お江戸日本橋から東京丸の内へ(その1)
2007年 09月 30日
木曜に東京駅でふとみかけたポスター。土曜日の夕刻、山車が丸の内を練り歩くとか・・・。
土曜の朝、ネットで詳細を確認しようとしたら、間違って、中央区のHPを検索。しかし、そのおかげで行こうと思っていた美術館展示があったことを思い出しました。
それがこれ。
行かなきゃ、行かなきゃ。旅がテーマだもん。絶対行かなきゃ、と思っていたのです。またもや会期ギリギリですけれども、山車を見る前にこれを見なくちゃ・・・・。
でも、昨日は午前中はダラダラしてしまい、結局、家を出たのは2時半すぎ。
神田駅から日本橋に向って歩きます。久しぶりです。いつもは銀座のほうから歩いて行くことが多いので。
娘時代、私が母のお付きで日本橋三越へ行くと、不思議なのですけれど、父が勤め先のある室町のほうから横断歩道を渡ってきたり、私たちが1階で何かを見てると「やあ」と現れました。多分、両親は打ち合わせてあったのでしょう。で、千疋屋へ連れて行ってくれました。あの頃の千疋屋は、店内にたくさんの観葉植物があり、海辺の街にはぜったいない雰囲気。銀座の他のパーラーや喫茶店とも違う雰囲気でした。
日本橋周辺が新しくなってから2年近くになりますが、初めて行きました。
あのあたりって昔は古美術商がけっこうあったように思うのですが、いま目に付くのは、肩もみなど癒しのお店。サラリーマンはお疲れですよね・・・。耳掃除をしてくれるお店もありました。
それでも、日本橋三越近くになると・・・
すてきな雰囲気ですねー。ここ、古美術商なんですよ。前はどんな佇まいだったのかしら・・・。
この日飾られていたのは・・・木彫りのネコ2匹と徳利や小皿。
この徳利は印判手つまり手描きではない手法によるものだと説明がありました。
この店の前に今日の目的の三井記念美術館の入った外資系ホテルのビルがそびえ立ちます。
私が始めて自分で銀行口座を開いたのは三井銀行でした。というのも、クマのパディントンが銀行のキャラクターになって(多分、都市銀行では一番最初なのではないか、と思います)、口座を開くとグッズがもらえたからです。わざわざ窓口で入金して、下敷きとかメモとかシールとかいろいろなものをもらったなあ・・・。ティッシュでも嬉しかったです。その日本橋店、なんともいえない趣があり、行員さんの物腰も違ったので、親がお金を下ろすときにうしろからそっとついて入るぐらいでしたが、こんな立派な銀行で働くのってどんな感じかなーと思ってました。
いまや、そこに隣接して、
いつかこのお店の果物を自分のために買いたいなあと思っていた千疋屋のギフトショップや
超高級ホテルのショップなどが。ぴかぴかに磨かれた窓ガラスには、この数年の間に立て替えられたビルがきれいに写っていました。NYのマンハッタンのようです。
美術館はビルの7階にあるのですが、まず、ビルに入ってびっくり。
こんな竹、よく見つけたなあー。全体に「和」(それもモダンなやつ)を意識したのでしょう。エレベータへ続く廊下もオリエンタルです。
古いものもちゃーんと残してあります。これは今は使われていないのですが、書庫の扉。アメリカ製だとか。
ようやく、展示場内へ。ここからは写真はNGです。
展示は、三井美術館が持っているものも多く、だからでしょうか、入館料も800円。旅に関する小物(名所が金銀で描かれた印籠、お茶セット、煙管いれなどなど)からはじまり、国宝である藤原定家の「熊野御幸記」の展示、同じく国宝の「一遍聖絵」の一部展示(入れ替えがあったようです)、厳島鞍馬屏風などの美術品の展示。鳥瞰図のはじめともいうべき北斎の「東海道一覧絵図」もあり、文章や絵から、前近代の人々が旅(移動)をどのようにとらえてきたかがわかるようになってます。
今回は予め目録を買って、目録の説明と、会場の説明(ほとんど一緒でしたけれど)を読み合わせながら廻ってみることに。ところが、この図録、全ての展示物を収録していないんです。で、そういうものに限って、「これってどんな意味があるんだろう?」とギモンがふつふつと沸いてくるのです・・・。
臆面なく聞く私もナンですが、どんな博物館、美術館だって展示室内に座っている人にはまあ、答えてもらえません。それでも、この美術館は私の質問をメモに書きとめてくれ、学芸員にすぐに問い合わせてくれましたから、親切なほうだと思います。今回、気になったことの一つは、「龍田川蒔絵印籠」の栗の形をした根付けの裏に彫られている文字らしきもの。係員さんを通して聞いた学芸員さんの答えは「なんて書いてあるかわからず、今調査中です」でした。私も専門外なのにしつこく聞くのは失礼かなとそこで終わりにしたのですが、
「調査中のものなんか出すなーっ!」
とチラと思いましたわ。しかも、そこも大きく見えるように拡大鏡を設置しているのに!いや、拡大鏡は蒔絵をみるためのもの。すみません、ヘンなところに目が行ってしまって・・・。
実は、いつもと違って先に図録を買ったのは、図録には崩し字で書かれた古文書などの読み下し文や翻刻が載ることが多いので、それを手元におきながら目玉の「熊野御幸記」をじっくり見るためだったのです。売り場でも展示文付きとあったので図録を買ったのですが、それは読み下しではなく、現代語による大意だったのでした。ちょっとがっかりしましたが、でも、この現代語訳は読みやすかったです。ま、「ずいぶんと端折った文章になってるよねえ」という研究者らしきオジさまたちもいましたが、多くの人に見てもらうにはこうするのがよいのでしょうね・・・。
小さい美術館ですが、展示の間隔をきちんとあけてくれたり、拡大鏡から覗けるようになっていたり、と、日本橋にお買い物に来る「お目の高い人々」にも満足してもらおうというのが伝わってくる設えでした。
そんな中、クスっとさせるものが!「金唐皮腰差たばこ入・堅木きせる筒」の解説によると、タバコいれについている紫水晶の止め具が「こうもり」なのだそうです。上から見ようにも光が反射する感じなのと、台が高いために果たしてこれがこうもりなのかはわかりませんでしたが(上から見られるようにして欲しかった!)、横から見て素材が紫水晶だというのはわかりました。で、解説には、きせる筒にある木目と同じ形にその止め具をつくらせたことが紹介され、なんと、
(わかるかな?)
で文章が締めくくられていました。天下の三井様の美術館で、ですよ。よっぽどお茶目なキューレターだか美術家員がお勤めとみました!
そんな中、図録に収録されていない作品で、とっても心にのこったのが、古筆手鏡「筆林」と呼ばれるものです。解説によると、了延(1704-74)によって、名筆の書いた物を表裏各々38面の手帖みたいなものに仕立て直したもの。元文3(1738)年当時の臨書のお習字の手本となったわけですね。
そこに「仙洞様 旅行」という題で
「かへりみる 心もたれか しら雲の 八重にかさなる 故郷の雲」
という和歌が載っていました。
どなた様が読んだ歌なのか聞きたい気もしましたが、またまた「調査中」と言われそうな気もしたのでやめておきました。
ああそうだ、故郷を離れても、空は一つ。しかし、現代もそうですが、出かけるということは無事に出発の地に戻れるというわけではありません。藤原定家は、体調不良に苦しみ籠に載ったのに、「まるで大海に出てきたようだ」とか「生きた心地がしない」と更なる苦しみを記録に残してます。私も船だけは弱いので、その気持ち、よくわかるよ、定家クン。後鳥羽上皇と一緒だからドタキャンというわけにはいかなかったことでしょう。気を遣う旅行だったようです。
土曜の朝、ネットで詳細を確認しようとしたら、間違って、中央区のHPを検索。しかし、そのおかげで行こうと思っていた美術館展示があったことを思い出しました。
それがこれ。
行かなきゃ、行かなきゃ。旅がテーマだもん。絶対行かなきゃ、と思っていたのです。またもや会期ギリギリですけれども、山車を見る前にこれを見なくちゃ・・・・。
でも、昨日は午前中はダラダラしてしまい、結局、家を出たのは2時半すぎ。
神田駅から日本橋に向って歩きます。久しぶりです。いつもは銀座のほうから歩いて行くことが多いので。
娘時代、私が母のお付きで日本橋三越へ行くと、不思議なのですけれど、父が勤め先のある室町のほうから横断歩道を渡ってきたり、私たちが1階で何かを見てると「やあ」と現れました。多分、両親は打ち合わせてあったのでしょう。で、千疋屋へ連れて行ってくれました。あの頃の千疋屋は、店内にたくさんの観葉植物があり、海辺の街にはぜったいない雰囲気。銀座の他のパーラーや喫茶店とも違う雰囲気でした。
日本橋周辺が新しくなってから2年近くになりますが、初めて行きました。
あのあたりって昔は古美術商がけっこうあったように思うのですが、いま目に付くのは、肩もみなど癒しのお店。サラリーマンはお疲れですよね・・・。耳掃除をしてくれるお店もありました。
それでも、日本橋三越近くになると・・・
すてきな雰囲気ですねー。ここ、古美術商なんですよ。前はどんな佇まいだったのかしら・・・。
この日飾られていたのは・・・木彫りのネコ2匹と徳利や小皿。
この徳利は印判手つまり手描きではない手法によるものだと説明がありました。
この店の前に今日の目的の三井記念美術館の入った外資系ホテルのビルがそびえ立ちます。
私が始めて自分で銀行口座を開いたのは三井銀行でした。というのも、クマのパディントンが銀行のキャラクターになって(多分、都市銀行では一番最初なのではないか、と思います)、口座を開くとグッズがもらえたからです。わざわざ窓口で入金して、下敷きとかメモとかシールとかいろいろなものをもらったなあ・・・。ティッシュでも嬉しかったです。その日本橋店、なんともいえない趣があり、行員さんの物腰も違ったので、親がお金を下ろすときにうしろからそっとついて入るぐらいでしたが、こんな立派な銀行で働くのってどんな感じかなーと思ってました。
いまや、そこに隣接して、
いつかこのお店の果物を自分のために買いたいなあと思っていた千疋屋のギフトショップや
超高級ホテルのショップなどが。ぴかぴかに磨かれた窓ガラスには、この数年の間に立て替えられたビルがきれいに写っていました。NYのマンハッタンのようです。
美術館はビルの7階にあるのですが、まず、ビルに入ってびっくり。
こんな竹、よく見つけたなあー。全体に「和」(それもモダンなやつ)を意識したのでしょう。エレベータへ続く廊下もオリエンタルです。
古いものもちゃーんと残してあります。これは今は使われていないのですが、書庫の扉。アメリカ製だとか。
ようやく、展示場内へ。ここからは写真はNGです。
展示は、三井美術館が持っているものも多く、だからでしょうか、入館料も800円。旅に関する小物(名所が金銀で描かれた印籠、お茶セット、煙管いれなどなど)からはじまり、国宝である藤原定家の「熊野御幸記」の展示、同じく国宝の「一遍聖絵」の一部展示(入れ替えがあったようです)、厳島鞍馬屏風などの美術品の展示。鳥瞰図のはじめともいうべき北斎の「東海道一覧絵図」もあり、文章や絵から、前近代の人々が旅(移動)をどのようにとらえてきたかがわかるようになってます。
今回は予め目録を買って、目録の説明と、会場の説明(ほとんど一緒でしたけれど)を読み合わせながら廻ってみることに。ところが、この図録、全ての展示物を収録していないんです。で、そういうものに限って、「これってどんな意味があるんだろう?」とギモンがふつふつと沸いてくるのです・・・。
臆面なく聞く私もナンですが、どんな博物館、美術館だって展示室内に座っている人にはまあ、答えてもらえません。それでも、この美術館は私の質問をメモに書きとめてくれ、学芸員にすぐに問い合わせてくれましたから、親切なほうだと思います。今回、気になったことの一つは、「龍田川蒔絵印籠」の栗の形をした根付けの裏に彫られている文字らしきもの。係員さんを通して聞いた学芸員さんの答えは「なんて書いてあるかわからず、今調査中です」でした。私も専門外なのにしつこく聞くのは失礼かなとそこで終わりにしたのですが、
「調査中のものなんか出すなーっ!」
とチラと思いましたわ。しかも、そこも大きく見えるように拡大鏡を設置しているのに!いや、拡大鏡は蒔絵をみるためのもの。すみません、ヘンなところに目が行ってしまって・・・。
実は、いつもと違って先に図録を買ったのは、図録には崩し字で書かれた古文書などの読み下し文や翻刻が載ることが多いので、それを手元におきながら目玉の「熊野御幸記」をじっくり見るためだったのです。売り場でも展示文付きとあったので図録を買ったのですが、それは読み下しではなく、現代語による大意だったのでした。ちょっとがっかりしましたが、でも、この現代語訳は読みやすかったです。ま、「ずいぶんと端折った文章になってるよねえ」という研究者らしきオジさまたちもいましたが、多くの人に見てもらうにはこうするのがよいのでしょうね・・・。
小さい美術館ですが、展示の間隔をきちんとあけてくれたり、拡大鏡から覗けるようになっていたり、と、日本橋にお買い物に来る「お目の高い人々」にも満足してもらおうというのが伝わってくる設えでした。
そんな中、クスっとさせるものが!「金唐皮腰差たばこ入・堅木きせる筒」の解説によると、タバコいれについている紫水晶の止め具が「こうもり」なのだそうです。上から見ようにも光が反射する感じなのと、台が高いために果たしてこれがこうもりなのかはわかりませんでしたが(上から見られるようにして欲しかった!)、横から見て素材が紫水晶だというのはわかりました。で、解説には、きせる筒にある木目と同じ形にその止め具をつくらせたことが紹介され、なんと、
(わかるかな?)
で文章が締めくくられていました。天下の三井様の美術館で、ですよ。よっぽどお茶目なキューレターだか美術家員がお勤めとみました!
そんな中、図録に収録されていない作品で、とっても心にのこったのが、古筆手鏡「筆林」と呼ばれるものです。解説によると、了延(1704-74)によって、名筆の書いた物を表裏各々38面の手帖みたいなものに仕立て直したもの。元文3(1738)年当時の臨書のお習字の手本となったわけですね。
そこに「仙洞様 旅行」という題で
「かへりみる 心もたれか しら雲の 八重にかさなる 故郷の雲」
という和歌が載っていました。
どなた様が読んだ歌なのか聞きたい気もしましたが、またまた「調査中」と言われそうな気もしたのでやめておきました。
ああそうだ、故郷を離れても、空は一つ。しかし、現代もそうですが、出かけるということは無事に出発の地に戻れるというわけではありません。藤原定家は、体調不良に苦しみ籠に載ったのに、「まるで大海に出てきたようだ」とか「生きた心地がしない」と更なる苦しみを記録に残してます。私も船だけは弱いので、その気持ち、よくわかるよ、定家クン。後鳥羽上皇と一緒だからドタキャンというわけにはいかなかったことでしょう。気を遣う旅行だったようです。
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greenagain at 2007-09-30 18:49
ここの美術館、確か新しいのですよね。いつも良い企画展を開催しているので、気になっています。周辺にある店や環境も味わい深いですし♪
展示替えのある企画展のカタログは、収録されていない作品があるだろな、と腹をくくっている私は大人しい観覧者かもしれません。意見を言わないことには、企画する側は観覧者の意見がわかりませんからドンドン言った方がいいのだと思います。
「調査中」の真の意味は「わかりません」ってことなんでしょうね、きっと。
「心もたれか」と「八重にかさなる」という言葉が呼応しあって、印象的です。
展示替えのある企画展のカタログは、収録されていない作品があるだろな、と腹をくくっている私は大人しい観覧者かもしれません。意見を言わないことには、企画する側は観覧者の意見がわかりませんからドンドン言った方がいいのだと思います。
「調査中」の真の意味は「わかりません」ってことなんでしょうね、きっと。
「心もたれか」と「八重にかさなる」という言葉が呼応しあって、印象的です。
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東風
at 2007-10-01 06:51
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greenagainさん、こんにちは。
拡大鏡がなかったら、きっと私も気付かなかったと思うんです。
会期終了2日前にヘンな質問をするヤツがきたーと言われているかも知れません・・・。
小ぶりな会場ですから、人が多いときにはちょっと見ずらいかもしれませんが、なんというのでしょう、お上品な感じがよかったですよ。
拡大鏡がなかったら、きっと私も気付かなかったと思うんです。
会期終了2日前にヘンな質問をするヤツがきたーと言われているかも知れません・・・。
小ぶりな会場ですから、人が多いときにはちょっと見ずらいかもしれませんが、なんというのでしょう、お上品な感じがよかったですよ。
by eastwind-335
| 2007-09-30 12:47
| 日常
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Comments(2)