赦す

ペンシルバニア州を中心に、宗教上の戒律を守り、現代社会から距離をおいた生活をおこなうキリスト教徒の集団「アーミッシュ」の学校で、射殺事件があり、女子生徒数名が犠牲になってしまったニュースが世界に配信されたのは、数日前のことです。

アーミッシュを説明するときに、必ずといっていいほど引用されるのが、ハリソン・フォード主演の「目撃者」。あれが正しくアーミッシュを描いているかどうかは別にして、一部の人のみの知る(特異な)集団から、世界中の人が知り、関心をもつ生活集団となるきっかけになったのでした(彼らが作り出すシンプルな家具などが注目されたこともありましたね)。今回も、その映画を引用する局がいくつかありました。

事件の悲惨さ、特異さ(女子生徒だけを人質にとり、発砲した)についても紹介されていたけれど、今日の夕刊に、もっと驚くような記事が紹介されていたのでした。

今回の事件の犯人は、アーミッシュの住む地区には住んでいたそうだけど、宗教的にはアーミッシュではなかったそうです。そして、殺された生徒たちの親は、犯人の家族に早々に「会いに行き」、息子の犯した罪を「赦す」と伝えたそうです。
アーミッシュの人たちは、経験なプロテスタントクリスチャンであり、他者と争うことを忌み、争いは虚栄心が原因だと考え、ボタンすら飾りとみなして、つけないといいます。

赦す

主の祈りに「我等に罪するものを我等が赦すがごとく、我等の罪をも赦したまえ」という一節があります。

そう書いてあっても、クリスチャンとして聖書に基づく生活を送っている人でも、人を簡単に赦すことはできません。
アーミッシュの人たちも失った家族のことを思うでしょう。キリスト教では、死は主のもとに行くということだから、と、そう思って彼らには自分たちの哀しみを抑える日も来るでしょう。彼等の信仰は、年少者の少女たちをかばい「他の子供ではなく自分を撃ってほしい」と犯人の男に言ったという少女の勇気にも現れています。ただ受け入れるのではなく、自分を犠牲する勇気に。
アーミッシュたちの行いは、悪をただす、という名目の「報復」という手段でしか自分たちの悲しみを解決できない他教派のキリスト教徒に対して、一つの問いかけになったのではないでしょうか。
それとも、やっぱりアーミッシュは変わっている、で、済ませるのでしょうか。
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by eastwind-335 | 2006-10-08 01:59 | 日常

東風のささやかな毎日のささやかな記録


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