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脳内読書すごろく

腰痛という思わぬ伏兵が昨年12月ごろから私の左半身に身を潜めていたようで、歩くのも小走りするのも問題ないのだけど、ちょっと体をねじって位置を変えたりするときに非常に「いたたた」なことが続き1か月。
夜、寝返りを打っているときに痛みを感じて目覚める毎晩でした。
レントゲンを撮ったら、背中の一部が側弯していると。内科でお世話になっている、本業は整形外科のドクターに「これは、姿勢が悪いからではなく、遺伝性のものだから」と言われました。外観では姿勢が悪いとは思えないとのこと。両親の親族の「だめだめ遺伝性のもの」は基本的に私が担うことになっているので、「あー、また?」と思うぐらいでしたけれど、老人になった時に備え、どっちの遺伝なのか両親に確認したい。でも、老親に腰痛もちになったと知れたら次の巡礼の旅はおろか、3月に予定している久しぶりの訪韓も、家人との家族旅行も、「やめておきなさいよー」と一度は言われちゃうなあーと思うと、実家に帰った時も言い出せず・・・。

腰痛の原因として思い当たるのは11月初めに、用務先の紅葉の美しさに気を取られ、石畳で尻餅をついたことぐらい。でも、尻餅をついたときにはお尻にこぶができるほど確かに痛かったけど、腰は痛くなかった。本当にどうしちゃったんでしょう。ホームドクターに伺っても「本当はもともと腰痛が起きてもおかしくない骨の配置だから、尻餅で身体が気づいちゃったのかも」という返事。

というか、腰痛がいままでなかったことのほうが「奇跡」ですって。確かに、リフレクソロジーをやってもらう都度「腰痛がありませんか?」って聞かれていたから。でも、マッサージより痛いものはなかったんですけどね(笑)。

そんな腰痛も3が日があけるぐらいから非常に楽になりました。まだ痛いところはあるのだけど、痛みの大小でいえば小さい。
そして、一昨日は代行のドクターが「背中、レントゲンの写真ほど湾曲してません。痛みがあるときは一時的に湾曲することがあるんですよ」と。そんな言葉も薬になったのかもしれません。
読書のスピードもあがり借りた本のうち2冊を読み終えました!
病院の待ち時間を使って少しずつ読んでいた『イングリッシュネス』。次にイギリスに出かけることがあったら、こういうことは気を付けて避けようとか、やってみよう、とか、勉強になりました。原著の半分しか訳してないそうです。続きも訳してほしいなあ。
そして、夜、痛みを感じない体形を布団のなかでさぐりながらページをめくっていた『イングランド・イングランド』。この2冊を同時に読み進めたことで、特に後者をよりおかしく(興味深く)読むことになったと思う。

イングランド人が思う「イングランド」はいったいいずこに?、がテーマの『イングランド・イングランド』。

最近の日本に置き換えても十分成立するストーリーだと思いました。
お子さまシュショーとそのお友達が強調する「日本」、マスコミが2020年に向けて作り上げようとしている「クール・ジャパン」、そんな調理方法で毎日ご飯を作ってる思われちゃ困るんだけど、というのが本音の世界無形遺産「和食」だの、国技という名を捻じ曲げはじめている相撲協会、そして、WM南アフリカ大会以降のサッカー日本代表に枕詞のようにつく「日本らしさ」。まだまだある。

外からの評価を受けいれず、中の人間がかたくなに「らしさ」を求めてしまう恐ろしさが気になっている私。
単なるユートピアコメディじゃないなあ、ジュリアン・バーンズの作品は、と思います。


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by eastwind-335 | 2018-01-07 20:53 | Books | Trackback | Comments(0)

図書館ありがとう

私は人さまより一足先に年末の休みに入りました。

今日、1か月ぶりぐらいに、銀行に記帳をし、お金の出し入れをし、残高チェックをし、ボーナスの額の少なさにのけぞり(若干ですが天引きをしているからでもあるのですが)、銀行近くの図書館の棚をうろうろと。

借りたのは、
レイチェル・ジョイス『ハロルド・フライを待ちながらークウィーニー・ヘネシーの愛の歌』
ジュリアン・バーンズ『イングランド・イングランド』
エリザベス・ボウエン『リトル・ガールズ』
ケイト・フォックス『イングリッシュネス』
森田安一『『ハイジ』の生まれた世界ーヨハンナ・シュピーリと近代スイス』
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4冊はイギリス文学とイギリス文学を理解するための導きになるはずの本。
最初の本は去年の5月ごろ読んだ本(その時の感想はコチラ)の続編、というか、番外編。
2冊目はジュリアン・バーンズ。何冊も並ぶ背表紙の1冊はバーンズの愛妻をなくしてからの日々を記した本。いつかその本も読むだろうけれど、今は、もうすこし軽い話を読みたい。見開きには「アイロニーと風刺に満ちた傑作!」とある。デイビッド・ロッジよりは薄いし(笑)、EU離脱問題にゆれる「英国」(っていうか、イングランド)のことをもっと知ることができるかも、という期待から。
同じ棚にある(ボとバは近い)ボウエンの本は第一次世界大戦が少女を女性にしていくという話らしい。
なんか、イングランド本が多いなあーと思いながら新刊の棚へ戻ると4冊目があった。図書館に入館したときにはなかったのだけど、思いがけず長い時間を「外国文学」の棚の前で過ごしていたのだろうなあ、私。その間に、誰かが返却したのでしょう。
タイミングって大切よね!

・・・この年末年始は、第二段階の交渉が始まるイングランドのことを「知る」時間を過ごすのでしょうか、とふと思いました。自分が選んだわけなのだけど。3月のお休みの時にロンドンに行きたい!と思っているから(でも、あの「棒茄子」の額では・・・)イングランドのものばかり目に付くのかしら?

最後の1冊はいわゆる「ハイジ本」だけど、私はこの方を刀水書房のPR誌で「スイス史」の専門家として知ってまして、「ハイジ」だけではないシュピーリのことを描いた本だと伺ってました。シュピーリの初期作品、買っただけでまだちゃんと読んでいないなあ~。1年以上寝かしていることに気づきました。

図書館に文庫本を入れないでほしいという文藝春秋社長の発言。わからなくもない。文庫本というのは、もともと「所有するための本」だったと私も思います。安くて、しかも「解説」が付く、ということで、お得感満載!
ところが、いまは、文庫本書下ろしもあるし、1冊1300円ぐらいする場合もある。それでも私が新刊を買ってまで手元においておきたいのは、好きな作家。もちろん、「所有するための本」だから「高い!」と思うことはない。そして、図書館から文庫本を借りるのは何となく躊躇してしまう。
バッグに入れて折ったりしたらどうしよう、とか思うわけで・・・。借りている(他人の本なのに)表紙やページに持ち癖がつくのも気になる。

本だけはデフレになることはありません。むしろどんどんと値上がりする「嗜好品」になっています。だからといって、本を読まないのはもったいない。納税者の権利として図書館を利用するのは当然。ただ、図書館は本屋ではない、ということが前提。最近は話題の本が棚に4冊も5冊も並ぶことはないけれど(『マジソン郡の橋』なんて、人口の少ない海辺の町の図書館ですら6冊並んでた!)、図書館も矜持が必要なわけですよ。
文庫本は半年ぐらいたってから入れる(かつての貸しCDショップみたいに)としてもいいのかも。



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by eastwind-335 | 2017-12-27 21:30 | Books | Trackback | Comments(0)

いよいよ次回配本!

カズオ・イシグロのスピーチはNHKで大々的に取り上げるのに、ICANのことになると途端に「なんだかね」みたいなコトになっているのはおかしいよね、と職場で話題になりました。うちの家人は「昔はそれなりにワルっぽいのになあ。インテリ枠にまとめられちゃって、本人も困ってるんじゃないの?」と特別インタビューを見てつぶやいていました。私は、『日の名残り』でブッカー賞を取った時に、それこそNHKで取り上げられた時に比べるとずいぶんと年を取ったなあ、と。もう還暦もすぎたと知り、心底驚いてます。

もともと、彼の作品は好きですが、英語で読んだことはない(今後もたぶんない)私。翻訳家の方の日本語のおかげで好きになっているんだなあ、と思わなくもない。
翻訳家の日本語のほうが、日本人による日本語作品よりもずっと好きなのはどうしてでしょう・・・。

現役(だった)の大学教授が海外の大学モノを訳しているからか、デイビッド・ロッジの一連の作品は、「ぶふ、ぶふふ・・・」と笑いながら読んでしまう。
短編集が出たというので、世間より御用納めが2日ほど早くから始まる連続休暇(有休を消化せよ、と人事課から催促の槍が降ってきた!)の間に借りて読もう!

そんなことを考えながら、「まだ、ドナルド・E・ウェストレイクの新作は国書刊行会から出ないのかしら?」と検索。

おおおおー!!!
やっとドーキー・アーカイヴシリーズの次回配本になった!
「さらば、シェヘラザード Donald E. Westlake Adios, Scheherazade ドナルド・E・ウェストレイク/矢口誠訳【次回配本】」ですって!!!
(けれども、国書刊行会ではHP上では配本時期までは明記していない)
ドーキー・アーカイヴっていうのは、「知られざる傑作、埋もれた異色作を、幻想・奇想・怪奇・ホラー・SF・ミステリ・自伝・エンターテインメント等ジャンル問わず、年代問わず本邦初訳作品を中心に紹介する、新海外文学シリーズがついに刊行開始!」と銘打って国書刊行会が刊行する外国文学。

ウェストレイクがなくなってもうすぐ10年(信じられない)。
心臓発作でバカンス中に亡くなっちゃうだなんて・・・。

まだまだ彼の作品は、ハヤカワ書房は出さなくちゃいけないと思うのだけど、前も書いたのだけど、R指定が付くような、前世紀だったら書店の端っこに並ぶどぎつい表紙絵の横に置いた方がいいような内容の本が、「女性の新しい愛のカタチ!シリーズ最新作!」とか帯を付けて売ってもらえるのに、なんで、あんなに健全な笑い満載なドートマンダー(ウェストレイクが駐在していたドルトムント、が語源らしい!)シリーズはまだ未訳がこんなにある!

Drowned Hopes(1990年)
The Road to Ruin(2004年)
Watch Your Back!(2005年)
What's So Funny?(2007年)
Get Real(2009年)

見かけはさえないけれど、男気が見えにくいけど、でも仲間のためだったら結局一肌脱いじゃう、そんなドートマンダーと、彼に恩義を感じちゃいすぎて、スットコドッコイなことをしちゃう仲間たちの、まさに「友愛」を軽妙に訳してくれていた木村仁良さんはもう私たちに紹介をする気が失せてしまったのでしょうかね。彼の翻訳によるウェストレイクのほうが、私は好きなので、本当は、国書刊行会の翻訳がどういう仕上がりなのか、ちょっぴり心配でもあり・・・。

それ以外にも、ハヤカワは、まだ元気なアーロン・エルキンズも未訳があるんだけれども。

少なくともウェストレイクは作品がこれ以上増えることはないのだから、どうか、ドートマンダーシリーズぐらい「完結」してほしいです!

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彼らの翻訳本で私の本棚をコンプリート状態にしたい!



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by eastwind-335 | 2017-12-17 17:21 | Books | Trackback | Comments(0)

明治の旅

英語ができたらよかったのになー、と努力を一ミリもせずに思ってしまう私。
いや、翻訳本を読んでいて、躓くというか、ひっかかることが多くて。

内容がわからない、のではなく、「普段、自分では用いない記号で文章が終わる」という点において。どういうわけか「!?」で終わる文章が散見される訳なのです。

もう英語を「文法的に正しいか?」なんて考えずにすむ(つまり試験で評価される)ことがなくなって30年近く経ち(基本的には学部3年生になった時には英語は「必修」ではなかったので)、いろんなことを忘れているなあ。

「!?」について、ググってみましたよ!「感嘆符疑問符」ってベタな名称だということを知りました。
もっと、なんか「専門的~!」な表記なのかと思っていたのですけれど(笑)。

そして、日本語でよく用いられる記号なのだ、と知ってさらにびっくり。
小林多喜二の『蟹工船』、二葉亭四迷の『平凡』で用例がよく見られるだの、現代でもライトノベルや漫画でよく使われる、だのと読み、蟹工船にそんなに出てたっけ?と頭のしわが伸び切っているワタクシは、次は『蟹工船』立ち読みだな、と思いました。

ググった結果、英文で、ではなく、日本語の文章での使い方ばかりがでてくるのも驚き。

原著も「!?」となっているのかしら?という思いがますます募る。

そんな疑問を呼び起こしたのは、今読んでいる『シドモア日本紀行ー明治の人力車ツアー』(講談社学術文庫)
19世紀から20世紀のアメリカの女性人文地理学者エリザ・R・シドモアの日本紀行記。当時は横浜が窓口だった時代なので、横浜から始まり、三浦半島、鎌倉、東京、そして関西へと旅した彼女の紀行文。子供時代、近くに住んでいたことがある町の名前などが出てきたりして、「あー、もっと若い時にこの本を知っていたら、行ってみたのになあ~」と残念に思うことも色々ある。

明治の皇居の様子など、代替わり(いくら国民の象徴だからって、政府主導で日程なんぞを決めたら、まさしく「政治的利用」のような気がするんだけどなー。カレンダー会社に配慮した改元だなんて、あっていいのかしら?)が近づいている今、非常に興味深いものがあります。

絶えず気になっているコトは、この本には記載されていませんでしたけれど、自分の日常と異なる文化圏を旅する面白さについては、私も体験していることなので、ページが進む進む・・・。

が、やっぱり気になるのが、時折でてくる「!?」。訳者の好みなのか、19世紀の英語はそうだったのか?気になる気になる・・・。

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by eastwind-335 | 2017-11-10 07:20 | Books | Trackback | Comments(0)

やっと読み終わった

硬いカバーの堅い本。読むときは週に1冊、というときもあるのだけど、なんせ、通勤の復路せいぜい30分ぐらいしか読めない。それだって、疲れていたりすると・・・気が付いたら乗換駅だったりするから(涙)。
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読み始めて1か月以上かかった。
もちろんほとんど読めない週もあったのだけど。図書館で何度利用延長をしたことか・・・。

翻訳がちょっと。文章が飛んでいる気がして、原著の完全訳なのかしら?と何度思ったことでしょう。いや、翻訳のせい?原著を辞書を引き引き読んだ方が早いのかも、と思うほど、文章を読むというよりも「字を読む」という本だった。

たぶん西洋史がばっちり頭に入っているひとだったら「お約束」の言葉、歴史的事実がそこから読み取れるのでしょうけれど、抜けている人には読みづらい。お約束がわからないから、目の前の数行の内容が今一つピンとこない。
ユルい高校で学んだ私。「日本史」も「世界史」も高3になって初めて学ぶ。先生自体もユルいから先生のお得意のところが長引く(笑)。だから、終わらないままで卒業。(マグレで大学進学をしてしまった)私のウィークポイントは地域を問わず「16・17・18・19世紀」。
理系の夫ですら知っている歴史的事実や人物や国際関係について「えー?そこ、習ってない時代だから」と答えてしまうそんな私の「歴史脳」で読むのですから、困難を極めます。
連なる字から具体的な事例を思いつくに至らないのです、足りない私。

一国ごとの歴史、ヨーロッパの歴史、アメリカの歴史、日本の歴史、アジアの歴史・・・が頭に入っていて、なおかつ、国境を接する国々との外交関係もわかってなければならず・・・。あちこちの地名も大切。

パスポートの歴史を知るのがこんなに大変だったとは!

「回り道をしているうちにいろんな風景が見えてきて、知りたいこと以上のご褒美が与えられるはず」というのが信条な私。くじけず、注も一つ一つめくってみたのですが、その注(山のようにある!)だってあーん、翻訳になっているものなんてチョッピリだけ。注の論文や書籍へのアクセスは困難そう・・・。

でも、旅好きとしては、移動の歴史を知ることは大切じゃないのかなー、って思います。それに、昨今の世界の動きを見ていると、人の移動はパスポートで保証される時代はいつまで続くのかしら、と不安になることも。だから、この本も途中で返却するのではなく、読み終わりたかったのです。
もう一度よく読み直したい。次は本に具体例を書き込みたいほど。そういう意味では、読み返せば読み返すだけ発見がある、そんな本。私のような偏屈向き。古本で扱ってないかしら?



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by eastwind-335 | 2017-11-04 21:45 | Books | Trackback | Comments(0)

これは尋ねすぎ

高校生の頃に雑誌「オリーブ」や「ポパイ」に目を通すようになって以来、私はM社の雑誌に目を通さない月はない、といってもいいほど(買うかどうかは別にして)。

最近はメルマガも登録してあって、クロワッサンやKunelなどが発売されると、新しい号の紹介があって、そのメールで本屋へ行き、雑誌のついでにほかの本も買う、という本屋的には「かもねぎ」状態であったりもした。

で、そのメルマガがリニューアルし色々なサービスが増えるという。改めて会員登録が必要。そのサービス(プレゼントだの試写会だの)は別にどうでもいいのだけれど、新しい号の紹介やビハインドストーリーはやっぱり読みたいから、その作業をしようとした。

個人情報を超えた内容ばかり尋ねる。
まあ、新しいサービスは「ものをあげる」的な視点で設定されているから、住所を聞くのはアリかもしれない。
でも、なんで生年月日だの、年収だの、1か月に使える金額だの、職業だのあれこれ聞くんだろう。
「名前・生年月日・性別・結婚・住所・電話番号・子供(の有無)・世帯年収・個人年収・個人の月額使用可能額・その使い道・使用可能額のうちの情報収集金額・居住・趣味、関心事・趣味、関心事の中でも特に強い関心度があるもの・使用SNS」は必須。これに加えて読みたいメルマガの本体雑誌名(選択式)。
さすがに性別だけは、昨今のLGBTを配慮しているのか「男性・女性・未設定」としてあるけれど、ほかはすべて「絶対選択肢内から回答のこと」となっていて「答え(たく)ない」という設定がない。

M社は、プレゼントを送るためだのなんだのと理由をつけて伺っています、それを承知で答えてください、みたいな「規約」を設定しているのですが、それにしても、訊きすぎ!

社としては個人情報保護を行うが、インターネットによる情報保護は100パーセントではないと明記している。ま、この手の文章はいまやどこの社も機関もつけますけどね。
M社もそういう点に疑問のある人は答えないでください、という姿勢をちゃんと打ち出しています。規約を読み通し、若干の文言にひっかかりを感じた私は「足抜けしよう」と思いました。

だいたい、プレゼント応募はこれまでだってしていないし。いわゆる「加工可能情報」を他社に売って儲けてるマガジンハウス社にタダで商品(わたし)を渡す必要はない。

メルマガと「私のあれこれ」を単純に交換できるほど、「私のあれこれ」は安くない!

よく祖母が「タダより高いものはない。安かろう悪かろう」と言っていました。長年働いている割には年収が低い私。そこは覚悟で就業しているので、ついつい節約モードになりますが、「お値打ち」という言葉も知っている。

ということで、これからは「自分で情報を探しに行く」ことにし、メルマガはマガジンハウス社がいう「今年末」でバイバイすることにしました。

便利な世の中だけど、人の能力が急カーブで上がるってことはない。むしろ、下がる一方なのに、与えられる情報は増していくばかり。その情報量に見合ったように行動(生活)しなければならない、という心身のムリが蓄積されたら、恐ろしいことになってしまう。与えられた情報を選択するよりも、こうしてみたい、という「社会的動物の勘」を養いたい。
自分の目につくぐらいの情報の中で生きるのが、私にはちょうどいい。スマホで検索ばかり、詳しくはwebで、なんていう情報までおっかけていたら、自分の生活がダメになる。知っておきたいことへたどり着くまでの「ぐるぐる」を楽しみたい。
私にとって、グーグル先生に一直線に情報の泉へ連れて行ってもらうのは、「数学の宿題を教科書ガイドで解く(正式には丸写しする)」ことでその場しのぎをしていた高校生の時のような「うしろめたさ」がある。
もうメルマガ経由でビハインドストーリーを読んで「次はここへ行ってみよう!」とか「あれをやってみよう!」と思うことは減るかもしれないけれど、きっと、別の媒体でも、したかったことには繋がるはず。そうやって50年生きてきたんだもん。大丈夫。

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by eastwind-335 | 2017-10-25 06:26 | Books | Trackback | Comments(0)

リュックをしょって、たぶん出かける

こんな素晴らしいイベントがあるなんて!

28日、午前中はお習字のお稽古だけど、午後は空いている。とりあえず一生懸命帰宅して、着替えて(一応お稽古事の時にはちゃんとした格好で先生のお宅に伺うので)、リュックをしょって出かけると思います。午後からの参加だけどいい本や本グッズと出会えると嬉しいなあ。

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このイラスト、私の部屋かと思いました。いや、もっと散らかっているけど。こんなおしゃれじゃないけれど。本が積み重なっているあたりはそっくり。植物はない。本の上に何か乗っちゃってるのは同じ。

1箱古本屋というのも参加できるらしいのですが、Facebookをやっていないとだめみたい。このイベントもFacebookから情報を得なくてはならない。あー、めんどう。っていうか、Facebookの即時性は理解できるけれど。例えば応募状況もFacebookだとすぐにわかりますもんね。でもね。本のイベントだよね、これ?

ほら、Facebookは登録してないと、うざったい、もとい、勧誘のバーナーが本文を覆うように出てくるでしょう?

若い人だけ来いってことなんだろうか、とうちの職場の本代には上限を設けないおじ(い)さまが結構カンカンしてましたよ。

いずれにしても、トラノモンがんばってるね!ちょっと残念なのは、あのあたり、土日は人がいないところだからなあ。ちょっと買った本を読もうと思っても、250円ぐらいでゆっくりできるお店は1軒ぐらいしかないよね。まさかコンビニのイートインで買った本を眺めてニヤニヤできないし・・・。

ま、とにもかくにも、行ってみよう、そうしよう。

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by eastwind-335 | 2017-10-20 21:37 | Books | Trackback | Comments(0)

どこまでが「事実」なのか

私は出勤時は電車に座ると新聞を広げ(30分もあればとりあえず読み終わる)、帰宅時には本を読みます。どちらにしてもたいていの場合「座って通勤できる」環境にあるからです。帰りは部活帰りの高校生や大学生と一緒になったりすると座れないけれど、立って本を読むことはできるぐらいの混み方なので、片手でつり革を時折にぎりながら、本を読んでいます。

その本というのも、以前から時折書いていますが、「最近の日本の小説」は全く縁遠くて・・・。
読まなくちゃなー、と思いつつ、どうしても翻訳小説のほうが優先になってしまう。

ある時、本好きのお兄さんと一緒に帰った時に、その問題を相談したところ、「読書に自分の人生体験にはないことを求めるタイプと、自己肯定を求めるタイプとがいる、と思う」と言い出しました。
お兄さんは、同世代の作家の作品に共感して安心するだけに終われないんだそうですよ。
お兄さん曰く、私もそのクチだと思う、とのこと。知らなかった!ということが一つでもあると面白かったというのは確かですねー。

たぶん、日本が舞台の小説は、私の職場自体がルーティンが基本のくせに「刺激的」な日々なので、ちょっとやそっとのことでは共感だの自己肯定という感情に至らないのでしょう。たぶん。
だから、翻訳小説に行っちゃうんだろうな、私。

さてさて、この2か月、チミチミとですが読んでいるのが、ネレ・ノイハウスの小説。フランクフルト近郊の「タウヌス」地方を舞台にした警察小説。翻訳が出ていることは数年前から知っていたのだけど、北欧ミステリーの続きみたいな扱いというか、非英語圏ミステリーにありがちな「広告臭プンプン」(言い換えれば「突然すぎる」)な宣伝の仕方が気になって、手に取ることはしなかったのでした。

「広告臭プンプン」には一度ひっかかったことがあって・・・。私は、日本における翻訳ドイツミステリーの先駆けであるベルンハルト・シュリンクの作品が合わなかったのです。合わなかった、というのは訳が合わなかった、ではなく、訳が良すぎて読み込みすぎて、挙句、シュリンクの書く男性・女性像、特に男性像に「え?」という反発を覚えたというか。
特に『朗読者』は、高校生のころに源氏物語を読んだときと同じ感覚。

人生が浅いので、共感できないんでしょうけれど。かといって、「そうなの!」という驚きは少なくて。なんか、ウソくさいなー、って。
シュリンクの作品は「ナチス」抜きには成立しないものばかりなのだけど、そして、それはドイツの現実なのかもしれないけれど、でも、「ナチス抜き」だったらこの作品って・・・?って思わせちゃうような構造のように思えたのです。

しかし、久しぶりに寄ったブックオフで、たまたま手に取ったのがノイハウスの本。
それも、彼女の本の翻訳はなぜか第1作からではなく第3作からでたそう。私が手に取ったのが第1作にあたる作品。隣に並んでいるのが第2作。2冊買っても、本屋で定価で買う1冊分に相当する程度だったので、とりあえず2作目まで読んでみよう、と思ったのでした。

私はできれば、シリーズものは第1作から読みたい、見たいタイプですので。ミステリーっていうのは、シリーズになればなるほど、途中からっていうのは、解説者あとがきを読むよりもタチが悪いと思っています。シリーズものっていうのは原則時系列順であり、人の成長(?)がわかるでしょう?

ということで、読み始めた『悪女は自殺しない』。設定が2005年。家人がドイツへの長期出張の打診を受けたころだなー、とか、このころの私は~なんて思いながらページをめくるうちにドンドンとのめり込む。
ナチではないドイツの歴史を組み込んだ警察小説。
その時々のタイムリーな内容を(タイムリーといっても、NHK衛星放送の国際ニュースやドキュメンタリーで知っている、という程度のことですが)思い出す事件。事実と「ありうるかも」がうまく織り込まれていると思います。

一気に読み上げるのではなく、チミチミ、がっつり読むという感じで、いま3作目の途中。
この数年の私のフランクフルトでの定点観察ってここにつながるんだ!という話が出てきて、次のページをめくるたびにワクワク。
昨日もブックオフで第4作を買いました。40代最後に読み、50代最初に読む小説になるのかな。

この小説と平行して読んでいるのがジョン・トービーの『パスポートの発明』(法政大学出版局)。へえ、そうなんだ!という驚き、この夏に訪れたフランスのパスポートの歴史から始まるのですが、同じ時期にフランスの地方都市に出張中だったお兄さんから伺ったばかり地名などが出てきて、これもまた「ほほう!」と。

一方で、のめり込みたくなるような日本人作家に巡り合いたい、と思うこの頃です。

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by eastwind-335 | 2017-09-22 07:20 | Books | Trackback | Comments(0)

ボンドさん、ありがとう!

子供時代をつくってくれた大切な本をこの世の送ってくれた、マイケル・ボンドさんが91歳で亡くなった、といま、BBCで報道されていました。

世の中に、マーマレードやグレープフルーツなるものがあるってことを教えてくれたクマ。片田舎では入手できず、母が横浜へ出かけた時に買ってくれたのを思い出します。また、社宅生活だったから、買ってもらったことを同級生たちに言ってはダメ(私の真似をしたがる子が数名いたらしく、母がそこのお母さんたちから嫌味を言われたことがあったそうです)、とかん口令も敷かれたなー(笑)。
ダッフルコートを買うのが夢だった中学時代。(あのころは、大学やOLが着るブランドでないと扱いがなくて、年代に見合った服しか買ってもらえなかった私には永遠にその日は来ないような気がしたものです)
三井銀行のキャラターグッズがパディントンに決まったと知り、500円を握りしめ口座を開きに行った高校時代。
そのときのグッズに目をとめた英語教師にかわいがってもらった大学時代。いまだお元気でいらっしゃるこの先生もまたパディントンに縁のあった方だったのでした!

そして、年を重ねても、つい数年前にすら、パディントンの話から歴史を学ぶことができると教えてもらいました。

去年、日本語訳の初版は私とまったく同じ時にこの世にあらわれたのだと知り、一人勝手にパディントンを「双子の片割れ」と思う気持ちが強くなりました。行く先々で騒動を起こし、周囲に助けてもらうところも一緒(笑)。

ドイツ語を習うためにドイツへ初めて行って以来、いまも私が旅行の時にお守り代わりにもっていくタオルは、もう30年ほど前に弟がくれたバースデープレゼントでした。「彼氏」がいない娘のために母が気を利かせて、弟に買わせたんだろうと思います。その後、弟からは、イギリス旅行のお土産にもパディントンのぬいぐるみを貰ったのでした。これも母の入れ知恵でしょう(笑)。
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91歳でお亡くなりになったマイケル・ボンドさんの本で楽しんだ私たち。すでに、子供、早い人にはお孫さんとの3代で楽しんでいらっしゃるのではないでしょうか。こうやって次代へのつながりを作ってくれる人のお別れをBBC放送を通じて知り、今朝はさみしい気持ちでいっぱいです。

ありがとう、ボンドさん!

ボンドさんのほかの子供向け作品(たくさんあるんですよ!)も、これを機会に日本でも紹介されたらいいのにな、と思ってます。
福音館さん、どうですか?

そして、半ばあきらめていますけれど、翻訳がどういうわけかストップしちゃった大人向けシリーズである「パンプルムース氏」シリーズを東京創元社が再開してくれたら嬉しいのになー。

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by eastwind-335 | 2017-06-29 07:03 | Books | Trackback | Comments(0)

Kunelが更年期世代のOliveになったきた

賛否両論あった新生Kunel。とりあえず1年間は買おう、と思い2か月に一度、発売日に購入をしています。もうすぐ1年。

前のKunelが醸し出す優しい雰囲気、よく練られた内容、国内外問わずにいつか行ってみたいなと思わせる自然な感じがとっても好きだっただけに、当初、新生Kunelは戸惑いが大きかった。
それまでのものをバッサリ斬り落としてしまって、無理して「今」を追い求める50代のananって感じ。急に体制が決まったのかな?って感じぐらい、斬新というよりもクーデターっぽい雑な感じというか・・・。
一般に、雑誌が読み手を選ぶ(つまり編集方向性が明確)というよりも、読み手が買ってくれる雑誌を売る(つまり編集より広告効果が大切)という場合が多い。特に、年代別女性雑誌にそれが顕著。

ところが、前のKunelはどちらかといえば前者だった。だから、商品ではなく、エピソードのあるモノであったりヒトであったり場所をきちんと追いかけた内容だった。そこへ行ったとしても会えない、または写真と全く同じものは買えない、そんな感じ。

新生のKunelはどうなんだろう。
度肝を抜いたのは、「その辺のガイコクジンのおばさん」が表紙になっていたから!
再開1号以来途切れることのない「フランス女性の街角スナップ」。Oliveの名物コーナーが20余年の時を経て再び復活!となったと私は位置付けてます。ただし、読み手が年を取ったように、映ってる人も、かつてのオリーブ少女が憧れた「リセエンヌ」の成れの果て。
えー?どうして日本の50代じゃなくてパリの50代なわけ?と私は純粋にびっくりしちゃった第一号。Kunelのよいところは、どこかの国にイメージを固定しなかったこと、もっといえば、そうそう簡単に行けないところへ、だったわけです。パリかー、日本から乗り換えなしで行けるところじゃん、なんだかなあ、ってところかな。
これだったら他の雑誌でも同じスナップが撮れるんだけどなあ、ってがっかりしたというか。
ところが、新生を銘打った以上、それまでのKunelではテーマ的に取り上げられなかっただろうことを第3号で特集をした。それが「離婚」特集。もちろん、いきなりではない。フランス人女性のスナップに「リセエンヌの恋愛話のその後」はこんな感じだったんですよーってうっすら盛り込み、第3号で真打として「日本人女性たちの離婚」を特集!
離婚等、50代になれば当事者になるか、または身の回りに一人は体験したことがあるだろうこと。すっかり優等生向け雑誌になってしまった「クロワッサン」では扱えないテーマをこうもどうどうと扱おうとは!
告白内容的には、年代別雑誌で時折小さく特集されていたものと変わりないんですけど、すっかり丸くなったマガジンハウスの雑誌の中では異色だった。
どこへ向かう?と興味本位で2か月に一度が楽しみになってきた。
思えば、50代以上向けなんだから、「更年期」なわけで、体と心の声を聞く年代向けなわけで、「ねばならない」って必要はないわけですよね。60代という還暦(子供に帰る)に向けて考えれば、50代って10代のころの「きまま」さに似たものを持ち合わせているんじゃないかな?と思うこの頃。10代は生理を体験して、ジュニア時代とは違うからだの変化に戸惑う「恐るべき子供たち」ですが、50代は閉経を体験して、これまたこれまでと違う体の変化にすんごく戸惑う「恐るべき元子供たち」なわけです。急に気分が上下しちゃうぐらい戸惑う年齢に合わせたように、雑誌内容も「え?」なことになっているのかも、と思うようになったのです。

ということで、私はKunelを「更年期雑誌」と命名することにしました!
更年期雑誌と思えばいろんなことが大目に見れる。

雑誌のミューズは一世を風靡した(ことになっている)日本人女性だ、と言い切った第4号で、私も慣れてきたのかもしれないけど。
年代別雑誌では「娘世代と同じような恰好をどうやって取り込むか」がテーマで、「美魔女」なんて言葉まで作って、いっぱいライトを当てた不自然な写真を載せてる。「自然派です」という感じもない。そんななかで、そうか、彼女なのか、という驚き(疑問にちかい驚き)。
80年代のマガジンハウス社(あの頃は平凡出版だったけど)のananのモデルだった人たちの今と今の装いを特集した号を読んだとき、必ずしも、モデルさんとはいえ体型維持が難しかった人がいたんだなあ、とか、今なりのステキさがあるけれど、(まだ30代の服を着ようと必死になっている)今の50歳代向け雑誌では使ってもらえないだろうなあ、と思ったこともあった。1回こっきりで終わっちゃってがっかり。

その点、今号は「かつてのオリーブ」を彷彿させる作りだった。日本では買えない素敵なもの、を全面に。日本で買えるけど、そこいらでは買えないものをその次に。伊東屋にあこがれた10代の頃を思い出す、そんな紙面構成だった。あとは、表紙買いをしやすい日本人女性が表紙より中身、と考えられるかどうか、だな(笑)。私はカバーモデル(もう50過ぎたら「カ婆(かばあ)」と言ってもいいような気もするけれど)システムはあんまり好きでないので、本当はねえー、なんですけどねー。

編集側も試行錯誤しているんだろうと思います。サッカーに置き換えれば、小林麻美をフォワードに、フランス女性たちをトップ下に、そしてコウケンテツ・松浦弥太郎をダブルボランチにして、ってところでしょうかね。この雑誌の弱点はGKの存在感がないところ。監督(編集長)はベテランだけど、作戦の読みが当たってるのか、観客である私は戸惑う。
少なくとも、21世紀のマガジンハウスにはない雑誌であることは確か。平凡出版時代のとんがりをこの雑誌が持っているとは思います。
日常が「うー。このままじゃ息詰まる!」と思いながら仕事をしている身ですので、私は本当は「あー、素敵!見て気分転換ができたわ~」と思える雑誌が精神衛生上は良いのだとは思うのです。でも!更年期一歩手前まで来ていることは自覚してますし、自分の体がいつまでも30代だの40代初めみたいな「ピチピチな感じ」じゃ恐ろしいので(SFじゃあるまいし)、もうしばらく2か月に一度、この雑誌のもつ微妙な歪みに対して今回はどんなツッコミができるんだろう?と思いながらこの雑誌を買うのではなかろうか、と思います。

ところで、最近の各社の50代雑誌って「息子世代」の「芸能人」だの「スポーツ選手」を嬉々として取り上げていて、個人的にどーしちゃったんだろう!って思ってるところ。お願いだから50代のオリーブ、もとい新生Kunelだけはそういうのはやめてほしいなあ。
どうせだったら素敵な60代女性を取り上げてほしい!


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by eastwind-335 | 2016-12-14 06:10 | Books | Trackback | Comments(0)

東風のささやかな毎日のささやかな記録


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