サッカー日本代表

私は、中学進学時に、今も実家のある街へ引っ越したのですが、閉鎖的な地元の公立中学になかなか馴染めませんでした。馴染んだ振りをしていましたが、それゆえに、高校進学は学区外の高校へ進学したい、という気持ちが知らず知らずのうちに芽生えていたようです。
3年生の秋、ある科目の先生も母に、隣の学区にある、彼女の母校でもあったとある公立高校への進学を勧めてくれたそうです。2年間単科のみを教えてくださっただけでしたが、私のことを気にかけてくださっていたようです。学区の学校には向いていないようだ、というその先生の判断は正解でした。
人と競うのが苦手、人より抜きん出たいという気持ちに欠けるけれど、でも、自分の納得できるレベルにいたい、という人が多い高校だとは聞いていましたが、この高校はそれだけではありませんでした。

ちょうど、サッカー部の全盛期に入りかかっていたのでした。

1年生の冬には、高校選手権に初出場。
2年のときは、あと一歩だったけれど、関東大会などで活躍し、
3年生のときは夏はインターハイ、冬は高校選手権に出場。

私は、小学生のときから弟の影響を受けたサッカー少女でした。三菱ダイヤモンドサッカーを毎週二人で見て、弟が両親から買ってもらうサッカー雑誌を隅々まで読み、中学生のときには、高校選手権で活躍していた選手の進学先を雑誌で調べ、自分のその国立大学に進学したいと思ったほどです。

サッカー部の男子にときめくことはなかったけれど、サッカー部の試合に一喜一憂し、サッカーの話題で学校中が盛り上がった高校3年間の毎日は、いまでも大切な思い出の日々です。

彼らのうちの数名は大学サッカー界でも活躍し(進学校だったから、というのもありますが、顧問の先生は、高卒後に実業団にすぐ入るのではなく、何浪しても大学へ進学し、サッカー以外の世界をもつよう指導していました)、私たちが大学を卒業して数年たって結成されたJリーグにも参加しました。

日本代表選手が、オリンピックで活躍したり、もう少しでW杯に出られるかも、というところまで出てきたがんばっていたとき、ものすごく応援していました。自分と同世代の選手がギラギラとしていたからかもしれません。自分たちはプロ第一世代だ、という自意識を強く感じていました。

フランス大会、本当にワクワクしました。そして、日本のレベルがどこにあるかもよーくわかりました。

でも02年の日韓W杯のときはそれほど燃えなかった。Jリーグ自体がいまひとつ盛り上がらない時期なのに開催国だからということで出場できたからでしょう。
日本でやるのは早すぎる。ジャパンマネー、コリアマネーとサッカー先進国からバカにされているのではないかしら、と。

ナカタという、私の少女時代には考えられないような選手が出てきたけれど、全体に線の細い選手ばかり。カズをはじめとする先駆者に対しての敬意の感じられない日本サッカー協会に対して、なんだか、違和感を感じていたのでした。

一番ひっかかったのは、トルシエ監督を全面的に信頼していない協会、マスコミの態度でした。

ジーコについては、トルシエほど正面切った批判はなかったのですが(さすが、神様ジーコにはいえないかな)、結果として、誰も責任をとらないチームができあがってしまったのは、この六月に世界中に露呈してしまった通り。

今の監督、オシムは、その点で、トルシエよりもやり手であり、ジーコよりも雄弁であり、なんといっても、愛想よりは押しの強さがありすぎて、インタビュアーも何もいえない状況です。

なかなか勝てないチームですが、こんな時期に勝っても肝心なときに勝てないのだったら何の意味もない。オシムの手腕に期待します。
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by eastwind-335 | 2006-10-04 22:58 | 日常

東風のささやかな毎日のささやかな記録


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