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10年祭

今日、大学時代のサークルの先生がお眠りになる小平霊園で10年祭がありました。
(クリスチャンだった先生なので、10年祭という言い方をします)
この先生が定年退職後20年以上もサークルの面倒を見てくださったおかげで私はドイツという国を知ることができたのです。
私がこの先生に初めてお目にかかったのは、大学一年のことですが、その時先生はすでに84歳になろうかというころでした。

一番上の先輩は82歳ぐらいでしょうか。戦争のために1945年8月に繰り上げ卒業を余儀なくさせられた方。次の年長者は戦後最初の入試を受けた方。やはりそろそろ80歳になろうかというころ。
今日集まった中で一番の年少者が私。職場じゃ「おばちゃん」の域に入りつつありますが、ここでは「うちの孫と一緒」とか「ウチの娘より若いんですものねー」と思いっきり末っ子状態でかわいがっていただきました。

お墓の前で、まず、イースターサンデーが明日ということで、イースター用の讃美歌を歌いました。
多分、讃美歌21からとったのではないかな。タンザニア民謡がもとの讃美歌「主の復活、ハレルヤ」(原題:Mfurahini, Haleluya。)でした。それから、祈祷でうたう312番「いつくしみ深きともなるイエスは・・」と、今の季節にぴったりということで「みどりもふかき」。そして、先生がお好きだった歌の中から「ウェルナーの野ばら」(Heidenroeslein)を謳いました。「野ばら」といえばシューベルト(わらべはみたりー、野原のばら♪、)ですが、それだけじゃないんだと教えてくださったのもこの先生。

時代の犠牲になりかかった時(パリの戦犯収容所に入れられたそうです)、差し入れに聖書と讃美歌をお願いしたことで文人だと認められ、収容所から出してもらえたけれど、結局ノルウェー経由でアメリカの捕虜収容所に移管され、戦後1年たってようやく帰国された経験をお持ちです。ベルリンオリンピックの時は通訳を務めていたので、ヒットラーと握手をせざるを得なかったこと。「声が小さくて、少年のような手だった」と。釣りをするのにドイツでは役所の許可がいることを教えてくださったのもこの先生です。

収容所時代に数字で呼ばれていた経験から、人間の尊厳について非常に敏感でいらっしゃいました。今の時代に生きていらしたら、何とおっしゃるだろうと、どなたかが先生への思いを口にしました。

この先生は、流行の波に流されて人間としての品格を失ってはいけないという考えをいつもお持ちでした。行きかう若者たちがあれこれ食べながらジグザグに歩いている中をぬって新宿のデパートへ向っていたら、どなたかが「先生が生きていらしたらびっくりでしょうね」と。
先生がお元気なころは、まだ車内の化粧も、飲食も「恥ずかしい」時代でした。ある意味でよい時期しかご存じないことは幸せだったのかもしれません。
by eastwind-335 | 2007-04-07 21:34 | 日常 | Trackback | Comments(0)

東風のささやかな毎日のささやかな記録


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