絵巻は右から左に観るもの
2015年 11月 08日
書棚に本を並べる時、私は縦書の本が多いので、同じ作家のものは古い順から新しいものへ、と右から左に並べます。しかし、マンガ(うちにもある・笑)と辞書だけは巻数を西洋数字におきかえて、左から右へと並べている。
マンガは背表紙に西洋数字が入っているから。辞書は本当は縦書だけど、内容的には続き物ではないので巻数を優先させている。
外国の方と話している時に、私が縦書にメモを取っていたら(余白の関係で)、上から下へ、右から左へと書く私の行為を興味深く思ったらしく、色々と質問を受けたことがあります。
漢字文化圏では縦書のものは右から左へ、というルールがあって、絵画も右から左へと見ていくルールがある。
屏風は左右で一枚の絵と考えるから右から左へ見ることはないけれど、この「右から左へ」ルールは例えば「東アジア関係の文物」に関する展覧会でも適用されることが多い。
記憶をさかのぼる限り、韓国の中央博物館や台北の故宮も前近代の文字文物を扱う時には右から左へと回るようにしつらえてあるように思う。
とはいえ、以前、台北の故宮博物館で、西欧人をアテンドしている台湾人の方が、絵巻を左から右へと紹介しているところに行きあたり、びっくりしたことがあります。
(そしておせっかいながら、まだ残って左から右へ見ていた人に「本当は、絵は右から左にみるんです~」とコソっと言ったのでした)
先日、とあるお寺で国宝の絵巻12巻を一挙見せます、という企画があるというので出かけてきました。
最初の1~6巻は右から左へと順に配置されていたのですが、残りは左から右へと。
え?え?え?
詞書のあとに絵がつく絵巻。
そのお寺の開祖の生涯を描いた絵巻。
人は、続き物は巻数に従って鑑賞したい。
確かに巻物は単体かもしれないけれど、12巻をもって一生を描くのと、巻数に従って左から右へ動くひとと、鑑賞のために右から左へと内容を追っていきたい私たち数名は、「ごっつんこ」状態に。
たまたまこの日は人数が少ない鑑賞だったから、私が譲ればいいんだし、と思いましたけれど、でもこの展示はおかしい!と判断。
部屋の監視役?の若いお坊さんに月半ばの展示替えの時にはちゃんと巻数を右から左へとしてもらえませんか?と言ったら「は?」みたいな反応が。学芸員に話した方が早いと思ったのだけど、この日は不在とのこと。
言ってみますが、変わらないと思います、と返事をされ、唖然としちゃいました。
限られた時間での鑑賞だったので、これ以上私も彼に言う気分にならず、もう一度絵巻に戻りました。
僧体だからわかってるだろう、と見学者の多くがあれこれ彼に希望を伝えるのを聴きながら、国宝の展示の難しさを知りました。
部屋が暗いというのは、保護のためにしかたないこと。ま、これは多くの美術館などでも最近は入口にきちんと表示されてます。
わたしが「ほう?!」と思ったのは、熱心なおじいさんがもっと1巻あたりの鑑賞部分を広くしてほしいと頼んでいた時の対応。国宝って展示する時には許可が必要らしく、部分も限定されるんだそうですよ。
一巻丸々端から端まで見せるに値する作品だから国宝なんじゃないのか?とおじいさんが突っ込み返してましたけれど、とにかく規制があるらしい。となると、どこのシーンを見せるかが大切なのに、ある巻は詞書だけでした。え?でしょ?しかも読み下しはないから、オバちゃんたちが「何書いてあるのかわからないし!」と怒ってました。図録を買うとすべて載ってるんですけどね。
ただ、国宝だからって左から右へ展示する必要はないよね?いや、あーた、マンガを最後のページから読んでいくようなものですよ、って、このお坊さんでも理解できるような事例で説明すべきだったのか。
あーたのお寺の開祖さんの一生でしょ?とはっきり言うべきだったのか。
受付にいる私よりは年長と思われる女性に言った方が通じるかな?と思ったら、「見せたい場面の長さとケースの関係で左から右へとなっています」とのこと。「絵を見てもらいたいですからね」と。
え?そういう返事?ここの学芸員、資格持ってるのかな?寸法を測って上手く収めればいいんだし。すべてのケースが「一遍聖絵」じゃなくて彼関連の絵巻もあったわけだから。国宝を優先させた展示にすればいいだけじゃん!絵巻は絶対に右から左だって!と心の中で思いながら帰宅しました。
2020年はもちろん、その前にもラグビーWMが日本で開催となったら、たぶん、外国人目当ての展示も博物館はしなくちゃいけないと思うのよね。仏像だけでなくて、絵巻なんていうのも外国人には興味深いと思うのよね。マンガの国なんだし。
ほんと、がっかり。っていうか、不安だわ。
マンガは背表紙に西洋数字が入っているから。辞書は本当は縦書だけど、内容的には続き物ではないので巻数を優先させている。
外国の方と話している時に、私が縦書にメモを取っていたら(余白の関係で)、上から下へ、右から左へと書く私の行為を興味深く思ったらしく、色々と質問を受けたことがあります。
漢字文化圏では縦書のものは右から左へ、というルールがあって、絵画も右から左へと見ていくルールがある。
屏風は左右で一枚の絵と考えるから右から左へ見ることはないけれど、この「右から左へ」ルールは例えば「東アジア関係の文物」に関する展覧会でも適用されることが多い。
記憶をさかのぼる限り、韓国の中央博物館や台北の故宮も前近代の文字文物を扱う時には右から左へと回るようにしつらえてあるように思う。
とはいえ、以前、台北の故宮博物館で、西欧人をアテンドしている台湾人の方が、絵巻を左から右へと紹介しているところに行きあたり、びっくりしたことがあります。
(そしておせっかいながら、まだ残って左から右へ見ていた人に「本当は、絵は右から左にみるんです~」とコソっと言ったのでした)
先日、とあるお寺で国宝の絵巻12巻を一挙見せます、という企画があるというので出かけてきました。
最初の1~6巻は右から左へと順に配置されていたのですが、残りは左から右へと。
え?え?え?
詞書のあとに絵がつく絵巻。
そのお寺の開祖の生涯を描いた絵巻。
人は、続き物は巻数に従って鑑賞したい。
確かに巻物は単体かもしれないけれど、12巻をもって一生を描くのと、巻数に従って左から右へ動くひとと、鑑賞のために右から左へと内容を追っていきたい私たち数名は、「ごっつんこ」状態に。
たまたまこの日は人数が少ない鑑賞だったから、私が譲ればいいんだし、と思いましたけれど、でもこの展示はおかしい!と判断。
部屋の監視役?の若いお坊さんに月半ばの展示替えの時にはちゃんと巻数を右から左へとしてもらえませんか?と言ったら「は?」みたいな反応が。学芸員に話した方が早いと思ったのだけど、この日は不在とのこと。
言ってみますが、変わらないと思います、と返事をされ、唖然としちゃいました。
限られた時間での鑑賞だったので、これ以上私も彼に言う気分にならず、もう一度絵巻に戻りました。
僧体だからわかってるだろう、と見学者の多くがあれこれ彼に希望を伝えるのを聴きながら、国宝の展示の難しさを知りました。
部屋が暗いというのは、保護のためにしかたないこと。ま、これは多くの美術館などでも最近は入口にきちんと表示されてます。
わたしが「ほう?!」と思ったのは、熱心なおじいさんがもっと1巻あたりの鑑賞部分を広くしてほしいと頼んでいた時の対応。国宝って展示する時には許可が必要らしく、部分も限定されるんだそうですよ。
一巻丸々端から端まで見せるに値する作品だから国宝なんじゃないのか?とおじいさんが突っ込み返してましたけれど、とにかく規制があるらしい。となると、どこのシーンを見せるかが大切なのに、ある巻は詞書だけでした。え?でしょ?しかも読み下しはないから、オバちゃんたちが「何書いてあるのかわからないし!」と怒ってました。図録を買うとすべて載ってるんですけどね。
ただ、国宝だからって左から右へ展示する必要はないよね?いや、あーた、マンガを最後のページから読んでいくようなものですよ、って、このお坊さんでも理解できるような事例で説明すべきだったのか。
あーたのお寺の開祖さんの一生でしょ?とはっきり言うべきだったのか。
受付にいる私よりは年長と思われる女性に言った方が通じるかな?と思ったら、「見せたい場面の長さとケースの関係で左から右へとなっています」とのこと。「絵を見てもらいたいですからね」と。
え?そういう返事?ここの学芸員、資格持ってるのかな?寸法を測って上手く収めればいいんだし。すべてのケースが「一遍聖絵」じゃなくて彼関連の絵巻もあったわけだから。国宝を優先させた展示にすればいいだけじゃん!絵巻は絶対に右から左だって!と心の中で思いながら帰宅しました。
2020年はもちろん、その前にもラグビーWMが日本で開催となったら、たぶん、外国人目当ての展示も博物館はしなくちゃいけないと思うのよね。仏像だけでなくて、絵巻なんていうのも外国人には興味深いと思うのよね。マンガの国なんだし。
ほんと、がっかり。っていうか、不安だわ。
by eastwind-335
| 2015-11-08 09:26
| 日常
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