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ちょっと長かったかな

先日、知り合いに誘われて4月大歌舞伎の夜の部を見てきました。
数日前に見た同僚いわく「悪いけど、筋に追いつけなくて寝ちゃった」とのこと。知人も3日目あたりに一度みたそうなのですが、「長いから、覚悟して!」とあらかじめ私に教えてくれていました。

結果として一睡もしなかったのだけど(それは珍しいことですが、実は開演前1時間ほど仮眠をとれた)、うーん、やっぱり、長かったなあ~。

今回、イヤホンガイドを借りてみました。新作歌舞伎は、夢枕獏の小説がベースだとかで、彼の作品を読んでいないので、あらすじを追うだけで精いっぱいだった、という歌舞伎通の同僚の話を聞くと、手ぶらでは太刀打ちできないと思ったからです。

古典ものはむつかしい、と初心者には敬遠されがちですが、実際には古典もののほうが「誰もが思う歌舞伎」らしい。新作は、正直、新派というか、劇団の舞台とどこが違うんだろうか?って思えるものが増えていて・・・。いや、この作品だって回数を重ねたら古典になるのかもしれないけれど、うーんうーんうーん・・・。

歌舞伎役者がテレビドラマやCMに出演する時代(それ自体は文句はない)に、アイドル化していく若手(中堅)俳優がいて、彼らをおっかけるように歌舞伎に入る人たちがいるのはいいと思う。私はあんまり「ファン」になって入れ込むってことがないので、そういうことができる人たちが羨ましいぐらいだし。
ただし、彼らを主役にするための新作歌舞伎はちょっと考えちゃうなあ。

新作が多すぎるような気がする。もう少し、作ったものを大切に繰り返して上演して、作品を深くしたらいいのに。
高麗屋は軽い雰囲気が良いところでもあるけれど、染五郎は体型が細いゆえの軽さがあるし、松也も若さゆえとは別のレベルの(品が良いとは言い難い)軽さが芸に出ていて、「若々しさ」というよりも「軽々しさ」が芝居全体を支配しているような感じがしました。
染五郎は現代ものに出ると、とたんにテレビ俳優みたいな感じになるのが前から気になっていたのだけど(明智小五郎モノを国立で見たときがある)、今回もそこがあった。例えば、若かりし空海という設定とはいえ、30歳をすぎているあたりという設定ならば歩き方などもう少し工夫してもいいような気がする。
いつまでも続く軽さにいたたまれなくなるころに、ようやく、いわゆる松竹の「幹部級」と呼ばれる年数を重ねた役者さんたちがくさびを打つような芝居をして重さを与えるのだけれど、なんといったらいいのか、逆にとってつけたような違和感というか、どっちが主役なのかなあ?ってわけがわからなくなる状況に。緩急のない舞台だった、というのか。あれだったら、悪いけど、染五郎が楊貴妃、松也が・・・と私だったらの配役を頭の中で考えながら見ていました・・・。

夢枕獏のおどろおどろしさもあんまり伝わらなかったしなあ。

まあ、一方で、もう少し短く話をまとめられたら、初めて歌舞伎を見る人には「歌舞伎は古い芝居ではなく、新しい芝居も含めて歌舞伎なのだ」とわかってもらえるのかな?と思ってみたり。そのあたりは「one piece」はうまくいったようですね!同僚からも「あれはうまくできている」と聞いているので、いずれ東京で再演となったら見てみたいなあ、と思ってます。
by eastwind-335 | 2016-04-19 06:22 | 日常 | Trackback | Comments(0)

東風のささやかな毎日のささやかな記録


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