苗字の格付け
2015年 12月 23日
同級生たちと年に一度女子だけで集まるようになって4年目。
結婚していない同級生もいるので「現在の私のこと」を話すのが原則だけど、どうしたって子どもや夫の話が糸口になる人もいる。受験生を抱えたりしたら、余計に、子どもと何の縁もないところで本音を言いたくもなると思うし。
そうこうしているうちに、長いテーブルのどこかでどうも結婚後の苗字の話になってきたみたい。
あの時のクラスでは、女子は名前より苗字がニックネームに繋がっていた。
私も苗字の上二つが呼び名だった。それは高校に入学する以前からの呼び名だった。高校に入ってからは下の名前に「ちゃん」をつけて私を呼ぶ子もいたけれど、仕事も旧姓で続けていることもあって、いまに至るまで生まれたときの苗字が私をアイデンティファイしていると思う。
旧姓はとっても印象に残る苗字だったのに結婚したら日本でも三指に入るありきたりな姓になった、とぼやいてる子の話がきっかけで、「私も」「私も」って話になってきた。そこから「改姓後は格下げ、格上げ?」という質問に答えることに。
たぶん、苗字がニックネームにつながっていたのは、あのクラスでは日本では少ない苗字の人がかなりいたからだろうと思うのです。
私の改姓後の苗字は、旧姓に比べると平凡この上ないのですが、この苗字の有名人がいないわけでもないのでみんなが口をそろえて「格上げよね!」という。けどバッサリと「え?格下げでしょ?旧姓のイメージするスケール感は今の苗字には全くない。旧姓は最強」と答え、みんなが「相変わらずねえ」と大笑い。
・・・ま、同窓会レベルなので、改姓後の苗字の格付けも笑って参加したけれど、世間ではそういう話じゃないと思うんだよね、と内心コソっと思っていました。
私が結婚したころ、職場の組合報で旧姓使用をテーマにした特集が組まれた。それを読みながら、すでに旧姓使用ができる職場であったことに、つまりそうできるように頑張ってくれた女性の先輩たちに感謝した。あの頃は「絶対戸籍名」って職場が民間でも多かったから。
その組合報を読み、うちの職場は進み過ぎている先輩が多く、ジャンケンで戸籍名を決めた人もいるし、事実婚で子育てをしている人たちがすでにいたことを知ったのでした。
私は、親は嫁ぎ先の苗字で働くようにと言われたのですが、大学時代の恩師たちはもちろん働く配偶者を持つ男性先輩さえもが口を揃えて「もう何年も仕事をしているのだから、旧姓のままがいいよ」とアドバイスしてくれ、親に「旧姓を借りる」形で仕事をしています。もともと、苗字で生きるというよりも、名札をしてなくても、2度目に会った人に「この人」って顔を思い出してもらえたら、そう思って仕事をしてきたけれど、不遜なぐらいスケールのデカい苗字は人に覚えてもらう機会になっていたのも事実。
以来、平日は一日8時間は旧姓になった。24時間旧姓でありたい、という強い思いがあったわけでなかった。どちらかというと私には8時間自分に戻れるところがある、という思いだけで十分満足だったわけです。
しかし、色々な事情で、別姓でいたいという人たちがいてもおかしくない。みんなが同姓であったからといって家族がバラバラな家もあるはずだし。巧く言えないけれど当事者の声は必ず両面あると思う。
女性判事は全員現状を変えていくべきである、という判断だったけれど、男性判事の多くの反対で民法改正に至らなかった。
今の政府のチョーコンサバな人たちのことや(そのくせ、自分たちは旧姓で選挙活動を行ってるいるのが不思議。大臣にまでなっちゃうんだから。国会議員だってその前に国民なのに。そんなだったら戸籍名でやりなさいよっ!←別人来臨中)他の法整備の問題があるから薄々この判断は想像できたのだけど、もっとショックだったのは、この最高裁のジャッジは60歳以上の人びとで行われたってこと。Gさんたちの判断なわけですよ。
男女雇用機会均等法以後に就職した世代は、まだ最高裁判事が出ていないってことなのかなあ。
もうひとつ。私たち女性は、いつの日か来るであろう民法改正で別姓を選べる日にむけて、今以上に自分がしっかりしていないといけなくなるってことなんだと思います。自分をアイデンティファイするものは何なのか?自分の中の強い思いだけでなく、パートナーに納得してもらえる思いや信念をもってないと「あ、法律でどっちでもいいって言ってるし」みたいな程度の扱いになっちゃうわけで・・・。
結婚していない同級生もいるので「現在の私のこと」を話すのが原則だけど、どうしたって子どもや夫の話が糸口になる人もいる。受験生を抱えたりしたら、余計に、子どもと何の縁もないところで本音を言いたくもなると思うし。
そうこうしているうちに、長いテーブルのどこかでどうも結婚後の苗字の話になってきたみたい。
あの時のクラスでは、女子は名前より苗字がニックネームに繋がっていた。
私も苗字の上二つが呼び名だった。それは高校に入学する以前からの呼び名だった。高校に入ってからは下の名前に「ちゃん」をつけて私を呼ぶ子もいたけれど、仕事も旧姓で続けていることもあって、いまに至るまで生まれたときの苗字が私をアイデンティファイしていると思う。
旧姓はとっても印象に残る苗字だったのに結婚したら日本でも三指に入るありきたりな姓になった、とぼやいてる子の話がきっかけで、「私も」「私も」って話になってきた。そこから「改姓後は格下げ、格上げ?」という質問に答えることに。
たぶん、苗字がニックネームにつながっていたのは、あのクラスでは日本では少ない苗字の人がかなりいたからだろうと思うのです。
私の改姓後の苗字は、旧姓に比べると平凡この上ないのですが、この苗字の有名人がいないわけでもないのでみんなが口をそろえて「格上げよね!」という。けどバッサリと「え?格下げでしょ?旧姓のイメージするスケール感は今の苗字には全くない。旧姓は最強」と答え、みんなが「相変わらずねえ」と大笑い。
・・・ま、同窓会レベルなので、改姓後の苗字の格付けも笑って参加したけれど、世間ではそういう話じゃないと思うんだよね、と内心コソっと思っていました。
私が結婚したころ、職場の組合報で旧姓使用をテーマにした特集が組まれた。それを読みながら、すでに旧姓使用ができる職場であったことに、つまりそうできるように頑張ってくれた女性の先輩たちに感謝した。あの頃は「絶対戸籍名」って職場が民間でも多かったから。
その組合報を読み、うちの職場は進み過ぎている先輩が多く、ジャンケンで戸籍名を決めた人もいるし、事実婚で子育てをしている人たちがすでにいたことを知ったのでした。
私は、親は嫁ぎ先の苗字で働くようにと言われたのですが、大学時代の恩師たちはもちろん働く配偶者を持つ男性先輩さえもが口を揃えて「もう何年も仕事をしているのだから、旧姓のままがいいよ」とアドバイスしてくれ、親に「旧姓を借りる」形で仕事をしています。もともと、苗字で生きるというよりも、名札をしてなくても、2度目に会った人に「この人」って顔を思い出してもらえたら、そう思って仕事をしてきたけれど、不遜なぐらいスケールのデカい苗字は人に覚えてもらう機会になっていたのも事実。
以来、平日は一日8時間は旧姓になった。24時間旧姓でありたい、という強い思いがあったわけでなかった。どちらかというと私には8時間自分に戻れるところがある、という思いだけで十分満足だったわけです。
しかし、色々な事情で、別姓でいたいという人たちがいてもおかしくない。みんなが同姓であったからといって家族がバラバラな家もあるはずだし。巧く言えないけれど当事者の声は必ず両面あると思う。
女性判事は全員現状を変えていくべきである、という判断だったけれど、男性判事の多くの反対で民法改正に至らなかった。
今の政府のチョーコンサバな人たちのことや(そのくせ、自分たちは旧姓で選挙活動を行ってるいるのが不思議。大臣にまでなっちゃうんだから。国会議員だってその前に国民なのに。そんなだったら戸籍名でやりなさいよっ!←別人来臨中)他の法整備の問題があるから薄々この判断は想像できたのだけど、もっとショックだったのは、この最高裁のジャッジは60歳以上の人びとで行われたってこと。Gさんたちの判断なわけですよ。
男女雇用機会均等法以後に就職した世代は、まだ最高裁判事が出ていないってことなのかなあ。
もうひとつ。私たち女性は、いつの日か来るであろう民法改正で別姓を選べる日にむけて、今以上に自分がしっかりしていないといけなくなるってことなんだと思います。自分をアイデンティファイするものは何なのか?自分の中の強い思いだけでなく、パートナーに納得してもらえる思いや信念をもってないと「あ、法律でどっちでもいいって言ってるし」みたいな程度の扱いになっちゃうわけで・・・。
by eastwind-335
| 2015-12-23 16:52
| 日常
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