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「女子」力って・・・?

先週からモルゲンターク新聞の朝刊の特集欄に「女子力」をどう考えるかという記事が出ています。
私はこの言葉って最近の言葉だと思っていたのですが、どうも10年は経っている言葉なのだそう。女性雑誌(ターゲットは20代から30代初め?)で始まったらしい。女子力が高い低いと言われて悩む職場もあるようですね・・・。

最初に使った雑誌は、私には縁のない雑誌ですので、目につかなかったのかも(笑)。

私は「女子力」というものが何を指すのか、特に関心を持つことはありませんでした。
っていうか、もうティーンエイジャーじゃなくなったら「女子」じゃない、というのが私のスタンスです。
だからこの言葉はせいぜい大学生ぐらいまでに通用する言葉なのか、と思いきや!

20代も30代も40代も、それどころか、私の目の前にぶらさがっている(爆)50代まで「女子」に縛られ苦しめられているとは!
時折自虐的に同窓会から派生した女性だけの集まりを「女子会」と呼ぶことはありますが、食事会っていうかな?「オンナの会」でどうしてダメなのよ~と同僚にぼやいたら「内心そう思っても、とりあえず社会的動物として「女子会」と言っておきなさいよ」と慰め励まされた(?)こともあります。ということで、私にとって「女子会」だの「女子力」っていうのは受験の時に「あー、こんな言葉、人生のどこで使うんだろう」と思いながら「暗記」していた「出る単」並みです。
(ところで!「出る単」の一等最初の単語「あ、晩だ、と勉強をやめる」と語呂合わせさせられていたabandonって英語話者はどれくらい使うんだろう?)

自分のことを「女子」という言葉で表現するって、いい歳して自分のことを「〇〇ちゃん」っていうのと一緒だと思うのだけど。童謡の「さっちゃん」状態ですってば。「おかしいな、さっちゃん」って声を張り上げて歌いたいぐらい(笑)。

女子っていうのは、成熟した一人の女性に対して使ってもらいたくないコトバなのだけど。
要するに「女子力」に右往左往する人も、右往左往させるような記事を書く人も、その右往左往っぷりを報道するだけの人も、「成熟」してないってことなんじゃ?
モルゲンターク新聞も、ジェンダーフリーの人たちを取り上げておいて、月の最後には「女子力」かよ、と通勤電車のなかでつぶやきそうになりました。

多様性を考えていかなければならないと言ってるのにね。
「おとこであれおんなであれ」人として、という発想がない限り、「女子力」の呪縛からは逃れられないと思う。

去年あたりからメディアでも使うようになった「オトナ思春期」。こんな言葉で更年期を言い換えるのもついていけない。日本語の自由さをこういうところで感じる一方で、なんか問題の本質から「逃げている」感じもあって・・・。身体が変わるという意味で「更」という漢字のほうが本質を突いていると思うのだけど。
「オトナ思春期」ってコピーを作ったのはたぶん「大手広告代理店」なのだと思うけど、更年期体験者の作品じゃないわね、と思います。「思春期」は一度だってば!人生に春が2度もあったら「狂い咲き」だってば!
でもだからこそ「美魔女」なんて言葉が出回るのかしら。コトバの掃除機があったら「いの一番」に吸い取って捨てちゃいたい。

そうそう、いっとき「マチュア」(成熟)という言葉を使って宣伝をしていた雑誌や化粧品がありましたけど、どうなったんだろう?そういう中高年の雑誌ですら、見出しや本文の中で「女子」という言葉を気恥ずかしくなく使っているように思います。年代を超えて「女子力」に踊らされているメディアに、人としての成熟が無視されているこの状態が「パンとサーカス」の時代の再来のようで、本当に不安になります。

*昨今の女子校の募集案内にも「女子力」という言葉がつかわれているそうです。シスターフッドという言葉によい邦訳がないからでしょうね。どの学校も大なり小なりの「広告代理店」が介入している学校案内。新聞の取材で「うちでいう「女子力っていうのは」と答えているページもありましたが、だったら、そんな安易な単語ではなく、自分たちの言葉で書くべき、とつくづく思いました。自分が親だったら「女子力」って書いてあるような学校は「その程度」だから進学しなくていい、っていうだろうな*

by eastwind-335 | 2017-02-02 06:33 | 日常 | Trackback | Comments(0)

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