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かくて我ら急ぎて澳門・香港13:マカオ料理を食べた!

私は1人旅行が多いので、旅先でレストランを使うことはほとんどないのです。
だから家人との家族旅行でしか、レストランで数種類の料理を楽しむことができません。

いや、楽しむ、じゃないんですよね。なんというか、気をもむ結果にもなってしまう(笑)。
というのも、うちの家人、夜ご飯は遅くて良いというタイプ。すぐに「疲れた、ちょっと寝る」と言って休めば夜9時近くまで寝ちゃうことも。私は旅先でも10時前には就寝しちゃうので、9時過ぎにレストランなんて~、いや8時過ぎだって・・・(涙)。食べてるうちに寝入ってしまいそうになったこともあります(汗)。

2泊目は土鍋ご飯を食べに行くはずだったのに、「疲れた、ちょっと寝る」のために、お部屋で持ってきたもの他を食べる羽目に。

3泊目はぜーったいに、ぜーったいにレストランに行く!と決めていたのです。それもポルトガル料理を。

27年前にお友達との香港旅行にマカオツアーをオプションで付けたのは、私が「ポルトガル料理が食べたい!」と言ったからだったのです。しかし、私は香港からマカオへの船に酔い、すぐにバスに乗せられ、まるでマカオグランプリ状態のスピードでくねくね道を飛ばされ、その日一日三叉神経がおかしくなっていたのです。
しかも、ツアーで連れて行かれたレストランでは、マヨネーズで味付けされたキャベツサラダが出ていたのだけれど、そのマヨネーズが私の苦手な「味の素系」の味。私はキューピーなオンナなので(笑)、ますます気持ちが悪くなり・・・。

だから、リベンジの気分もあって、絶対にマカオ料理を食べる!それもアフリカンチキンを!と気合を入れていたのです。マカオ観光局からもレストランガイドをいただいて、しっかり予習していたのです!
そして行くお店も初日にブラブラ歩いている時に目星をつけておきました。予約せずに出かけたけれど運よくテーブルが空いていた!
スタートはスープから。
かくて我ら急ぎて澳門・香港13:マカオ料理を食べた!_a0094449_20473242.jpgポルトガル産オリーブオイルが落としてあるスープ

かくて我ら急ぎて澳門・香港13:マカオ料理を食べた!_a0094449_20501891.jpg青菜とマカオ風ソーセージが入っていました。

かくて我ら急ぎて澳門・香港13:マカオ料理を食べた!_a0094449_20511854.jpg家人はクリームスープ

メインはアフリカンチキン。マカオの名物料理です。
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カレー風味で辛いとあったのでかーなーり覚悟していたのですが、マイルドでしたよん。
かくて我ら急ぎて澳門・香港13:マカオ料理を食べた!_a0094449_20535560.jpgタラと野菜のチーズ焼き

デザートはイチゴシャーベット。
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あはは、リベンジの割には、これだけ?と、後日、写真を見たときに、自分でも苦笑いな気分になりました。けど、二人だったし、夜8時過ぎからの食事だったし。私は27年間の願いが叶ってマカオ料理を食べられて満足!
お店の階段を下りる時にみつけた。
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# by eastwind-335 | 2015-05-02 07:56 | 旅の思い出14唔該!澳門・香港 | Trackback | Comments(0)

ラムたんかく語りき。

Es gibt sicher bessere Momente, als im Elfmeterschießen auszurutschen.
PKを失敗するとしたらもっといい時が絶対にあるんだけど。


逆の立場から言えば、古いはやり言葉になってる感もありますが、「今でしょ!」なんだろうか。

一昨日だったか、Sportbildに出てたラムたんのコメントです。
あんな派手な失敗だったのに、ラムたんに対する批判記事を目にしていないのはどうしてなのかしら?見逃しているだけ?
ブンデスの師匠からはメールが来て「宮本がいたらよかったのにね」と。
宮本がカピテンの時に、PKで滑るので、反対側のゴールを使うべきと主張して日本は勝ったと、日本語媒体のコメント欄にも書いている人がいたのを読みましたが・・・。

えー?
師匠、そこですか?
それよりラムたんに蹴らせた(自分が蹴ると言ったかもしれないけれど)チームがいかんでしょう。

もともと、PK戦を蹴りたくないって言った人がいるクラブだったよね、バイヤンって。
なのになのに・・・。メンツが揃っている時のPKしか想定していないのか?
ペップは、この予定通りのメンツではない状況であっても、120分で片が付く試合しか考えてないのか?
ペップが監督になってから、「人余りの人足らず」って気がするのは私だけでしょうか?
選手たちも、どうなっているのやら。PK練習しておいてよぉ~。
CLはこれから常にPK戦まで勝負がつかない場合が出てくるはずで・・・。
Bereitsein ist!!(備えよ常に!)
# by eastwind-335 | 2015-05-01 07:44 | バイヤン | Trackback | Comments(0)

かくて我ら急ぎて澳門・香港12:世界遺産いそぎ歩き

*記憶が遠くになりつつありますが、急ぎ残りの旅行記を書いておかねば、次の旅行に行けなくなりそうで・・・(笑)*

島の中心部に広がるマカオのいわゆる「ポルトガル」な場所だけでなく、南部の中国系の遺跡も見学し、すこしバランスをとった私たち。
残る世界遺産を一気に周ります。
実は、このマカオ旅行のために、私たちは女性向けガイドブックを買いました。しかし、食べるコトよりも見るほうが好きな私には、あんまり役立たなかったなあ、と。むしろ、私たち夫婦に本当に役立ったのは、マカオ観光局から送ってもらった様々なパンフレット。特に、「マカオを歩くウォーキングマップ」でした。その地図の正確でかつ誰にとっても分かりやすいことといったら!ウォーキングルートもきちんと書いてあって、見どころのみならず、その地へたどり着くポイントが「文章」でもわかるように書かれている。これってスゴいことですよ!

さてさて、普通だと2,3時間で終わると設定されているウォーキングルートですが、私が見学先をじっくり見ないと気が済まないので(その割には頭の中に残ってることは少なかったりしますが・汗)、やや駆け足にならざるを得ない状態に。

ということで鄭家大屋からローレンス教会へ向かいます。
かくて我ら急ぎて澳門・香港12:世界遺産いそぎ歩き_a0094449_634722.jpgマカオには私立学校しかないのかしら?と思いたくなるほど、修道院にちなんだ学校が多い様子。
というよりも、私としては、この聖人の顔の描き方がドツボにハマってしまい。だって、まるでスタンダップコメディアンの公演ポスターみたいじゃないですか!
それだけ聖人が身近だってことなのですよね?共にいてくださる、それも知り合いのように、ってところでしょうか?

かくて我ら急ぎて澳門・香港12:世界遺産いそぎ歩き_a0094449_664679.jpgこの街のモザイクの素晴らしさはこういうところにさりげなくあったときにつくづく感じます。

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後でパンフレットを読み直すとここは正門が空いてないことが多いとあったのですが、これが正門なのか後門なのか?
かくて我ら急ぎて澳門・香港12:世界遺産いそぎ歩き_a0094449_610219.jpg庭にはマリア像が。

聖堂の中はこういう感じでした。いまの建物は1803年に石造にし、何度となく修復が加えられたそうで、富裕層の地域だったからできたこと、と解説にあります。
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ターコイズブルーの天井が有名なのだとか。あと、見えないけれど、屋根は中国産タイルなのだそうです。
かくて我ら急ぎて澳門・香港12:世界遺産いそぎ歩き_a0094449_6151896.jpg南国風のクリッペ。あたたかそうな馬小屋です。


近くには聖ヨゼフ修道院があります。聖堂にはフランシスコ・ザビエルの右上腕骨の一部が祀られている、と出発前に読んでいたのに、到着したらすっかりそのことを忘れていました。
ちょっとウロウロしながらここにたどり着きました。
かくて我ら急ぎて澳門・香港12:世界遺産いそぎ歩き_a0094449_6244726.jpg通り過ぎるところでした(汗)

かくて我ら急ぎて澳門・香港12:世界遺産いそぎ歩き_a0094449_6265345.jpg家人が「だんだんと何もかもが同じに見えてきた」と。確かにね~。そして階段も腰に響くようになってきたらしい。

到着!誰か私たちを待ってるよ?!と家人に声をかけるワタクシ(笑)。
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こちらの方でございました(笑)。
かくて我ら急ぎて澳門・香港12:世界遺産いそぎ歩き_a0094449_630391.jpgホントに不思議なのですが、写真にしちゃうと立て看板でしかありませんが、一瞬「え?法王がお出迎え?わざわざすみませーん(笑)」って気分になるのです。前のベネディクトだとカトリックならではの威厳にビビりそうになったと思いますが、この法王の顔は「低い門なのかも」と思えるのですから、ほんと、不思議です。

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かくて我ら急ぎて澳門・香港12:世界遺産いそぎ歩き_a0094449_64458.jpgこの写真を「ザビエルの右上腕部の遺骨」とわかって撮ったわけではないのです。部屋に戻ってガイドブックを眺めていて「わー、これ見逃した!」と悔やんでいたほど(笑)。が、帰国して写真を整理したら「あれ?あれ?私撮ってた!」と一人でびっくり。
しかし、なぜこのコレジオ(聖ヨセフ修道会は1728年に創設された大学レベルの教育機関です)にあるのかな?宣教師たちを教育するための修道会としてアジア布教を志したザビエルの意志を継ぐ立場を示すだったからなのか?

かくて我ら急ぎて澳門・香港12:世界遺産いそぎ歩き_a0094449_6503621.jpg非常に絵画的なクリッペでした。

かくて我ら急ぎて澳門・香港12:世界遺産いそぎ歩き_a0094449_2014865.jpg坂を上がりながら目にした風景。世界遺産の街に生きるってこういうことなのね、と1人納得。

かくて我ら急ぎて澳門・香港12:世界遺産いそぎ歩き_a0094449_201848.jpgさらにもうひと上り。
左手は劇場です(あとで再訪)。

その並びをチラと目を向けてみると、セミナリオと。
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むかーしむかし、日本史の教科書にセミナリオが日本にもありました、って習ったなあ~。ふーん、聖ホセ・セミナリオっていうのね~。
ってホセってホセって????あー、聖ヨゼフじゃん!!とようやく地図と頭が合致。
・・・・聖ヨセフ修道会って敷地が広いのね~と感心。

そしてその手前には、またまた教会が。聖オーガスティン教会です。
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かくて我ら急ぎて澳門・香港12:世界遺産いそぎ歩き_a0094449_22135342.jpg入口のモザイクが非常に素敵です。

かくて我ら急ぎて澳門・香港12:世界遺産いそぎ歩き_a0094449_2219966.jpg祀られているのはカリスの聖母と言われているマリア像。

かくて我ら急ぎて澳門・香港12:世界遺産いそぎ歩き_a0094449_22301138.jpgなんか、かわいいなあ~。


そして、私が見学してみたかったロバート・ホー・トン図書館。
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博物館も好きだけど、図書館見学も好き。
ここは、もともとポルトガル人ドナ・キャロリーナ・クンハの住居を香港人であるホー・トンが別荘として買い取り、ホー・トンの没後は遺言で公立図書館になったという歴史のある場所。
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図書館のこれまでについては、解説を目にすることができなかったのですが、左の黄色い建物がもともとの建物(リノベーションしていると思うけど)で、その奥の白い建物が図書館機能を持っているようです。黄色い建物のほうで特別展が行われていました。
都立中央図書館もそうですが、図書館の小さな特別展での出会いって大きい収穫になります。
今日はこれ。
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エドワード・カイダスキーという外交官が、清代に西欧人(Michael Voym)が描いた中国動植物事典を模写したものの展示です。
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かくて我ら急ぎて澳門・香港12:世界遺産いそぎ歩き_a0094449_645583.jpgこれがオリジナル。

かくて我ら急ぎて澳門・香港12:世界遺産いそぎ歩き_a0094449_6541100.jpgこれが模写。

動物名を記す漢字までが「絵画」状態になっているのを見て、ああ、西欧人にとって漢字というのは複雑この上ないものだったんだろうなあ、と。私がハングルを見よう見まねで書いていた時みたい。
・・・・そう。見よう見まねだとそうなるんだよね。きっと、偏と作りが感じにはある、ってわかったらバランスがかわってきたはず。
最後にいったのは、ドン・ペドロ5世劇場。マカオの男性クラブが作ったゲーム場(賭け事をしたんでしょうかね)がのちに劇場になったとのこと)。
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かくて我ら急ぎて澳門・香港12:世界遺産いそぎ歩き_a0094449_6203678.jpgここはクリッペではなくサンタクロース

かくて我ら急ぎて澳門・香港12:世界遺産いそぎ歩き_a0094449_621131.jpg壁のモザイクがステキでした!


27年前にマカオに行ったときはこのあたりは行ったのかな?なんせ船酔いで辛い状態のままバスに乗せられ、酔いの3乗みたいな感じになっていたので(笑)、記憶がない分、この駆け足見学は一つ一つが新鮮で・・・。駆け足でかなりみたものの、いくつかは見逃しました。実際に今もホテルとして経営されている要塞など、早朝とか夕方に行くと面白かっただろうになあ~。

ま、家人が一緒だと、丘の上にある要塞っていうのはなかなか足が向かなさそうだけど・・・。
# by eastwind-335 | 2015-04-30 06:28 | 旅の思い出14唔該!澳門・香港 | Trackback | Comments(0)

ラムたんのPK

こんなこと、こんなことって?

滑っちゃうなんて?

・・・・ラムたんのPKっていうだけでも、私としては驚きでしたけど?
止めた方が!と思ったのはワタクシだけ?
テレビの前で、蹴る前から「止めて、誰か、止めるように言ってあげて!PKするなんて無理だし、なんで一番目がラムたんなわけ?」と叫んでいたワタクシです。
おまけに滑っちゃうなんて?

・・・レヴェンドフスキがダメになっちゃうから、ラムたんが出たのかな?

もう、初めてのピアノの発表会に子供が出る時の母の想いってこんなもの?失敗しませんように、緊張しませんように、右手と左手がちゃんと揃いますように・・・って。そんななか、ラムたんが一瞬、見ようによっては苦笑いとも不敵な笑いを浮かべたところをカメラは逃さず・・・・。それをみたワタクシ、不安増長。

そして左足がズズっと動き、右足からとんだボールは大きく蒸かすという・・・。
ラムたんのPK_a0094449_651338.jpg


的中。

しかも続くシャビ・アロンソまで、スっ転ぶ。
ゲッツェは止められ。

ノイヤーがフンメルスを止め。

え?ノイヤーがキッカー?すごいプレッシャーだけど?
そして、ゴールポストに当たって外してしまい・・・。

ドルが決勝へ。

そりゃ、クロッポンには何か一つでも、やってほしいとおもったけれど。
都並さんは、PKの結果に「クロッポンの想い」が、って言ってたけど。確かにベンチでジーッと座っていたけれど、その目つきも怪しい物があったけれど。
決まった時、ドイツカップ放送はしてくれているものの、すべて「ドルの試合」ばかりだった「日テレGの執念」じゃなかろうか?と。
いや、私が広告代理店勤務だったら、「本当のドイツ1のクラブチームを決めるのはカガワだ!」みたいなコピーを作るから。だって、DFB Pokalはブンデス1部だけの試合じゃないんだし。準決勝には3部のチームが上がってきているんだし。

ラムたんについていえば、カピテンとして、そこはなんとか決めてもらいたかった。
ペップはラムたんは何でもできると過信していたのか?いや、なんでもできるラムたんでもPK要員ではなかったんですけどね!WM06のアルゼンチン戦の時のPKでも端っこでメルテくんの横で人形のように突っ立ってたよね・・・。

いままで、私が記憶している限りはラムたんがPKを蹴ったことってあったかな?ってぐらい印象にない。

実は、延長後半でペップが審判に注意されていたんですよね。いつもの「ライン出過ぎっ!」みたいなことで、のようだったけど。それに対してのペップの表情に「あーあ、相手が10人だからって、勝てないんじゃ?」と私は思ってしまいました。チューリップ監督の時に感じたのと一緒。なんだろう、相手へのリスペクトがないんじゃ?と。

そこに決めきれないバイヤン。
さらに、決めつけられないカピテン。
最初、私は、コブタちゃんとか、シャビアロンソからなのかな?と思った。
というよりも、ラムたんがトコトコ歩いて行ったときに、ノイヤーに話があるのかな?と思ったほど。でもボールを持ってるし・・・。
なんで、ラムたんから蹴らせたんだろう?
自分から手を挙げたのかな?

軸足が滑った、それも二人続けてだから、本来はグラウンドに何かが?と思わせるものがあってもいいのだけれど、私はラムたんの足が滑った時に、この前の試合も、ラムたん滑ったよね?と思ったのでした。
今日の延長でもパスなのかクリアーなのかわからないようなボールを出していて、疲れてるから?それとも?まだ本調子じゃないんでは?と不安に思ってた。この試合を勝ったとしても、個人評価はダメだろうなあ、と。

怪我した足の調子は大丈夫なのかな?いつでも一定だったラムたんが数試合で何度も足を滑らせるってありえない。

ラムたんのインタビューがupされるのを待たなくちゃ。

あ、ペップ、ラムたんたち4人のPKのせいにしないでしょーね?選手交代の時間帯もヘンだったと思うよ。ロッベンの思わぬ怪我による退場があったとしても・・・。
# by eastwind-335 | 2015-04-29 06:43 | バイヤン | Trackback | Comments(0)

お会いしたかったです

このブログを始めるよりもずーっと、ずっと前。
私は数年おきに(時には毎年)ネパールへ行っていました。それは、知り合いの大学の先生のフィールドがネパールで、卒業生たちを一度連れて行ってあげたい、と私にまで声をかけてくださったからです。

・・・といっても、私は先生のところのゼミ生ではなかったんですけれども?!
ボヤかしますけれど、言い換えてみたら、次のように説明ができると思います。
その先生も交えてのお食事会の席上で、私がその当時、夏のボーナスを丸ごとつぎ込んで購入したパールのネックレスの話を知人にしていたのでした。しばらくしてその先生が「東風くんはネパールに関心があるのかね」とおっしゃったのでした。
先生は私がパールの話をしていたのに、勝手に「ネ」をつけてしまった。
そして、ワタクシはその時ネパールの「ネ」が聞こえず、「パールに関心があるだろう?」とおっしゃったかと思ったのでした。
否定するほどでもなかろうと「ええ、まあ」と答えたところ、
「じゃ、キミ、ヒマラヤを見に行こう!2月はいいぞ、空気が澄んでいて」と。


実際にはパールの話ではなく、ワタクシのプライベートにかかわる話でしたが、聞き間違い(思えばこの先生はこの頃からやや耳が遠くなっていらしたのだった)が私をネパールに近づけてくれたのでした。
それが1995年の11月のことでした。この頃はまだフィルムで写真を撮っておりましたので、upすることができないのですが、そののち、先に書いたように毎年のようにネパールへ行くことが続いたのでした。

なんと、結婚式の2か月前にもネパールに行ったほど。この時は、さすがに誰にも報告してなかった結婚式を理由に見送ろうかなと思っていたら、うちの母親がこれまたぶっ飛ぶことを言い出したのです。

「あちらのおうち、結婚したら、ネパールなんて言ったら絶句されると思うの。だから、絶対に3月は行った方がいいわ」と。

結局、結婚してからもマオイストの台頭があるまでに数回、またマオイストが落ち着いたということで1度先生が出かける時に同行させてもらいました。「第一人者」という言葉に弱いシウトメにぴったりの理由をつけてのお出かけです(笑)。

そんな私のネパール旅行は卒業生(これは大体いつも同じ顔ぶれ)と現役学生から成り立っていました。主としてカトマンズとポカラがベース地になり、そこから近隣の村落を訪問する、というのがいつものパターン。ある時、同行してくれる旅行代理店の人がイエズス会の日本人神父が経営している子どもの障碍者受け入れ施設と、広島に本部のある女子修道会から派遣された日本人シスターが経営している保育園を紹介してくれたのでした。

帰国して、私は個人的にこれらの団体を支援しているグループに連絡をとり、時折寄付をしていました。
グループの代表の方は、神父と信仰を共にし、長い間の友情から支援するグループを立ち上げていらしたのでした。何度かメールのやりとりをし、その中で社会人としての私に励ましの言葉を送ってくださったこともあります。
そうこうするうちに、高齢になられた神父が日本へ帰国し、グループは保育園の支援のみの活動をする方向転換がありました。会報も発行回数が減り、この1年は会報が届かなかったのですが、私は「1年に1度」にするのかな?とか、代表の方も高齢になられているから、大変なのかな?等々思うことはあっても、連絡を取ることはなくなってしまいました。

実は昨年の秋には、障碍者受け入れ施設に聖堂が完成するということで、現地でのミサの案内が神父の教え子さんたち(神父は日本のイエズス会系のいくつかの学校で倫理を担当されていた)のグループから届いたのでした。しかし昨年の11月から12月にかけての多忙を理由に、そのままにしてしまいました。

そこへ、土曜日のネパールでの地震。

私の知り合いの旅行代理店の人たちはみな無事であると知って、次に気になったのはシスターのこと。
そこで久しぶりに支援グループのHPを見たところ・・・。
代表を務めてくださっていた方は1年半ほど前に逝去されていたことを知りました。
今回の地震がなかったら気が付かなかったと思うだけに、本当にびっくりしました。だから、会報も来なくなったのね、と合点がいくものの、一度もお会いすることができなくて、残念で仕方ありません。
シスターも日本に帰国され、新しいシスターが活動をなさっている様子。

もうその町に私の知っている方はいらっしゃらないわけですが、施設では困っているのではないか、と思うと気が気でなりません。

衛星放送が時計代わりの私は、BBCやZDFの映像でカトマンズの様子を確認しています。みんなでこの前で写真を撮ったなあ、とか、私たちもここでクマリをみようと頑張ったんだった、とか、思い出すことが多く、また、通りの匂い、音、行きかう人たちの表情など、小さな思い出がふっと戻ってきて、胸が痛くなります。
# by eastwind-335 | 2015-04-27 22:12 | 日常 | Trackback | Comments(0)

東風のささやかな毎日のささやかな記録


by eastwind-335