誉め言葉

私は料理が上手、とは思いませんが、時折、家人の舌をヒットします。
たいていは、ナカ先生のお料理教室で習った韓国のお惣菜ですが、意外なものが「おいしかった」となることがあります。

先週は、ナスの甘辛煮。わりと頻繁に作るもので、特に何かをしたわけでもないのですけれど、気に入ったらしい。もとはお弁当のおかず用に作りおいたのですが、家人が見つけ出したらしい。先週は体調が今一つで、私は毎日お結びと野菜スープをもって通勤していたので、週末に残り物を全部食べようと容器を開けると・・・たった1枚(直径4センチ弱の8ミリの厚さぐらいのも)が鎮座していました。
「1枚残すぐらいだったら全部食べちゃえばよかったのに」と言ったら「だって、お弁当に入れたい時に悪いし、おいしいものを一人で全部食べちゃいけないし」ですって。ナカ先生に教わったゼンマイの煮物が、2切れぐらい漬け汁に浮いていたということがあった時も、同じようなことを言っていた・・・。

一昨日作ったカレーは家人ごのみの辛さに仕上がったようです。あとから、辛さがこみあげてくるんだそうです。
ちなみに、ルーは、ハウスジャワカレー、昔ネパールで買った(そして冷凍してあった)マサラ、成城石井で買った「動物油脂を使っていないカレールー」、そして家人が旧ソ連邦の某国の出張土産としてお友達からもらったという肉用スパイス。
マサラと成城石井のカレールーは我が家は常にあります。ということで、家人はお友達のお土産が効いているのでは?と想像していますが、私はジャワカレーについていたマサラじゃないのかな?と。

とにもかくにも、非常に家人のハートをつかんだようで、「インスタに載せても、このおいしさは写真じゃ通じないしなー」と言いながら、おかわりに立っていました。

ほんと、見た目フツーのカレーですもんね。

偶然の産物なので、次にカレーでこれだけ褒めてもらえるのはいつのことか、と思いますが、「また、これ作ってね」と言われると嬉しいですね。
料理をレシピだけで料理を作るのは「体験」と「想像」とが必要。お教室で積んだ「体験」は本当に役立ちます。そして、「想像」の部分を鍛える(!)ために文字レシピだけで作るのです。何かの拍子で(例えば、それがお教室であったり、テレビの料理番組であったり)目の前で動きを伴って再現されているのを見た時に同じだったら「あ、間違いなかったな」と思うし、違う方法だったら「そうか、こうするんだ!ここがいけなかったんだ」とわかる。すべてが結びついたとき、身体のどこかが「カチっ」と整う感じがするというか・・・。
そういう頭を回す、というか、試行錯誤は応用と体得を生み出す、と私は思うのです。
だから、「おいしかった」といわれる料理は、何らかの応用が巧く行ったんだということなので、余計にうれしい。

この数か月、創造性や観察力に欠けるパートさんの「ありえないでしょ?」ってことが増えていて、その対応にちょっぴり疲れています。失敗した、というのとは違うレベルなので、本当に疲れてしまいます。失敗は誰だってするんだから、と言えますけれど、もっと物をよく見てやってほしい、というのは難しいですね・・・。「パートにそこまでさせるのか」とそういう時だけ権利を言い立てる人もいるし。パートとか正規雇用とか関係なく、「働く人として」お願いしたいと思う、と強く思うことが増えました。
一方で「気が利く」人もいて、その気の利かせ方は私も勉強になります。やっぱりそういう人は、なんでもよく見ているし、工夫の仕方が巧い。注意されても凹まない。次は巧くやりたいです、だから、また同じ機会があったら声をかけてください、という若い人や非正規雇用の人もいます。体験を応用に変えていく「知力」がある人は、年齢や立場にかかわらず尊敬しちゃいます。
そしてオバちゃんな私は、それをそのまま口にしてしまいます。「そこまで見てもらえてうれしいです」と若い人が昨日嬉しそうに言って帰りました。

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by eastwind-335 | 2017-05-17 07:18 | 料理 | Trackback | Comments(0)

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