!ncredible? !ndia?(8)「小公女」の舞台へ・・・
2010年 09月 13日
会議中、遠足は都合3回行きました。一度目はコルコンダ・フォートの遺跡。
車中ではガイドさんがハイデラバードの街の歴史を説明してくれます。
イギリスから独立する時、最後の最後までインドからも独立する、と言っていたマハラジャが治めていたハイデラバード藩王国。
人口の大半はヒンドゥーなのに、政治的支配者層は圧倒的にムスリムという街としても有名なのだそうです。南インドはヒンディのほうが優位なのに、ここだけはムスリムが優位な州なのだとかで、そしてこの街ではムスリムは旧市街にほとんどが住んでいるらしいです。
最初は見慣れたインドの街並み(看板は映画宣伝ではなく「美容修士号をとりませんか?」の広告)でした。
よく見かけたインド式「お十時」。男性ばっかり。女性たちがこういう風にしている風景はほとんど目にしませんでした。
目的地コルコンダ・フォートが近づくにつれて・・・。
うっわー、初めて見たかも・・・。
最初はちょっとしたショックでした。目しか見えないんですもん。
近年、欧州の公教育の場ではこれを着て来るなという指導があり、摩擦が起きています。まあ、公教育では特定の宗教に傾倒しないことにはなっているわけだけれど・・・。個人的には、学校や行政側に「文化への寛容」を求めたいと思うのです。だって、これって、民族衣装ではない、宗教がかかわる衣装。シスターの服と一緒、それぐらい重たい覚悟を覚えるからです。でも、個人の信条とは別のところで、つまり強制されて着用しているのだったら、脱げるといいのにな、とは思ってます。
入口の近くにはバスターミナルらしきものがあるようで、そのためなのか、やたらと果物屋が店を並べていました。
私と家人の私見ですが、インドってペプシ王国なのかなあ・・・。後で、ゴルコンダから降りてきた汗だく家人が、この並びの売店で買ったのはコカコーラでしたが・・・(笑)。
ガイドさんの解説を聞きながら入城です。
うーん、なんだか広そうですねえ・・・。
この看板、手描きっぽくていい感じでした。
門の彫刻がこれまた素敵でして・・・。写真に撮れませんでしたが、インドって街中にクジャクがいるんですよ。この壁画にも彫られていました。
が、美しいものには棘がある、とはよく言ったもので、この上の窓から敵に対しては熱い油を注いだとか・・・。おっかなーい。
ここで手を打つとかなり遠くまで聞こえたそうですよ。本当かなあ・・・。必ず、みんなここで手をたたきます。でも、私が歩いている時には聞こえてこなかったけど・・・(笑)。
↑の写真のてっぺんまで目指します。暑い中よく歩きました・・・。
なんとなくヨーロッパみたいですよね・・・。でもインドですよ!
通路にある口に入ってみると・・・
こういう風になっていました。役所だか店だかになっていた、って話だった気がします。
実は二階建てになっているところが多いんですよ。
砦だけあって、岩場が多いのですが、すごいすごい。こんな作り方、誰がどう考えて造ったのでしょう・・・。
この砦は、水の問題があって使われなくなったのだとか。いくつか貯水池が作られていましたが、こんなところまで水を運ばされた人たち、大変だっただろうなあ。ちなみに今は電気で水を挙げていて、ちゃんと「飲料用」の水道(というか大きな岩タンクみたいでしたが)もありました。
ここの階段は何気なく辛かったです。
さてさて、刑務所のようなところへ行ってみましょう、ですか・・・。
怖いなー。ここ、ヒンドゥーなのかな、この赤は最近塗りなおしたに違いない・・・。ここ、電気はついてなくて、天井の穴の光だけなので、実際に見るともっと迫力があります。あれ?イスラムの施設じゃないのかな・・・。うーんうーん・・・。
こんな感じ。
街の眺め。かなり上ったのがわかります。
ようやくモスク・・・
モスクの塔の色を優先したので空の青さがわかりづらいと思いますが、このころになると空は青く、おてんとさまはランランで・・・。暑いのなんのって・・・。
ここが終点かと思いきや、まだまだ続く・・・と。
そして、またまたびっくりしたのが、ヒンドゥー寺院があったこと。なんでなのか、説明を聞かず、写真を撮りまくっていたワタクシ。それより、この楳図かずおワールドにびっくり。
ヒンドゥー寺院はネパールでよく行きましたが、それとも違う雰囲気が・・・。
昼間でも結構怖かったのですが、ここに夜連れてこられたら、間違いなくこれまでの人生でごめんなさい、と言わなくちゃいけないことを全部告白してしまうにちがいない。入口横の木にぶらさがっていた灯篭は何の意味があるのかしらん。実は、これの壊れたようなものがその辺に転がっていたのです。うーん、神事じゃないのかなあ。
ようやく、てっぺんにあたる場所へ。ここで会合などをもったそうですよ。
おデート中
さあ、下りだ!
城壁が続いているところが見えたりして、
歩いたことないけれど、万里の長城ってこんな感じなのかなあ、と皆で口々に言いながら下りていきます
お母さんらしき女性が彼女たちを撮っていた時にワタクシもパチリ・・・。結構女性だけで着ている人たちもいました。宗教が違ってもやってくるのかな、その辺のこと聞いてみたかったなあ・・。
ようやく平地へ到着。ここもお祈りするときに使った様子。3ってイスラム教にとっては大切な数字だ、とか言っていたような気がします。
おお、売店が!
ネコちゃんもいましたよー。野良犬はよくみたけど、ネコはここで見ただけです。
ガイドさんが、ここはダイヤモンドがよく採れたんですよーと説明してくれたので、家人に「そういや、小公女の主人公、セーラ・クルーってお父さんがインドでダイヤモンドを採掘していたんだよね」と話しかけたら「なんだ、その話?」と。
セーラといえば、ミンチン先生以外だとおさるさんとインド人従者じゃないのよ・・・。
「えー、小公女なんて児童文学の基本中の基本じゃーん!アニメで放映していた時はもう大人だったんでしょうねー」とイヂワルで返してみました(笑)。いや、放映時、私も毎週楽しみに見る年齢ではありませんでしたよ。
で、帰国してググったら、なんと!セーラのお父様はここでダイヤを採掘していたと。
期せずして、世界名作劇場の舞台(の裏側)にいた、というわけですね・・・。
うわー、もう少し丁寧に話を聞いておけばよかった~。というか、それぐらい、地球のスっ転び方にも書いておいてくれたらよかったのに・・・(違)。いや、スっ転び方は家人がマハラジャ旅行でおいてきてしまったのだった・・・。
私もサトウキビジュース飲みたかったー。でもツアー参加者は誰一人として飲みませんでした、が、みんな右側から写真を撮ってました。だから、少年をはじめ全員が右を見ているのです。そして、何度も何度も写真を撮るためにサトウキビを突っ込まされていました。そして、誰一人ジュースを買いませんでした・・・・。かわいそう。この後もツアーで数名見かけました、そういう人を。
続いて、コルコンダからも見えた玉ねぎ頭、もとい墓群クトゥブ・シャーヒ。
看板にすべての墓の外観が描かれています。後からこの絵を見直すと、本当、その通りに描かれていることに気づき・・・。大小さまざまですが、全部がそのまま保存されていたらどうなっていたことでしょう・・・。ここは、王族の墓がたくさんあったようですが、すべて同じ様式で、しかも完全な形で残っているのは一つだけなのだとかで、その一つだけを見ました。
玉ねぎ部分の下に入ると小さなお墓が。
タージマハールと違って写真OKでしたが、その分、なんか、あっさりしたお墓でもあり・・。
こちらは塔が残っていたそうです。でも中へは入りませんでした。
だって、ガイドさんが「どこも同じだから」って・・・。ああ、もう少し見たかったなあ・・・。でも、ここに残ってもタクシーもトゥクトゥクもなく・・・。
ガイドさんの話、あの時は結構聞いていたつもりでしたが、こうやってブログにまとめてみると結構聞き逃したり忘れていることばっかり。Wikiる元気もなく、とりあえず写真だけは先にupしておきます。
うーん、濃い半日でした。
車中ではガイドさんがハイデラバードの街の歴史を説明してくれます。
イギリスから独立する時、最後の最後までインドからも独立する、と言っていたマハラジャが治めていたハイデラバード藩王国。
人口の大半はヒンドゥーなのに、政治的支配者層は圧倒的にムスリムという街としても有名なのだそうです。南インドはヒンディのほうが優位なのに、ここだけはムスリムが優位な州なのだとかで、そしてこの街ではムスリムは旧市街にほとんどが住んでいるらしいです。
最初は見慣れたインドの街並み(看板は映画宣伝ではなく「美容修士号をとりませんか?」の広告)でした。
よく見かけたインド式「お十時」。男性ばっかり。女性たちがこういう風にしている風景はほとんど目にしませんでした。
目的地コルコンダ・フォートが近づくにつれて・・・。
うっわー、初めて見たかも・・・。
最初はちょっとしたショックでした。目しか見えないんですもん。
近年、欧州の公教育の場ではこれを着て来るなという指導があり、摩擦が起きています。まあ、公教育では特定の宗教に傾倒しないことにはなっているわけだけれど・・・。個人的には、学校や行政側に「文化への寛容」を求めたいと思うのです。だって、これって、民族衣装ではない、宗教がかかわる衣装。シスターの服と一緒、それぐらい重たい覚悟を覚えるからです。でも、個人の信条とは別のところで、つまり強制されて着用しているのだったら、脱げるといいのにな、とは思ってます。
入口の近くにはバスターミナルらしきものがあるようで、そのためなのか、やたらと果物屋が店を並べていました。
私と家人の私見ですが、インドってペプシ王国なのかなあ・・・。後で、ゴルコンダから降りてきた汗だく家人が、この並びの売店で買ったのはコカコーラでしたが・・・(笑)。
ガイドさんの解説を聞きながら入城です。
うーん、なんだか広そうですねえ・・・。
この看板、手描きっぽくていい感じでした。
門の彫刻がこれまた素敵でして・・・。写真に撮れませんでしたが、インドって街中にクジャクがいるんですよ。この壁画にも彫られていました。
が、美しいものには棘がある、とはよく言ったもので、この上の窓から敵に対しては熱い油を注いだとか・・・。おっかなーい。
ここで手を打つとかなり遠くまで聞こえたそうですよ。本当かなあ・・・。必ず、みんなここで手をたたきます。でも、私が歩いている時には聞こえてこなかったけど・・・(笑)。
↑の写真のてっぺんまで目指します。暑い中よく歩きました・・・。
なんとなくヨーロッパみたいですよね・・・。でもインドですよ!
通路にある口に入ってみると・・・
こういう風になっていました。役所だか店だかになっていた、って話だった気がします。
実は二階建てになっているところが多いんですよ。
砦だけあって、岩場が多いのですが、すごいすごい。こんな作り方、誰がどう考えて造ったのでしょう・・・。
この砦は、水の問題があって使われなくなったのだとか。いくつか貯水池が作られていましたが、こんなところまで水を運ばされた人たち、大変だっただろうなあ。ちなみに今は電気で水を挙げていて、ちゃんと「飲料用」の水道(というか大きな岩タンクみたいでしたが)もありました。
ここの階段は何気なく辛かったです。
さてさて、刑務所のようなところへ行ってみましょう、ですか・・・。
怖いなー。ここ、ヒンドゥーなのかな、この赤は最近塗りなおしたに違いない・・・。ここ、電気はついてなくて、天井の穴の光だけなので、実際に見るともっと迫力があります。あれ?イスラムの施設じゃないのかな・・・。うーんうーん・・・。
こんな感じ。
街の眺め。かなり上ったのがわかります。
ようやくモスク・・・
モスクの塔の色を優先したので空の青さがわかりづらいと思いますが、このころになると空は青く、おてんとさまはランランで・・・。暑いのなんのって・・・。
ここが終点かと思いきや、まだまだ続く・・・と。
そして、またまたびっくりしたのが、ヒンドゥー寺院があったこと。なんでなのか、説明を聞かず、写真を撮りまくっていたワタクシ。それより、この楳図かずおワールドにびっくり。
ヒンドゥー寺院はネパールでよく行きましたが、それとも違う雰囲気が・・・。
昼間でも結構怖かったのですが、ここに夜連れてこられたら、間違いなくこれまでの人生でごめんなさい、と言わなくちゃいけないことを全部告白してしまうにちがいない。入口横の木にぶらさがっていた灯篭は何の意味があるのかしらん。実は、これの壊れたようなものがその辺に転がっていたのです。うーん、神事じゃないのかなあ。
ようやく、てっぺんにあたる場所へ。ここで会合などをもったそうですよ。
おデート中
さあ、下りだ!
城壁が続いているところが見えたりして、
歩いたことないけれど、万里の長城ってこんな感じなのかなあ、と皆で口々に言いながら下りていきます
お母さんらしき女性が彼女たちを撮っていた時にワタクシもパチリ・・・。結構女性だけで着ている人たちもいました。宗教が違ってもやってくるのかな、その辺のこと聞いてみたかったなあ・・。
ようやく平地へ到着。ここもお祈りするときに使った様子。3ってイスラム教にとっては大切な数字だ、とか言っていたような気がします。
ネコちゃんもいましたよー。野良犬はよくみたけど、ネコはここで見ただけです。
ガイドさんが、ここはダイヤモンドがよく採れたんですよーと説明してくれたので、家人に「そういや、小公女の主人公、セーラ・クルーってお父さんがインドでダイヤモンドを採掘していたんだよね」と話しかけたら「なんだ、その話?」と。
セーラといえば、ミンチン先生以外だとおさるさんとインド人従者じゃないのよ・・・。
「えー、小公女なんて児童文学の基本中の基本じゃーん!アニメで放映していた時はもう大人だったんでしょうねー」とイヂワルで返してみました(笑)。いや、放映時、私も毎週楽しみに見る年齢ではありませんでしたよ。
で、帰国してググったら、なんと!セーラのお父様はここでダイヤを採掘していたと。
期せずして、世界名作劇場の舞台(の裏側)にいた、というわけですね・・・。
うわー、もう少し丁寧に話を聞いておけばよかった~。というか、それぐらい、地球のスっ転び方にも書いておいてくれたらよかったのに・・・(違)。いや、スっ転び方は家人がマハラジャ旅行でおいてきてしまったのだった・・・。
私もサトウキビジュース飲みたかったー。でもツアー参加者は誰一人として飲みませんでした、が、みんな右側から写真を撮ってました。だから、少年をはじめ全員が右を見ているのです。そして、何度も何度も写真を撮るためにサトウキビを突っ込まされていました。そして、誰一人ジュースを買いませんでした・・・・。かわいそう。この後もツアーで数名見かけました、そういう人を。
続いて、コルコンダからも見えた玉ねぎ頭、もとい墓群クトゥブ・シャーヒ。
看板にすべての墓の外観が描かれています。後からこの絵を見直すと、本当、その通りに描かれていることに気づき・・・。大小さまざまですが、全部がそのまま保存されていたらどうなっていたことでしょう・・・。ここは、王族の墓がたくさんあったようですが、すべて同じ様式で、しかも完全な形で残っているのは一つだけなのだとかで、その一つだけを見ました。
玉ねぎ部分の下に入ると小さなお墓が。
タージマハールと違って写真OKでしたが、その分、なんか、あっさりしたお墓でもあり・・。
こちらは塔が残っていたそうです。でも中へは入りませんでした。
だって、ガイドさんが「どこも同じだから」って・・・。ああ、もう少し見たかったなあ・・・。でも、ここに残ってもタクシーもトゥクトゥクもなく・・・。
ガイドさんの話、あの時は結構聞いていたつもりでしたが、こうやってブログにまとめてみると結構聞き逃したり忘れていることばっかり。Wikiる元気もなく、とりあえず写真だけは先にupしておきます。
うーん、濃い半日でした。
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by
himekagura
at 2010-09-15 16:36
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写真満載の日記楽しく読ませていただいてます。
なんだか自分も旅した気分です。
イスラムのチャドルの女性、あれを着てるときっと肌はシミなんかなくてきれいだろうなあ、、なんて思ってしまいます。紫外線が良くないとわかっていても、自転車で走り回ってる私の顔はシミだらけですから、、。
小公女に限らず、昔のイギリスの話って、結構インドから帰ってくる船が沈没して、、なんていうの多かったですね。それだけそういう事故が多かったのかも。
なんだか自分も旅した気分です。
イスラムのチャドルの女性、あれを着てるときっと肌はシミなんかなくてきれいだろうなあ、、なんて思ってしまいます。紫外線が良くないとわかっていても、自転車で走り回ってる私の顔はシミだらけですから、、。
小公女に限らず、昔のイギリスの話って、結構インドから帰ってくる船が沈没して、、なんていうの多かったですね。それだけそういう事故が多かったのかも。
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東風
at 2010-09-16 11:19
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himekaguraさん、こんにちは。
なーるほど、シミ対策!
いやいや、himekaguraさんはシミが少ないと思いますよー。
インドとイギリスって本当に遠いし、ボンベイとカルカッタも実は大陸の両極。なーんて考えると、当時の航海術からすると本当に大変だったでしょうね・・。
なーるほど、シミ対策!
いやいや、himekaguraさんはシミが少ないと思いますよー。
インドとイギリスって本当に遠いし、ボンベイとカルカッタも実は大陸の両極。なーんて考えると、当時の航海術からすると本当に大変だったでしょうね・・。
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akberlin at 2010-09-17 18:21
うーん、インクレディブルな国ですね〜。
楽しみに読ませていただいております。
himekaguraさんもおっしゃってますが、沖縄の太陽はいまだにギラギラ、
ワタシもチャドルでも着込まないと腕から顔からシミ、そばかすだらけです
・・・。
楽しみに読ませていただいております。
himekaguraさんもおっしゃってますが、沖縄の太陽はいまだにギラギラ、
ワタシもチャドルでも着込まないと腕から顔からシミ、そばかすだらけです
・・・。
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eastwind-335 at 2010-09-20 20:58
by eastwind-335
| 2010-09-13 20:54
| 旅の思い出10インド
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Comments(4)