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リュックをしょって、たぶん出かける

こんな素晴らしいイベントがあるなんて!

28日、午前中はお習字のお稽古だけど、午後は空いている。とりあえず一生懸命帰宅して、着替えて(一応お稽古事の時にはちゃんとした格好で先生のお宅に伺うので)、リュックをしょって出かけると思います。午後からの参加だけどいい本や本グッズと出会えると嬉しいなあ。

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このイラスト、私の部屋かと思いました。いや、もっと散らかっているけど。こんなおしゃれじゃないけれど。本が積み重なっているあたりはそっくり。植物はない。本の上に何か乗っちゃってるのは同じ。

1箱古本屋というのも参加できるらしいのですが、Facebookをやっていないとだめみたい。このイベントもFacebookから情報を得なくてはならない。あー、めんどう。っていうか、Facebookの即時性は理解できるけれど。例えば応募状況もFacebookだとすぐにわかりますもんね。でもね。本のイベントだよね、これ?

ほら、Facebookは登録してないと、うざったい、もとい、勧誘のバーナーが本文を覆うように出てくるでしょう?

若い人だけ来いってことなんだろうか、とうちの職場の本代には上限を設けないおじ(い)さまが結構カンカンしてましたよ。

いずれにしても、トラノモンがんばってるね!ちょっと残念なのは、あのあたり、土日は人がいないところだからなあ。ちょっと買った本を読もうと思っても、250円ぐらいでゆっくりできるお店は1軒ぐらいしかないよね。まさかコンビニのイートインで買った本を眺めてニヤニヤできないし・・・。

ま、とにもかくにも、行ってみよう、そうしよう。

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by eastwind-335 | 2017-10-20 21:37 | Books | Trackback | Comments(0)

どこまでが「事実」なのか

私は出勤時は電車に座ると新聞を広げ(30分もあればとりあえず読み終わる)、帰宅時には本を読みます。どちらにしてもたいていの場合「座って通勤できる」環境にあるからです。帰りは部活帰りの高校生や大学生と一緒になったりすると座れないけれど、立って本を読むことはできるぐらいの混み方なので、片手でつり革を時折にぎりながら、本を読んでいます。

その本というのも、以前から時折書いていますが、「最近の日本の小説」は全く縁遠くて・・・。
読まなくちゃなー、と思いつつ、どうしても翻訳小説のほうが優先になってしまう。

ある時、本好きのお兄さんと一緒に帰った時に、その問題を相談したところ、「読書に自分の人生体験にはないことを求めるタイプと、自己肯定を求めるタイプとがいる、と思う」と言い出しました。
お兄さんは、同世代の作家の作品に共感して安心するだけに終われないんだそうですよ。
お兄さん曰く、私もそのクチだと思う、とのこと。知らなかった!ということが一つでもあると面白かったというのは確かですねー。

たぶん、日本が舞台の小説は、私の職場自体がルーティンが基本のくせに「刺激的」な日々なので、ちょっとやそっとのことでは共感だの自己肯定という感情に至らないのでしょう。たぶん。
だから、翻訳小説に行っちゃうんだろうな、私。

さてさて、この2か月、チミチミとですが読んでいるのが、ネレ・ノイハウスの小説。フランクフルト近郊の「タウヌス」地方を舞台にした警察小説。翻訳が出ていることは数年前から知っていたのだけど、北欧ミステリーの続きみたいな扱いというか、非英語圏ミステリーにありがちな「広告臭プンプン」(言い換えれば「突然すぎる」)な宣伝の仕方が気になって、手に取ることはしなかったのでした。

「広告臭プンプン」には一度ひっかかったことがあって・・・。私は、日本における翻訳ドイツミステリーの先駆けであるベルンハルト・シュリンクの作品が合わなかったのです。合わなかった、というのは訳が合わなかった、ではなく、訳が良すぎて読み込みすぎて、挙句、シュリンクの書く男性・女性像、特に男性像に「え?」という反発を覚えたというか。
特に『朗読者』は、高校生のころに源氏物語を読んだときと同じ感覚。

人生が浅いので、共感できないんでしょうけれど。かといって、「そうなの!」という驚きは少なくて。なんか、ウソくさいなー、って。
シュリンクの作品は「ナチス」抜きには成立しないものばかりなのだけど、そして、それはドイツの現実なのかもしれないけれど、でも、「ナチス抜き」だったらこの作品って・・・?って思わせちゃうような構造のように思えたのです。

しかし、久しぶりに寄ったブックオフで、たまたま手に取ったのがノイハウスの本。
それも、彼女の本の翻訳はなぜか第1作からではなく第3作からでたそう。私が手に取ったのが第1作にあたる作品。隣に並んでいるのが第2作。2冊買っても、本屋で定価で買う1冊分に相当する程度だったので、とりあえず2作目まで読んでみよう、と思ったのでした。

私はできれば、シリーズものは第1作から読みたい、見たいタイプですので。ミステリーっていうのは、シリーズになればなるほど、途中からっていうのは、解説者あとがきを読むよりもタチが悪いと思っています。シリーズものっていうのは原則時系列順であり、人の成長(?)がわかるでしょう?

ということで、読み始めた『悪女は自殺しない』。設定が2005年。家人がドイツへの長期出張の打診を受けたころだなー、とか、このころの私は~なんて思いながらページをめくるうちにドンドンとのめり込む。
ナチではないドイツの歴史を組み込んだ警察小説。
その時々のタイムリーな内容を(タイムリーといっても、NHK衛星放送の国際ニュースやドキュメンタリーで知っている、という程度のことですが)思い出す事件。事実と「ありうるかも」がうまく織り込まれていると思います。

一気に読み上げるのではなく、チミチミ、がっつり読むという感じで、いま3作目の途中。
この数年の私のフランクフルトでの定点観察ってここにつながるんだ!という話が出てきて、次のページをめくるたびにワクワク。
昨日もブックオフで第4作を買いました。40代最後に読み、50代最初に読む小説になるのかな。

この小説と平行して読んでいるのがジョン・トービーの『パスポートの発明』(法政大学出版局)。へえ、そうなんだ!という驚き、この夏に訪れたフランスのパスポートの歴史から始まるのですが、同じ時期にフランスの地方都市に出張中だったお兄さんから伺ったばかり地名などが出てきて、これもまた「ほほう!」と。

一方で、のめり込みたくなるような日本人作家に巡り合いたい、と思うこの頃です。

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by eastwind-335 | 2017-09-22 07:20 | Books | Trackback | Comments(0)

ボンドさん、ありがとう!

子供時代をつくってくれた大切な本をこの世の送ってくれた、マイケル・ボンドさんが91歳で亡くなった、といま、BBCで報道されていました。

世の中に、マーマレードやグレープフルーツなるものがあるってことを教えてくれたクマ。片田舎では入手できず、母が横浜へ出かけた時に買ってくれたのを思い出します。また、社宅生活だったから、買ってもらったことを同級生たちに言ってはダメ(私の真似をしたがる子が数名いたらしく、母がそこのお母さんたちから嫌味を言われたことがあったそうです)、とかん口令も敷かれたなー(笑)。
ダッフルコートを買うのが夢だった中学時代。(あのころは、大学やOLが着るブランドでないと扱いがなくて、年代に見合った服しか買ってもらえなかった私には永遠にその日は来ないような気がしたものです)
三井銀行のキャラターグッズがパディントンに決まったと知り、500円を握りしめ口座を開きに行った高校時代。
そのときのグッズに目をとめた英語教師にかわいがってもらった大学時代。いまだお元気でいらっしゃるこの先生もまたパディントンに縁のあった方だったのでした!

そして、年を重ねても、つい数年前にすら、パディントンの話から歴史を学ぶことができると教えてもらいました。

去年、日本語訳の初版は私とまったく同じ時にこの世にあらわれたのだと知り、一人勝手にパディントンを「双子の片割れ」と思う気持ちが強くなりました。行く先々で騒動を起こし、周囲に助けてもらうところも一緒(笑)。

ドイツ語を習うためにドイツへ初めて行って以来、いまも私が旅行の時にお守り代わりにもっていくタオルは、もう30年ほど前に弟がくれたバースデープレゼントでした。「彼氏」がいない娘のために母が気を利かせて、弟に買わせたんだろうと思います。その後、弟からは、イギリス旅行のお土産にもパディントンのぬいぐるみを貰ったのでした。これも母の入れ知恵でしょう(笑)。
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91歳でお亡くなりになったマイケル・ボンドさんの本で楽しんだ私たち。すでに、子供、早い人にはお孫さんとの3代で楽しんでいらっしゃるのではないでしょうか。こうやって次代へのつながりを作ってくれる人のお別れをBBC放送を通じて知り、今朝はさみしい気持ちでいっぱいです。

ありがとう、ボンドさん!

ボンドさんのほかの子供向け作品(たくさんあるんですよ!)も、これを機会に日本でも紹介されたらいいのにな、と思ってます。
福音館さん、どうですか?

そして、半ばあきらめていますけれど、翻訳がどういうわけかストップしちゃった大人向けシリーズである「パンプルムース氏」シリーズを東京創元社が再開してくれたら嬉しいのになー。

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by eastwind-335 | 2017-06-29 07:03 | Books | Trackback | Comments(0)

Kunelが更年期世代のOliveになったきた

賛否両論あった新生Kunel。とりあえず1年間は買おう、と思い2か月に一度、発売日に購入をしています。もうすぐ1年。

前のKunelが醸し出す優しい雰囲気、よく練られた内容、国内外問わずにいつか行ってみたいなと思わせる自然な感じがとっても好きだっただけに、当初、新生Kunelは戸惑いが大きかった。
それまでのものをバッサリ斬り落としてしまって、無理して「今」を追い求める50代のananって感じ。急に体制が決まったのかな?って感じぐらい、斬新というよりもクーデターっぽい雑な感じというか・・・。
一般に、雑誌が読み手を選ぶ(つまり編集方向性が明確)というよりも、読み手が買ってくれる雑誌を売る(つまり編集より広告効果が大切)という場合が多い。特に、年代別女性雑誌にそれが顕著。

ところが、前のKunelはどちらかといえば前者だった。だから、商品ではなく、エピソードのあるモノであったりヒトであったり場所をきちんと追いかけた内容だった。そこへ行ったとしても会えない、または写真と全く同じものは買えない、そんな感じ。

新生のKunelはどうなんだろう。
度肝を抜いたのは、「その辺のガイコクジンのおばさん」が表紙になっていたから!
再開1号以来途切れることのない「フランス女性の街角スナップ」。Oliveの名物コーナーが20余年の時を経て再び復活!となったと私は位置付けてます。ただし、読み手が年を取ったように、映ってる人も、かつてのオリーブ少女が憧れた「リセエンヌ」の成れの果て。
えー?どうして日本の50代じゃなくてパリの50代なわけ?と私は純粋にびっくりしちゃった第一号。Kunelのよいところは、どこかの国にイメージを固定しなかったこと、もっといえば、そうそう簡単に行けないところへ、だったわけです。パリかー、日本から乗り換えなしで行けるところじゃん、なんだかなあ、ってところかな。
これだったら他の雑誌でも同じスナップが撮れるんだけどなあ、ってがっかりしたというか。
ところが、新生を銘打った以上、それまでのKunelではテーマ的に取り上げられなかっただろうことを第3号で特集をした。それが「離婚」特集。もちろん、いきなりではない。フランス人女性のスナップに「リセエンヌの恋愛話のその後」はこんな感じだったんですよーってうっすら盛り込み、第3号で真打として「日本人女性たちの離婚」を特集!
離婚等、50代になれば当事者になるか、または身の回りに一人は体験したことがあるだろうこと。すっかり優等生向け雑誌になってしまった「クロワッサン」では扱えないテーマをこうもどうどうと扱おうとは!
告白内容的には、年代別雑誌で時折小さく特集されていたものと変わりないんですけど、すっかり丸くなったマガジンハウスの雑誌の中では異色だった。
どこへ向かう?と興味本位で2か月に一度が楽しみになってきた。
思えば、50代以上向けなんだから、「更年期」なわけで、体と心の声を聞く年代向けなわけで、「ねばならない」って必要はないわけですよね。60代という還暦(子供に帰る)に向けて考えれば、50代って10代のころの「きまま」さに似たものを持ち合わせているんじゃないかな?と思うこの頃。10代は生理を体験して、ジュニア時代とは違うからだの変化に戸惑う「恐るべき子供たち」ですが、50代は閉経を体験して、これまたこれまでと違う体の変化にすんごく戸惑う「恐るべき元子供たち」なわけです。急に気分が上下しちゃうぐらい戸惑う年齢に合わせたように、雑誌内容も「え?」なことになっているのかも、と思うようになったのです。

ということで、私はKunelを「更年期雑誌」と命名することにしました!
更年期雑誌と思えばいろんなことが大目に見れる。

雑誌のミューズは一世を風靡した(ことになっている)日本人女性だ、と言い切った第4号で、私も慣れてきたのかもしれないけど。
年代別雑誌では「娘世代と同じような恰好をどうやって取り込むか」がテーマで、「美魔女」なんて言葉まで作って、いっぱいライトを当てた不自然な写真を載せてる。「自然派です」という感じもない。そんななかで、そうか、彼女なのか、という驚き(疑問にちかい驚き)。
80年代のマガジンハウス社(あの頃は平凡出版だったけど)のananのモデルだった人たちの今と今の装いを特集した号を読んだとき、必ずしも、モデルさんとはいえ体型維持が難しかった人がいたんだなあ、とか、今なりのステキさがあるけれど、(まだ30代の服を着ようと必死になっている)今の50歳代向け雑誌では使ってもらえないだろうなあ、と思ったこともあった。1回こっきりで終わっちゃってがっかり。

その点、今号は「かつてのオリーブ」を彷彿させる作りだった。日本では買えない素敵なもの、を全面に。日本で買えるけど、そこいらでは買えないものをその次に。伊東屋にあこがれた10代の頃を思い出す、そんな紙面構成だった。あとは、表紙買いをしやすい日本人女性が表紙より中身、と考えられるかどうか、だな(笑)。私はカバーモデル(もう50過ぎたら「カ婆(かばあ)」と言ってもいいような気もするけれど)システムはあんまり好きでないので、本当はねえー、なんですけどねー。

編集側も試行錯誤しているんだろうと思います。サッカーに置き換えれば、小林麻美をフォワードに、フランス女性たちをトップ下に、そしてコウケンテツ・松浦弥太郎をダブルボランチにして、ってところでしょうかね。この雑誌の弱点はGKの存在感がないところ。監督(編集長)はベテランだけど、作戦の読みが当たってるのか、観客である私は戸惑う。
少なくとも、21世紀のマガジンハウスにはない雑誌であることは確か。平凡出版時代のとんがりをこの雑誌が持っているとは思います。
日常が「うー。このままじゃ息詰まる!」と思いながら仕事をしている身ですので、私は本当は「あー、素敵!見て気分転換ができたわ~」と思える雑誌が精神衛生上は良いのだとは思うのです。でも!更年期一歩手前まで来ていることは自覚してますし、自分の体がいつまでも30代だの40代初めみたいな「ピチピチな感じ」じゃ恐ろしいので(SFじゃあるまいし)、もうしばらく2か月に一度、この雑誌のもつ微妙な歪みに対して今回はどんなツッコミができるんだろう?と思いながらこの雑誌を買うのではなかろうか、と思います。

ところで、最近の各社の50代雑誌って「息子世代」の「芸能人」だの「スポーツ選手」を嬉々として取り上げていて、個人的にどーしちゃったんだろう!って思ってるところ。お願いだから50代のオリーブ、もとい新生Kunelだけはそういうのはやめてほしいなあ。
どうせだったら素敵な60代女性を取り上げてほしい!


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by eastwind-335 | 2016-12-14 06:10 | Books | Trackback | Comments(0)

本を読み返す

20代の半ばから終わりにかけて、子供のころに読んだ欧米の児童文学の完訳版とその「続編」を読んでいた時期があります。
思い返すと、今みたいに、やりがいがありつつも、ストレートにコトが運ばないって類のプロジェクトをしていたときでした。

『続若草物語』『続あしながおじさん』『続赤毛のアン』これらはオリジナルを書いた作家が続編も書いたもの。
さらに、『続ハイジ』にあたる小説。これはシュピーリではない別の作家によるもの。めでたくハイジとぺーターは結婚してからのおはなし。
それにあのころ、アメリカでどういうわけか『ハイジ』の後日談を第一次世界大戦を背景に映画化していて、青年になったペーターと大人になりかかっているハイジとの恋愛ドラマのような、その映画の小説版、なんかも古本屋で見つけて読んだ。
チャーリー・シーンがペーターって、あなた・・・。ペーターってイタリア系スイス人だったのかな(爆)。

本編よりも続編のほうがピンときたのが先に上げたオリジナル作家の書く続編もの。
作家としての成長と、読み手である私の成長がピッタリあったのかな、本当にのめりこむように読みました。

そのうちの何冊かは手元に残しておいてあります。というか、おいたのを昨年の引っ越しの時に思い出したのだけど、1年経って、日々のあわただしさにかまけて再び忘れていた。そして、今朝、3時半ごろ一度目が醒めてしまったときに本棚を眺めていて、その1冊である「続あしながおじさん」が目についたのでした。読み始めてまた眠たくなりましたので、途中になっていますが、数ページをめくっただけで、自分自身でもびっくりするようなことが。
20年前に読んだのでストーリーに目新しさはないものの、当時とは違うところに躓きとか気づきを覚えます。あれから20年経って、私は離職せず、職場も変わらず、仕事も相変わらずなのですが、違う見方をできるようになったのを喜ぶべきか、どうなのか。

児童小説は子育てなどを通して3度は読むと言います。子ナシでも手元においておくとそういうチャンスがめぐってくるんだな、と。これは紙の本でないとできないことだと思うのだけど。だって背表紙が見えないとあったことだって気が付かないでしょう?




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by eastwind-335 | 2016-12-09 08:14 | Books | Trackback | Comments(0)

全部見てしまうのも・・・

私は紀行文というジャンルの本を読むのも好きです。
(そんなにたくさん読んだわけではありませんが)

しかし、以前ほどガイドブックはあまり手に取らなくなりました。もともと「るるぶ」のような「お食事・お土産」写真ミッチリ系は手にすることがなかったのですが(なんか、目が疲れるときも・・・笑)、女子向けのそれは嫌いじゃなかったのに。でも、思えば、この女子向けガイドブックも、こんなところまで取り上げてくれて!みたいな国や地域別になりつつあり、軽い驚きというか・・・。そして「女子向け」と銘打つだけあって、なんか多くの写真が「かわいい」というか「ステキ」な感じすぎて。

せっかくお金を払って、時間を作って、休暇を申請して出かけたさきで、自分が見つけた「おっ!」ではなく、誰かにみつけてもらった「おっ!」ばかりを追体験するのはもったいない、というセコい性分だからっていうのもあるかも(笑)。そして、その「誰かがみつけた「おっ!」」が素敵な写真で納まっているだけに、あー、きっとみんなここに行っちゃうんだろうな、ともページをめくりながら思うわけです。外国に在住している方や、旅行好きな方のブログでも同じお店や商品を目にすることはありますが、そこには「ストーリー」がある。でも、ライターさんがどうやってこの店を見つけたかはガイドブックではわかりません。ブログはある意味で「紀行文」のジャンルに私のなかではなっているのかもしれません。地図とその地域の特産品のうんちくが書いてあって、その地域のどの地区で買えるか、程度の情報だけのほうが、私は旅がしやすいのです。そういう意味で、各国観光局が出していた観光案内っていうのは、本当に私には便利でした。何か国ものガイドブックを持つよりは1台のipadだの、スマホの地図検索機能だのが楽で便利と私の同僚たちは言いますが、もっと年をとって体力と判断力が今以上に欠けるようになるまで、目的地を音声に吹き込んでボタンを押したら、乗る交通手段からやってくる交通手段の時間はもちろん、歩く道を音声で導いてもらうことは避けたいと思ってます。
「全体を見て自分の欲しいもの・できるものを選択する能力」、そのことのトレーニングのために私は海外旅行に出ているような気もしています。

この何年か、私はホタテ道に関する本買っています。10月は誕生月でポイント倍出しとなったので、2冊も買いました。1冊はもう1年近く前に出たのを見逃していた紀行文、もう1冊は10月の新刊のガイドブックです。
ホタテ道を歩くことは私の夢です。しかし、仕事をしながらとなるはずなので、何年もかけての挑戦となるでしょう。1年目の到達地までは決めてあります!なので、今回のホタテ紀行本は1年目の到達地までしかページをめくりませんでした。すごく面白かった。70歳になる元大学教員が、日記をもとに書いたと思われる紀行文です。
3つの点で、自分に似たところのある人だなあ、と思う本でした。
その1.一人旅を厭わないこと
これは、彼女がもともと一人旅の体質というわけではなさそうですが、一人である、ということを受け入れた心構えが要所要所に見られて、「わかりまーす!」と心の中で相槌をうちました。
その2.旅のノートのこと。
私も旅のノートをつけるのだけど、夜になるとすぐ眠くなり、ノートを書こうと思っても途中ですぐに数日の遅れが出てしまう。この方も正直にそのことを記していて、とても親近感を覚えました。
その3.旅先での感性
この人は若いころにフランスに留学したことがあるそうで、海外に出るとそのときの年齢に気持ちが戻るとか。私も旅をしていると時折、もうこんな年齢なのに、初めてドイツへ行ったときの大学生の気分で「やっちゃう」ことがある。

もう1冊は新刊で、熊野古道とホタテ道が「姉妹協定」を結んだことによってできたガイドブック。
熊野古道にかかわって定年を迎えた方がライターさんたちと実際にホタテ道を歩く本でもあるのですが・・・。
ビジュアルガイドだから仕方ないけど、グルメだのかわいいお土産だの、たぶん宿泊地として多くの人が選択する街の素敵なお宿が数ページごとに入るとちょっと考えてしまう。
いろんな歩き方があっていい、と思いつつも、そういうものなのかなあ、って。
ライターさんを含め4人で踏破したはずのガイドブックですが、現地のコーディネータに紹介されたホテルに泊まった、ということが書いてあってちょっと残念。もちろん、このコーディネータのおかげで素敵なビジュアルガイドになっているし、お金があれば素敵な踏破旅行になる、っていうのもわからなくもないのだけれど。
人によってこの道の歩き方は様々でいいと思うけれど。でも、この道のなりたちから考えると、こんな「軽くて明るいビジュアルガイドでいいのかな?」って思ったわけです。それも「熊野古道」と絡めた本だっていうのに!って。

私は熊野古道はハイキングコースではなく、古人の信仰の道が基層にあると思っています。ホタテ道も一緒です。だから、行くチャンスに悩んでいるのです。その道を歩くために、いろんなことを「空っぽ」にして行きたいのです。「お仕事のおついで」に行くのではなく、そのためにだけ行きたいというか。
(でも実際には、絶対に歩き終わった帰りに、体調を整えるために<帰国後すぐに仕事に行けるようにするため、とも言えます>寄る都市は「お仕事のネタ」を見つけられるところ、にしちゃうんでしょうけれど)

世界遺産という制度ができて、文化財の商業化が一気に進んでしまった感があります。熊野古道も多くの人に知られるようになった反面、近寄りがたさのなかでそこに挑戦するという意気込みとかが無くなってきた感じも。

ホタテ道もそうなっていくのでしょうか。

私が最初にこの道を知ったのは、NHKのドキュメンタリーで、でした。カトリック青年の年がコンポステーラで行われた年に、日本から参加した10代のカトリック信者たちがこの道をどう歩いたか、を追ったものです。若き信者たちは、それぞれに悩みがあり、特に体の弱い女性信者は自分がそれを「全う」できるのかを案じており、それがドキュメンタリーの柱にもなっていました。

私は何かを「全うした」ことはありません。
だから、なおさら、この少女の思いはズシンと直球で私の胸に放り込まれ今に至ります。
やめたこと、期限がきて「終わった」ことははあっても「全う」したことはありません。終わると全うするは違う、と私の本能がいつも訴えます。だから、一度でいいから「全うした」という思いを抱いてみたいと思っています。
もちろん、全うのなかで(現世的な)楽しみを見出すことは否定しない。たぶん、私だって、生涯の終わりに、ひとりでこっそり手に取りながら「あの時、こんなことを考えたわね」と思う記憶の手づるがほしいと思うから、私の感性にあったものを見つけては買ってしまうでしょう。おいしいものを食べるでしょう。疲れたと言って素敵なホテルに泊まることでしょう(間違いなく!)。
でも、それをガイドブックで教わっておくのではなく、現地についてから「お、ここは!」と選び取りたいのです。

その地と私の内心との間の、言葉では言い表せない「何かの往来」を感じたいというか。

私は旅をするときに一番最初にワクワクするのは、それまで二次元の情報だった文字や地図が三次元として目の前に体現されている時です。「来た!」という気持ちになります。

だから、あんまり視覚的情報としてのビジュアルブックは見たくないのかもしれません。

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by eastwind-335 | 2016-11-01 06:41 | Books | Trackback | Comments(0)

読書の秋

ノーベル文学賞にボブ・ディラン!と一報が入った時、家人と二人で「おおおー」とその意外性に驚きました。
案外貰わないって言い出すかも・・・なんて思ってもいたのですが、いまのところ、そういう発言はナシの様子。
本日(14日)モルゲンターク新聞夕刊の一面の組み方になんとも違和感が。熊本地震から半年、ということなのだから、今日の様子を1面のトップにすべきだと思うのだけど、電通に労働局立ち入り記事がトップ。そして、なんとも中途半端なのが、次の記事。ボブ・ディランとノーベル文学賞をめぐる13日のアメリカの様子。発表の日の夜のコンサートの様子を小見出しで紹介しているのですが、「本人コンサート、前半では触れず」って。

コンサートの後半では彼は何か言ったのでしょうか?(時事通信情報では何も言わずに歌って終わったとのこと)

記事の入稿の時間の問題もあるのでしょうけれど、なんともねえ~。この中途半端さが現在のモルゲンターク新聞の足りないところな気がする。まあ、あちらからすれば「電子版を(お金を払って)読んでください」なのでしょうけれど。紙媒体読者はいまやオマケ扱いなのかな?

そして、ノーベル委員会自体がまだボブ・ディランと連絡がとれていないんだそう!「寝てる」ですって。
いいぞー、ボブ!委員会もヒヤヒヤでしょうね。
いらないとか言い出したら・・・。賞金は来年に持ち越しでしょうか?

さてさて、私も読書の秋というか、仕事がひと段落したので、あれこれ本を読んでいます。
読み終わったのは『キンダートランスポート』(成文堂)、『たいした問題じゃないがーイギリス・コラム傑作選』(岩波文庫)、『女官』(講談社学術文庫)、『ダーウィン家の人々』(岩波現代文庫)。
今読んでいるのが『キンダートランスポートの少女』(未来社)と『サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼』(傳書房)。前者は通勤時間に、後者は家で。
これから読む予定で購入済なのが『走れ、走って逃げろ』(岩波少年文庫)『愛されたもの』(岩波文庫)『ヨハンナ・シュピリ初期作品集』(夏目書房新社)、『英文快読術』(岩波文庫)。
『愛されたもの』は実は『お葬式』というタイトルの光文社古典文庫版も持っているのですが、そちらの訳より岩波版のほうが読みやすそうな?2度目だからあらすじがわかっているので読みやすいのか?
『サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼』は70歳になってから巡礼に出た筑波大学女性教授の話。すごく参考になりますが、やっぱりフランス語ができないとダメなのかも・・・。
翻訳文学ばっかり読んでますね~。でもなんだか「日本語の小説」を読むのは、なんだか気が乗らないのです。
たぶん、日本を舞台にした小説だと、あまりに日常と比較して読んでしまい、その「絵空事」のような描き方に軽く嫉妬しちゃうのかも~(笑)。お金をもらうっていうのは、そんなコトじゃできないですってばー、みたいな。

ムラカミハルキの小説ものめりこめないのは「あんな(自分好きな)オトコに一所懸命なっちゃだめじゃーん(笑)。落ち着こうよ!」って気分になるからかも。
この気分、高3の古典の時間の『源氏物語』でも感じましたよ~。「これは男のロマンだ!色んなことがこれでわかるぞ」とまるで手引書のような言い方で説明を始めた国語教師に対して「このクラスの半分は女子なんですけどー」とつぶやいたワタクシ(ほら、不良だったもんで・・・)。本当に『源氏』は苦痛で「こんなマザ&ロリコンに夢中になるのか、女御たちよー!」と登場人物の女性たちに呆れて、早く別の作品にならないかな~と授業中、ずっと願っていた(先生は男子生徒に古典を学んでほしくていったのだろうけど)。
現国は先生の好みであまり教科書を使わなかったのだけど、それでも、高3の時に絶対に取り上げないといけないらしい教材がある。現国は『舞姫』。「エリス、目を覚ませー!」と思いながら読んだことなんかもこの時期になると思い出します。

明日はおうちにいる一日。何か読み終わるといいなあ~。

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by eastwind-335 | 2016-10-14 23:10 | Books | Trackback | Comments(0)

読書感想文の手引きがあるの?!

3週間ほど旅行に行くので8月は一か月新聞を止めました。
9月1日から配達再開をお願いしたはずだったのに、10日以上来ない。だから、10月からなのかしら、とおもったら中旬からいきなりポスティングが始まりました。モルゲンターク新聞がもうすぐ集金にくるはずだけど、日割りにしてくれるのかしら?

さてさて、そういうわけで先週から通勤時間に新聞を読む毎日も再開となりました~。

そして一昨日だったか、びっくりする記事に遭遇しました~。
9月初めに「読書感想文」の書き方マニュアルがあるという記事が紹介されたらしく、それに対する反応の記事でした。

びっくりした~!いや、数年前に、感想文の書き方のマニュアルが世間に流布しているとは知っていたけれど。
(すでに私が子供のころの学習百科事典にもあって、それに沿って書いて提出したら学校代表になった、と同級生が証言・笑)
マニュアルがないと子供たちは書けないって教育関係者が肯定的にしているのもびっくり。
もっとびっくりだったのは、保護者なのかは不明ながら、私と同世代の人が「読書感想文を課すこと自体が問題」って意見を寄せていたこと。

いや、第三者に自分の気持ちを伝えるのが史上最悪なほどヘタクソな若者やその若者予備軍(小中学生)を持つ親に言いたい。
読後感を自分の言葉で書くことは大切なんだから、読書感想文の宿題は存在意義があるのだ!と。

みんな同じ感想になるわけないのだから。コトバで人とつながろうよ、と声を大にして言いたいです
ポケモンGOで呆けまくってる日本人の脳を救うのは読書しかない!と思いますよー。

しかし、感想文を「うまく書かそう」とするのはどうなんだか?それもマニュアルに従って。

私だって、感想文を書くのは本当に「面倒」だった。だって、人と違うことを書いたら親に連絡が行くこともあったし(小学生の時)、本屋に並ぶ読書感想文指定の金色のシールを見るだけで吐き気がしそうになったこともあるし(小学生の時)、なんで小学生向けの本を中学生で読み直して感想を書いちゃいけないのかと思ったこともあるし(中学生の時)、一番の面倒は、指定外の本で感想文を書いたら、県の読書コンクールに出すからと国語教師がつきっきりでここが悪い、あそこがよくないと指摘され、書き直してくるように、と(中3の時)。
好きな本で、思ったことを思った通りに書いたのに、「コンクール向き」の文章にしろって?!「精神的ツッパリ」だった私。自分を否定されるような気がして、書き直さなくてはならないのだったら選ばないでくれ、と言ったために職員室では大説教をくらい・・・。単なる夏休みの宿題がとんでもないことになってしまった。
結果として、私は自分を捨て、教師(学年の異なる国語の先生)が言った通りに文章を直し、清書を黙って提出しました。だって、一言いえば3人の教師が、それに言い返せば6人の先生が、さらにふてくされたら学年全員の先生(12人)があれこれ言い出し・・・。めんどーくさかったからです。特にある教師が「内申書にだって有利になるのに」と言ったときに、心底、自分の気持ちをこういう教師たちに言うのが面倒になった。
私は本からして選びに選んで、自分を晒して感想を書いた。でもそれは受験のためじゃない。
これからのために一歩踏み込んだ文章を今一度考えてみようって言ってくれたら指導もちゃんと受けたかもしれないけれど、そういう目先のことだけであればこっちがマジになる必要はない。ということで、教師が言った通りにメモを取り、その通りに書き直して清書しました。
その文章からは、当初私が本に抱いた興奮が消えて、つまらない文章になっています。教員もそこには気づいたようで「もっと自分の思う通りに書いていいのよ」と言ってきましたが、精神的ツッパリだったワタクシは「てめえで始末をつけろってんだ」(別人来臨中)な気分に。

そして、高校3年間は幸か不幸か読書感想文の宿題が一度もなかった(だいたい、作文も論評もなかったなあ)。小論文は「推薦入学」の人(つまり「良くできる人たち」)が塾で習ったりしていたようだけれど、一般入試以外に大学進学の方法がない前世紀の80年代の凡才たちには縁がなかった。

それでも、大学に入って、レポートを書いて単位を貰ったし、卒業論文も書いた。
仕事を始めてからもそう。いまでは若い人のレポートの添削もすることがある。
でも、こうやって書くんですよ~って教わったことはない。みんなで「どうやって書けるようになったんだろうね?」と不思議がっている私たち(汗)。

しいて言えば、私の場合は、高校生の時に読んだ梅棹忠夫の『知的生産の技術』が、今思うとマニュアルだったのかも~。この本を手に取ったのは、私が人類学に関心があったから。この本を読んだ後「大学生になれたら私もこうやって勉強するんだ!」ってちょっと先のことを知ったワクワク感がしばらく私を包んだのを覚えています。
いまも仕事のレポートを作成するときはカードを取る私。
パソコンに入力するよりも手書きのほうが頭の中で直接整理できる気がします。パソコンは「入力した」ことに手が満足するだけなのです。私が満足するのではない。そんな気がするのです。
そのテーマが自分のものになっているかどうかは、参考資料を写す際の「誤字」率でわかる。
そういうようなちょっとしたことも自分自身のために大切なチェックポイント。

話がそれてしまったけれど、感想文の宿題は大切です。下手でもいい、巧ければなお結構ってぐらいで、生徒を指導することが教師にできないのは、いったい誰のせいなんだろう?
読んだだけではだめ。自分の言葉でその想いを綴れないと自分よがりになる。文章は、たくさんの本を読み、その感想と、その感想が出てきた背景を自分の文章で書き、さらに、いいなあと思う文章を書き写して(そして本のタイトルとページと出版社ぐらいメモをつけて)いればそのうちうまくなる。絶対に。

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by eastwind-335 | 2016-09-25 15:28 | Books | Trackback | Comments(2)

売れるための注

私は翻訳小説には注がついていてよいと思ってます。
というか、つけておくべきではないのかな?って。

いまはインターネットでなんでも調べられる時代ですけど。スマホ片手に紙媒体を読むわけじゃないですよね、フツーは。
文中が無理ならば、最後にまとめてでもいいし、訳者あとがきの中ででもいい。

その思いを強くして読んだのが、これ。最近、少しずつ増えているドイツのミステリー。
シーラッハのような意識高い系の「本格派ミステリー」じゃなくて、もっとコージーな感じのもの。
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日ごろ、意識が低く地上に穴掘ってるような私でも読める!そんなタイプのミステリーです(なだけに、ドイツを知ってもらいたいと日ごろがんばっている意識高い系の書評家のみなさんは、なぜかなのかやっぱりなのか、とにかく全くもってこの本に触れてない)。
ドイツ南部の警察が舞台のミステリー小説。

もう最初っから「プッ」となっちゃいましたよ。ええ。
たまたま、私がこれまでの何度かの旅行の間に「あ?!」みたいにうすうす感じてた、というようなコトが盛りだくさんなミステリーだからです。
なんといっても、1ページ目からケーゼシュペッェレなんて出てきちゃって(笑)。ここには( )でドイツ南部の伝統的パスタ、と説明がついていた。ラムたんがすきなシュペッェレだ、と私は読み替え(笑)(注1)。
67ページのイケアのカタログ云々の話。ああー、まだ「日本でも」行ったことがないイケア(注2)!
128ページから129ページにかけての「ピルチャー」(注3)の小説やらテレビドラマやらについてのクルフティンガーの「男性・夫としての見解」。いきなりピルチャーと出てきたとき「えーっと、ロザリンド・ピルチャーのことよね?」と。
ピルチャーは私も好きな作家だし、ドイツへ行けばほぼ毎回彼女の作品をベースにしたテレビ映画を見てるし(最近ではつい2週間前に見たばかり!)。あ、ピルチャーのテレビ映画のために渡独しているわけではありません。結構な頻度でZDFがピルチャー・アワーを放送してるってことで。
(ちなみに、私のピルチャー考はこちら
あと、ドイツの警察ドラマの金字塔(?)Tatort「事件現場」を揶揄る文章があったり。これにも( )でドイツで人気の刑事ドラマという説明があった。
Tatortも都市別シリーズがある(注4)。このクルフティンガーシリーズもご当地小説。そのあたりをひっかけた内容じゃなかろうか、と思うのは私だけでしょうか?
日本でも最近は「方言ブーム」なわけですが、あとがきによれば、実はこのクルフティンガー・シリーズは読み手を考えてほぼ全文が標準語で書かれてるそうですけど、ある登場人物のみ「方言丸出し」にしてるらしい。さらに、数年前に方言でこのシリーズの1作がドラマ化され、ほとんどの人が聞き取れなかったのに評判だったそうです。ミステリーチャンネルで字幕つけて放送してくれないかなあ~。
クルフティンガーがドイツ語をつかわない(つまり英語の)言い方をする「若い人」にイラっとくるシーンが何度も出てくるのですが、die Prinzenの「Be cool speak Deutsch」という歌を思い出しちゃったし(注5)。

等々、ゆるい系の私には面白いのですが、一つ気になることが・・・。
小説のなかにどんだけ出てくるのか!と書き出しそうになった「地名」。ケルンとかミュンヘンとかだったら、私も頭の中のドイツ地図に置ける。アルゴイ地方なんてミュンヘンから考えたらどっちの方向なのかわかりませーん。
私の手帳はドイツ製なので(伊東屋の取り扱いですが)ドイツの地図が載ってます。それを見たらわかるかな?と思いきや、ものすごい大都市と州の区分けがわかるだけ。アルゴイ、どこよぉ~(怒)。それぐらい「レアな地(方)名」なわけですよ~。
昔、翻訳小説がキライという人の多くは、登場人物の名前がわからなくなって、折り返しをなんども見直さなければならいのが面倒と言われていました。ドイツ語の小説の場合、苗字だけでも長かったりする。に加えていきなり「知らない」地名があれこれでてきたりして、処置なしだなんて。なんで翻訳出したんだろう、って面白い推理小説なだけに、翻訳で読めて嬉しい反面、疑問がいっぱい。
翻訳家さんはそういうことをハヤカワと打ち合わせなかったんでしょうかね?
ネットがあるんだから自分で調べろ、かもしれないけど、1作目ぐらいは、売るための努力として地図をつけてもいいと思うのだけど。それにwikiってみましたけど、あれだけ?みたいな感じだし・・・。

本国ではこの本は7冊目まで出ているそうで、ハヤカワがいつもの気まぐれを起こさなければ翻訳がこの後も出るのではないかと思うのです(まあ、ハヤカワも最近はロマンス小説と寒い寒い北欧の警察物ばっかに全力を尽くしているようで不安がありますけど)。

せめて2冊目からは・・・。地図、おねがいしまーす!

ってここに書いても翻訳関係の方が読むとは思えないけれど、実にもったいない。でも面白いミステリーです。
あー、ドラマもみてみたい。吹き替えじゃなくて字幕でね!残りの作品も早く翻訳されますように~。




私なりの注(長いのでおりたたみます)
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by eastwind-335 | 2016-09-08 19:54 | Books | Trackback | Comments(2)

つかいまわし?

ワタクシの腕痛、まだまだ治りません。
もともと冷房が苦手なところに、この肩・腕痛のために、ますます苦手なものに。

夏は暑いから夏なんだー!

職場はキンキンに冷房が好きでない人の方が多くて(男性でも)、助かっているのです。
しかし、家に帰ると「蒸し暑いと調子が悪い」という家人が待っている。
もう冷房戦争ですよー。家人に室温を譲ることにして私はせっせとお風呂に入っています。
この数か月、夜は疲れてバタンキュー。そんな忙しさにかまけた生活は朝シャワー生活を招き・・・。

久しぶりのお風呂生活はカラスの行水みたいな感じで(汗)。
最近ようやくゆっくり湯船に浸かれるようになりました。となると、年齢別雑誌という「風呂の友」が必要になる。
ということで、昨日、本屋へ寄りました。
50歳前後向けを銘打っている雑誌を1冊買いました。
どうもカバーモデルが変わるらしい。

新しいカバーモデルの紹介が目次にありました。
びっくり。
ちょっと前まで光文社の雑誌で40代向け雑誌のカバーモデルをやっていた人。

なんか、ねえ。
ほかにいないのかな?
いや、彼女がどうこうではなく、結局年齢別雑誌は「光文社文化」に乗っ取られるのか?!と。

Ku:nelも新しい編集長になってリニューアルしたら、発行間隔は隔月のままだけど、中身は、なんかなあ、って感じになってしまって。
とりあえず1年間は買うけど、前みたいに「待ち遠しい」って感じがしない。
巧く言えないけど、10代終わりのころのオリーブ少女の恰好を50歳でやっちゃってる、って感じ。
「つるとはな」のほうが「オリーブ」のイメージを巧く生かしてるような気がするけど。これこそ、次号がいつ出るのか?!って感じだからなあ。

ちなみに、Ku:nelにしても「つるとはな」にしても、ふろの友ではありません。心置きなく風呂で読めるのは「年齢別雑誌」ですね~。私にとっては「カタログ」そのものだから。

ま、年齢別雑誌の「顔」だった彼女が50代向け雑誌を卒業となると、どっかでいよいよ「60代向け雑誌」を作るってことかな?彼女が30代向け雑誌の創設と同時にカバーモデルになった時に、職場で「1960年代生まれはJJから墓場まで」になると思いますよ~と自論を展開している私ですが、予想通りになるかな?(笑)。
60代雑誌は一体どこから出るのかしら?光文社から?それとも講談社や小学館のような大手出版社から?

そんなことを考えながら湯船に閉じこもるワタクシです。
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by eastwind-335 | 2016-08-02 05:33 | Books | Trackback | Comments(2)

東風のささやかな毎日のささやかな記録


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