのです。彼女は「施し」には断固拒絶してますけどね。住むところも、巡礼の旅人に一晩の、もしくは数晩の宿を提供する、そういう文化をかつて有していた国々だから可能なことなのかしら。

日本じゃ「鉢の木」話になっちゃいます。
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by eastwind-335 | 2011-11-12 13:05 | テレビ | Trackback | Comments(0)

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