カテゴリ:日常( 701 )

きてる、きてる、更年期!

もともと、それほど髪の毛の量があるほうではなかったのですが、昨夏あたりから、ドライヤーの後、床に髪の毛が落ちるようになったなーと気づき始めました。
気付いたのは、旅行で相部屋になったから、でもあります。シャワーを使った後、白い床に髪の毛が落ちていると嫌だろうし、と。
家は掃除機をかけるわけですが、あまり気にしていなかった(汗)。

加えて、秋以降、洗面台にも髪の毛が落ちるようになりました。
私は夏場は毎朝シャワーを浴びるのでその際に洗髪しますが、冬は二日に一度の洗髪なので、そのために抜けるのかな?と思っていたのです。しかし、洗面台に髪の毛が落ち始め、それが長い毛だけでない。
加えて洗髪時にもごっそりと髪の毛が指の間に・・・。
以前も書いたように、私は、朝と晩しか鏡で自分の顔をよーく見ることはなく(いや、朝も見てないな。夜もそれほどでもないな)、顔のシミも目が悪いために化粧水をつけるような時は見えず(爆)。ひょっとして・・・と眼鏡をかけて髪の毛のあちこちを持ち上げてみました。
「もしや?」、と思ったら、「やっぱり!」でした。
髪を乾かした後ももしや、と思って確認したら「やっぱり!」でした。予想していたところの地肌がよく見える(とほ)。

うちの母親が生え際がM字に薄くなっているのは知っていたのですが、そうなったのは母が60歳すぎになってから。なので安心していたのですが、遺伝は仕方ない。
前髪がどんどん薄くなっていくのかなあ。

同僚に「抜けて困る」と言ったら「えー、私なんてもっと前からだよ」と皆口々に。「更年期だもん仕方ないわよ」と。そして「いざとなったらカツラがある!」と。「そうだよね、いざとなったらそれがある」とみんなで前向きな気分に。

実家に帰った折に「ママより先にママと同じところの髪が抜けてきた~」と嘆いたら、「おばあちゃんもそうだったしねー」と。うちには仏壇がないので(仏教徒ではありませんので)、母方の祖父母の写真と位牌がサイドボードに乗っています。帰省したら、なんとなく、二人の写真の前で「ただいまー」というのが私の習慣なのですが、まじまじと祖母の写真を見てしまいました。

母は「遺伝もあるけれど、年齢のせいよ。更年期の一環です。いつまでも若いと思っちゃいけません」と。別に私はいつまでも若いと思ってないし、加齢とうまく付き合いたいと思っているけれど。しかし、遺伝と加齢でどんどんと抜けちゃうと困るんだけどなー(笑)。

美容師さんは「確かに以前に比べると減ったかもしれませんが、まだまだ平気ですよ」と。髪の質が良いから、と褒めてくれ、マッサージをするなどで遅らせましょう、と。ストレスもいけませんよ、と。
確かに、この3か月、初めての仕事、それに伴う小さな様々なストレスは自分なりに感じていました。だから抜けるのかな?と思ったり。
・・・ってことは、遺伝、年齢、ストレスと3重の重荷が私の頼りない頭にかかっているのですねー。
定年まであと15年近くあるので、あと15年は今か今以上のストレスとお付き合いしなくちゃいけないんだけどなー。

と、頭髪がもっと薄くなりつつある家人を前に「髪の毛がー」と言って嘆いていたら、「キミ、僕よりたくさんあるからいいじゃん」ですって。えー、家人が比較の対象?ま、家人にあれこれ言っても「僕より体重すくないじゃん」だの「僕より遊んでるじゃん」だの「僕より」なんですよね(笑)。

先週から、朝日新聞では「薄毛」の特集が週に1度連載されています。夏の帽子は地肌が蒸れるのでよくないらしい。確かに、汗っかきなので帽子を脱ぐと頭がびっちょり、なんてことも。頭から汗をかくのは父親似なのです。
(弟はそういう「あまり似てほしくない」ってことは受け継いでないんですよねー。髪の毛もたくさんあるしー、体つきもすっきりしてるしー、持病もないしー。うらやましー)。
日傘は通行の邪魔と思ってるので、なるべく差したくないのですが、頭のためには仕方ないかな。

この夏の旅行が終わるまでは今の長さにしておきたいのですが、秋になったらグッと短くして、髪全体に栄養が行き届くようにしてみようかな。
いつまでも30代みたいな髪型はやめよう、と思っていたところ。よい機会かもしれません。

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by eastwind-335 | 2017-07-14 06:12 | 日常 | Trackback | Comments(0)

もう少し自分がうまく立ち回っていれば

自己嫌悪も過ぎると、苦手意識に変換されてしまう。
どこかでリセットしないといけないなーと思いつつ、糸口を見つけられず、いや、私のほうが見つける気がなくなっていたのかも。


ほんと、悩みます。

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by eastwind-335 | 2017-07-08 04:49 | 日常 | Trackback | Comments(0)

できなくたっていい

私がスマホを持たないのは、持つ必要性を感じないからです。

でも、世の中がその間にどんどんと進んでしまい、たとえば、連絡を取るためにLineにしたいと言われることも増えました。
一斉に連絡を取りたいから、と。そこに加わらないと次がない、ってことなんだなーって。
(追記・いまの携帯が壊れたら、次はスマホだな、とは覚悟してますけどね)

もう数年前から「あ、外されてるな~」と思うようになったのが無印良品。
基本的には、お店で見て買う、というのが私の買い物のスタンス。着るものについては下見をしておいた上で、無印良品週間中に買っています。ネット会員でもあったので(大きなものを持って帰るのが大変な時になった)、メールで無印良品週間の日の連絡があったり、誕生月には10パーセントの割引案内が来たりしたのですが、ある時から来なくなりました。
だいたい、この時期、という勘所もあるし、週に1度ほど覗くブロガーさんが「もうすぐ無印週間ですよー」と書くのでそれを見て、HPをチェック。割引になるチケットをプリントアウトして、お店に向かうようにしています。
去年の秋だったかな、誕生日月間の案内が来ないので、買い物ついでにレジで伺ったら、もう無印は「アプリでしか対応していない」のだとのこと。
スマホがない人は客のほうが会社のHPへアクセスして情報を得るしかない、と。

正直、ぐっと無印で物を買うことが減りました。減っても困らないわけなので、節約ができました、ってことでしょうかね。

入口(登録)はパソコンでOKなのに、アプリ以外は受け付けないサービスだけを提供する会社もあります。例えば楽天ポイントカードのサービス(今月は毎週金曜日に特定のミスドの商品が1個タダでもらえるらしい)も、「アプリ」でQRコードを示さないとダメ、だと。
まあ、どうしても欲しいのに、というわけではないからいいけれど、カードを持っていてもサービスを受けられないなんて。

「だから、スマホにしたらいいのに」と職場でこの話をしたときに呆れたような声で言ってきたお嬢がいました。そんな不便にしがみついてどうするの?と。

不便だと思わないんだけどね。むしろ、情報を与えられっぱなしってほうが私にとっては不便。
人間的なつながりのなかで「あなた、ひょっとして、これも好き?」とか「これが合いそう」と言われるのは感情的に受け入れられるけれど、IoTで(私は最初、これは「新しい顔文字」で、その意味は「そんな、しつこく言って来られても困ります」っていう泣き言の意味かとおもってた)でHPの上や左右の柱に「ほらほら、これでしょ?」と好みでもないものが出てくると「あー、うざい」と思ってしまう。

一度ペンダントトップを買ったからって、そんな趣味の悪い商品まで「お気に入りでは?」なんてしつこく出てくると、「あーた、私の日常なんか知らないくせに!」と啖呵を切りたくなります。もちろん、機械に対してなんてしませんけどね。

そしてこの「アプリ」やら「HP」が際物で、これだけ広まったら、企業サービスもそっちへ向かうのだろうと頭ではわかっているけれど、そういう物に疎い両親がけんもほろろに「有人サービスは有料です」とか言われてシュンとしているのを見ると、「これって弱いものいじめじゃん」と思う。

便利至上主義者である、うちの職場のお嬢(中小の社長令嬢で、本当にお金には困ってない)から、うちの親の「ネット環境への疎さ」を軽く揶揄されたのですが、私はきっぱりと言いました。「もし、こういうネット生活を強要されずにすむ世代があるとしたら、両親がその世代の一番最後にいるんだろうと思います。だからこそ、私は無理強いをしたくないんです。年を重ねてうまくできなくなることが増えるのに、欲しくもないものを与えて、老人向けの簡単な操作すらできないのはおかしい、みたいなことを言いたくはない」と。
もちろんスマホを使いこなして「ああ、便利だなあ」と思って生活を謳歌しているご老人もいらっしゃると思いますし、その向学心には感心しますが、なんといっても、このワタクシの両親ですもん。向学心は人並み程度でしょう(笑)。
自分ができることを自力ですることが大切だと思う。

便利といわれるものを使いこなせて当然、というこの世の動き、疑問を覚えます。だって機械に手伝ってもらえば「便利」だろうけど「自力」じゃないんだもん。人間としてダメになるのはどっちだろうか、って。

使いこなせなくても、使いたいと思わなくてもいいのよ、という私に、両親が「でもそうやって、働いている娘に「こういうことがあるらしいんだけど」ってテレビで見た情報を確認してもらうなんてね・・」ということが増えました。いいのいいの。私が小さな時に、学習事典から知りえたあやふやなことを言う私に、もっときっちりした情報を与えてくれて、次につないでくれたのは、まずは両親なんだから。

人はしてもらってうれしかったことを同じように誰かにしたいと思う、そういう動物なんだろうと思う。だから、教えてもらえず悔しい思いをした人が、ネットやらアプリに固執(使えない人を排除・揶揄)するのではないか、とふと思うこの頃です。

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by eastwind-335 | 2017-06-28 06:43 | 日常 | Trackback | Comments(0)

責任者、でてこーい!

先週来、ある部署とのトラブルにおいて、若い人に説明をさせて、その説明も含めその部署のミスだったのに、謝りの電話を別の若い人にかけさせて、一向に管理職が出てこないという状況に遭遇しました。

そこの管理職って、自分の都合になることは、こっちに調子よい声で用事を言ってくる、そういう人。
仕事だけでなく、自分も遅刻しそうな時には「あ、自分もタクシー相乗りしてよいかな」と割り込んでくるくせに、私たちも乗せてほしい時にピシャリとドアを閉めさせてさっさと発車させる、そういう人。

以前、この人のさらに上を統括する管理者とともに、私のところで根回しをしようとしたことがある。妙に愛想のよい顔、声でこちらに来た。私は「いつも話しかけてこないくせに(というか、こっちからの質問もめんどーくさそうとか、いやそーな状況で対応してくる)、なにかあるな、ぜったいにあるな」と思ったらありました。私の判断でできることがほとんどでしたが、都合の良いときだけ話しかけてくるなーって意味で「うちの部署の管理職へおっしゃってください。私には権利はありません。」と返したことがあります。
うちの部署の管理職は「それは東風くんに尋ねないとわからないな。で、どうしてそういうことが起きたのかね」とツッコミ。
それにかかわる面倒はすべてあっちで見てもらう、という条件をつけて戻しました。その間、相手はずっと愛想良い声を挙げていましたが、案件が終了したら、ふたたび「愛想ナシ」に。

私は、愛想が悪かろうと、誰に対してもそうであれば、その人を信頼できる。都合で声を替えてくる人が一番信頼できない。
ただ、だからって、私がその人を悪くいう必要はないので、ほかの人にはその人の良い点を強調する評価を伝えるようにしてますが(特に若い人に対しては、私自身は「ああはなりたくない」と思う。本当に。



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by eastwind-335 | 2017-06-21 05:26 | 日常 | Trackback | Comments(0)

「甘」やかさないでー(笑)

金曜日、職場にいらしたお客様からいただいた羊羹のおすそ分けをいただきました。
いわゆる「おとな女子」に人気だったという「ツバキ文具店」。「おとな女子」ではないので(大人だもん)、私はドラマも原作も知らないけれど、原作で取り上げられたらしいこの羊羹。以前もいただいたことがあっておいしいのは承知済。嬉しかったです。

どうも、手紙を代筆しておいしいものをいただけるらしい、このドラマ。ドラマのロケ地巡りで、これから繁盛するんでしょうね。
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が、帰宅後すぐに冷蔵庫にしまって、あわただしい土曜日をすごし(お習字と知り合いの出版記念会のはしご)、この羊羹のことはすーっかり忘れていまして。

日曜日、銀座の裏道を歩いていたら、長野県物産館に行き当たり・・・。
野菜を買うつもりで入ったのですが、あまり「これが!」って感じがなくて、
しかし、奥にすすむと・・・。
毎日日替わりで長野から届くパンのコーナーにこういう袋に入ったものが。

牛乳パンなんですって。結構大きくて、もったらフワフワ。1つ200円もしないので買ってみることに。
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店内には写真がなくて、想像するだけです。
牛乳パンって、どんな感じなのかな?
家に帰って袋から出して、わかりました。
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コッペパンを思い出す色の焼き色がついた四角や三角形。
写真がお店にないのを残念に思っていましたが、写真であの「フワフワ感」を伝えるのは難しいかも?
どちらも牛乳版の記事は一緒で、中に挟んであるクリームが違うらしい。
特に牛乳パンのほうは「自家製クリームが評判です」と売り場に書き添えてあったのを思い出しました。
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かなり大きくて、その日のおやつでは食べきれず、今日、朝食代わりにするつもりでしたが、半分ずつ残してしまい・・・。
いわゆるバタークリームだし、明日まで持つかな?

というのも、羊羹の賞味期限が今日までなので。
今朝、羊羹が冷蔵庫に鎮座していて、疲れ切っていた金曜夜のことをうっすら思い出したのでした。
こういう時、夫婦二人っていうのは、食べきれないのよねー。

明日、一人お昼の予定だから、口直しにもっていこうかしらん?

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by eastwind-335 | 2017-06-19 19:26 | 日常 | Trackback | Comments(0)

これはないでしょー

もう1か月以上前の話ですが・・・。
GWのある日、体調が悪いなか、どうしてもの用事で横浜へ出かけてきました。
行かねばならない場所の近くでやっていたのがドイツビールフェスティバル。家人がお腹がすいたというので、ヴルストを食べよう(一応、家人も2年ほどドイツに長期出張していたので、ドイツのお店の時にはソーセージとはいいません)と屋台を物色。
びっくりしたー。
カタカナ表記に・・・。
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えー?Wayern風German Wurst?(あえてアルファベットで綴ってみました)
Wayernって?
家人におもわず「これ、まちがってるし!」と出ない声(風邪で)で大声で訴えていました。
しかし、並び直して「違ってますよ」というには時間がなくて・・・。
日本的には「どっちもバ」なんでしょうけれど。
WとBの発音は口の形がまったくちがいます、と、ゲーテの東京校で先生が一生懸命教えてくださったのを思い出します。
ま、わたしもLとRを区別したつもりでも、人様からはL発音にしか聞こえない、というドイツ語を話したい者としては非常にゆゆしき問題を抱えているのですが、でも、書き取りのときはまちがえないもん!

たぶん、この屋台、東京のオクトーバーフェストなんかでも出店するんじゃないのかしら?(お祭りの屋台と一緒だとしたら、旅回りみたいなものでしょうから)
だれか、「ヴァイエルン」はちがってますよーって伝えてあげて~。
ババリアよりは本場風を醸し出してるかもしれなけれど、ヴァイキングじゃないから。
「バイエルン」と「ジャーマン」と「ヴルスト」と英語とドイツ語の混在している状況は、ヨーロッパのSuperdry(極度乾燥(しなさい))状態なのかしら・・。

それにしても、写真の3本が「バイエルン」のヴルストとも思えず・・・。
フランクフルターじゃないのかしら?と出ない声ながら大声で家人にぼやくと「風、だよ、風。だからなんだっていいってことになるんじゃないの?」と。
本場だったらバイエルン州のニュルンベルガーを出すとか、ちょっとは工夫をしたらいいのに。

本場風というのも「?」。体調が悪かった時に食べたからかもしれないけれど、脂っぽくて。焼いているらしいんだけど、皮はパリっというより揚げた感じだった。ドイツのお祭りの屋台に出ているような、炭火で、または鉄板でしっかり焼いた感じのものが食べたかったなー。

ニュルンベルクといえば・・・。日本時間今朝のWM18予選としてのサンマリノ戦の会場もニュルンベルク。TBS2はWM06の日本戦の会場としての話だけだった。歴史的な背景なんか、どうでもいいんでしょうけれど。予選については、また。


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by eastwind-335 | 2017-06-11 19:01 | 日常 | Trackback | Comments(0)

図書館で借りればよかった

堅い内容の硬い表紙の本、つまり「専門書」なるものを自腹を切って買いました。仕事に役立つ内容だと思ったからです。

評判がいい、というよりも、この人のソフトカバー本を読んだとき、ほほー、と「知らなかったこと」について勉強になったので、某大学出版局が出した本だったらもっと内容が濃いだろう、と思って新著を買ったのでした。

でも、読み始めて、序論(テーマや構成がまとめて書いてあるところ)からして、書き手の人格を疑いたくなるような文章が注に散見されて、私は気が滅入っています。

専門性のある仕事というのは、共通の手順がある。その手順を踏まず、著者のこれまでの業績を全く無視(つまり注に彼の名前が出てこない)した内容で近年業績を発表している人に対する批判が注に散見しすぎ・・・。

どんな仕事であっても、できるだけ、オリジンに近づくことへの手間を惜しんではいけない。コピペだの、盗作騒ぎだの、というのは、この手間を惜しんだ人たちが起こす。だから、この著者の警告というのは、傾聴の価値がないわけではないのです。

でも、なんというか・・・。文章の品格のなさ(別に乱暴な文章を書き連ねているわけではないんですけどね)に、「はいはい、そうだよねー、でも、それ、私がしたことじゃないだけど?」という気分に。

どうしてもその人に何かを言いたいんだったら、あなたがたの研究雑誌とか研究集会とかでやってほしいんだけどなー。
著者はどっかの大学の先生になったらしいのですが。講義もこんな感じで、学生にとっては一生会うことがないような研究者(この著者は研究者とも認めてないんだろうけど)の批判を聞かされ続けていたら・・・と、なんだか学生のことが心配になってしまったほど。
この人のソフトカバーの本に掲載されていた著者近影が風変りだったことを思い出しました。あの時は、「シャレ」でやってるのかと思いましたが(私自身は軽い嫌悪感を覚えた)、そうじゃない、この人はその手のひとなんだ!と確信。
いろんな事情があるのでしょうけれど、自分が無視されるのが嫌なのでしょう。自己主張が強いタイプというか・・・。

私が高校時代、自分が巧くクラス運営をできないだけだったのに、担任をしている生徒たちがあれやこれやを起こすたびに「あいつらはバカばかりで。キミたちの学年は優秀なんだから、ああいう先輩みたいなことになってはいけない」と1年にわたる授業で何度も愚痴る国語教師がいました。あの時に感じた不愉快な感覚(人を巻き込むな!)を久しぶりに(30年以上ぶりに!)思い出すことになってしまいました。

高い本だったのになー。本のテーマや構成はいいのになー。文章から醸し出される人柄がなー。読み終わったら早々に手放したくなるような、気の重くなる本です。図書館で借りればよかった。


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by eastwind-335 | 2017-06-05 06:28 | 日常 | Trackback | Comments(0)

ハガキまで旅人

数年前、あることがあって、月になんどか、両親あてにいつでも手に取って見直すことができるハガキを送るようになりました。

その日の朝、通勤の電車で噴出した記事の見出しや4コマ漫画を貼って、感想を一文で書く、とか、この上なく「ヘタ」な絵ではありますが、「サザエさん打ち明け話」のような絵文字を使った文章にしてみるとか。私は下書きなしでハガキをかきますので、ちょっとした「ライブ感」を感じます(笑)。
もちろん、文房具屋さんで素敵な絵葉書を買うこともあります。写真をハガキに仕立てて送ることもあります。春の桜のハガキは毎年「どこで買えるのかしら?」というので「自作です」と答えています。ああ、桜って有能!

私からの手紙が減ると、「ああ、仕事が忙しいんだな」と両親が私の状況を知るわけです。誤字があると、父が私の調子が悪いのではないか、と心配しているそうです。
かといって、親を喜ばせることばかり書いているわけではありません。
良いことばかり書くのではなく、職場で「うー!」となったことも書いてしまうことがあります。街であった「ヤな感じ」の体験も書いています。それを読み、両親は街を歩くときに気を付けることもあるそうです。

昨日、母からは「最後の52円切手!」といつぞやの年賀状のくじであたった切手を貼ったハガキが届きました。

日本郵便はいきなり10円の値上げ、ってどーいうつもりなのか。年金生活者にとって10円っていうのは大きいよね。ますます携帯おかんメールが全国を行きかうのではないしょうか・・・(笑)。

ハガキとは別に携帯電話(お互いにガラケー)にメールが来ることも。ちなみに父は携帯を個人で所有はしていません。携帯から電話をするのが精いっぱいで、メールを入れてくれるのは、誕生日と父の日のプレゼントを贈った時だけ。それも母の大特訓があってこそ、らしく、4月(誕生日)と6月(父の日)は母が「ほんとーに、パパは毎年同じことを聞きに来る!」とグチの電話をかけてきます(笑)。

いや、まあ、母が、携帯の達人かといえば・・・。
件名のところに文章を書き込んであったり、誤字脱字があったりというのは、まあ、想定内なのですが、いきなり素敵な絵文字が入っていたりして、驚かされることがしばしばです(笑)。
そして、最近評判の言葉を「もじって」送ってくることも。
・・・それが一番私には判読不能なものでして。

一昨日も、母からのメールの件名が「ロンドンよりただいま戻りました」でした。
私はこの夏の旅行に突っ込みが入るといけないので、まだ両親に話していないのですが、えー?まさか、この夏に一緒にロンドンに行こう、ってことだったらどうしよう?とドキドキしながら本文を読み始めました。

3月初めにロンドンから両親に送った絵葉書が長らくブタペストにとどまっていたらしく、ようやく海辺の街の両親のところに届いたんだそうです。私、ちゃんとポストに投函したのになー。Japanって書いておいたのになー。
3か月近く放浪していたってこと?!なんでブタペストに?その間、私、仕事のことで何度キーってなっていたっけ?!
私、ハガキに軽いジェラシーを覚えました(笑)。週末に実家に帰るので、そのときハガキを見せてもらいます。

昨日母に「件名」について確認したところ、白鷗の優勝セリフから思いついたそうなんです。相撲、やっていたのも白鷗の優勝も新聞で読んで知っていたけれど。テレビといえば、平日はBS、休日はCS放送ばかり見てるなあ、私(笑)。

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by eastwind-335 | 2017-06-02 06:28 | 日常 | Trackback | Comments(0)

同僚に怒る

「同僚に怒る」というタイトルにふさわしい、今日の昼以降の(昼ごはんの最中からコトは起きた!)不愉快極まりなかった半日のありさまを、グチグチ書いていたのですが・・・。

ポスティングしようとしたら、パタっとfirefoxが終わってしまい、再び自動的に立ち上がったものの、書いた文章は消えてしまった!

ま、感情を一度リセットして、また明日の新しい朝を迎えなさい、ってことなんでしょう。

しかし、更年期とはいえ、正論を言ってるとはいえ、カーっとなりやすい自分がとてもイヤだ。仕事をしているので「人と接しないで済む」という状況は選択肢にない。
母曰く、母方の祖父が常々言っていたそうです。「短気だからこそ、人の話を「そうだなあ」「そうかなあ」と聞いておくべきだ」と。祖父はユーモアがあったし、必ず人の良いところを見つけて褒める人だったのですが(そしてそれに精神的に救われた私)、短気ゆえに若いときにはいくつかのチャンスを逃したことがあったらしい。
私も気を付けなくちゃ。

実は、今日はラインは違うけれど年次の近い同僚にあんまり不愉快なことを聞かれたので、「じょうだんじゃない」って啖呵きっちゃったんですけどね。そのときには、祖父の話をしてくれた母の声もどっかに飛んでしまい・・・。

反省、反省。

おじいちゃんが亡くなって35年近くになる。時々、あって仕事のことを相談したくなる。

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by eastwind-335 | 2017-05-02 22:30 | 日常 | Trackback | Comments(0)

もう一つ先をめざす

数年前までこの時期はちょっぴり憂鬱でした。
書道団体の試験があったからです。異例の飛び級結果が来たときもありましたが、そのときから実はドヨーンとしていたのです。月例の課題が掲載されている雑誌は、数級ごとに課題が異なるのですが、やっぱり、その課題をきちんとやってこそ、次のステップへスムーズにいくのだろうと思うのです。
そのツケは最後に来ました。いわゆる「試験」のなかで一番最後の段階に何度となく落ちてしまったのでした。先生は「次は大丈夫」とおっしゃるのだけれど、やっぱり合格した方の作品を見ると、どんくさい私のそれはどんくさい線で構成されていて、なんといっても「作品としての色気がない」と思ったのでした。自分にオットル君を重ねたくもなりました。「悪くはない、でも」という評価が一番つらいのもわかります。トップチームには上がれてもそこからが大変という選手の気持ちを書道にて体験した数年ではありましたが、これまた、腐らずやる、というオットルくんの言動が支えにもなり、「幼いころから身体の小さなラムたんは、それをカバーするために基本的な動作を毎日練習していた」というエピソードで自分に喝をいれては、試験の課題を書き・・・としていたら、どういうわけか合格していたのです。
合格のお知らせを頂いたときには、試験のために字を書くのはもう嫌だ、とも思いましたけど。

同じことはもう30年近く前のドイツ語学習の時もありました。「東京のゲーテ」では当時のA1(つまりアルファベットの発音はわかる、挨拶ぐらいできるようになる、でも質問にドイツ語ではすらすら返せない、すらすら読めない、ちゃんと聞き取れないの「3ない」状態で終了)だったのが、そのクラスが終わって2週間後の「ドイツのゲーテ」で初級終了近くを指すC1に入れられたことがありました。
何もズルをしたわけでもなかったので、どうしてこんなことに!?と思ったし、なんといっても、C1に来た日本人の学生さんは、東京にいくつかあるドイツ語(文学)教育で有名なドイツ語学科生だとか、ドイツ史を学んでいるだとか、「ドイツ繋がり」がはっきりしている出自のみなさんばかり。どこを叩いても「ド」の字すら出てこない専攻のワタクシ、本当に授業中、雪山にいるような気分。ちょっとしたことも見逃したり聞き逃したら命とりだ、という必死さだけで4週間を終えたという感じです。先生がこんな私がちゃんと理解しているか授業中もその他の時間でも気配りをしてくださることは感謝でしたが、「良くできる日本人の独文科(ドイツ語学科)のみなさん」には、迷惑な存在だったのではないかな、と思います。

東京のゲーテに4月から戻ったときは「ドイツのゲーテ」の成績が送られていて、次のクラスへ入れられていたこともあり、初級文法の大切なところをいくつも逃してしまっていた私。結局、初級終了試験に一度で合格できず・・・。卒論提出もあったりしたので、不合格の理由は自分なりには付けられますが、やっぱり試験に落ちることは気持ちのよいものではありません。
おかげさまで、のちに合格できたのですが、今も思います。
ちゃんと段階を追って試験を受けたかったなーと。
動物的な勘のようなものでだけ対応している、というのは、よりどころがないので、ホントに困っちゃいます。

さて、書道のことに話を戻します。
この「動物的な勘」だけではだめなわけで、やっぱり、ちゃんとした基本を体得しないと・・・と思うことは今もあって、課題を仕上げながら先生が赤をいれてくださったり、実際に私の筆で書いてくださったりしたときの作品は、その部分だけ切り取って、お手本にして練習をしたりするときもあります。
しかし、試験のために字を書くのは嫌だ、と思ったくせに、一連の試験から解放された今、じゃあ、作品がプレッシャーのないのびのびしたものか、といわれたら、「・・・。」なんですよね~。
そんなダメな生徒である私に、先生が「東風さんは次のレベルに行ってもいいと思うのよね」と先日おっしゃったのでした。最初は「試験に合格してからダラダラしていて、これじゃダメ」という注意なのかとドキドキしながら次の言葉を待っていたのですが、どうも、月例の評価を出してもらうクラスを一つ上げてもらうようにいずれ頼んでみたい、とのことだったのです。
その「いずれ」はすぐに、というわけでもなさそうです。とはいえ、帰りの地下鉄の中で、私は「先生が推薦しましょう。とおっしゃって下さる日に備えて、また一から頑張り直しだ」という気持ちになっていました。

地味な字しか書けず、同じお教室でも後から始めた人にも追い抜かれてしまう、というドンくささ満載のワタクシですが、こうやって声をかけてくださる人がいて、気持ちが変わるのですから、言葉って大切です。自分が備えたつもりになるのではなく、他人が見たら「備えてある」と思ってもらえるように、精進しなくては・・・。

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by eastwind-335 | 2017-04-30 08:45 | 日常 | Trackback | Comments(0)

東風のささやかな毎日のささやかな記録


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