〇活からの逃走
2014年 05月 17日
最近、ありとあらゆる言葉に「活」がつきますよね。
私たちのころは(つまり80年代の最後)は「就職活動」って言っていたのですけど、いつしか「しゅうかつ」と省略され、最近では「う」すら「ー」となっているらしい。
私の部署は人事とは縁遠いところ。そして我が家には子供がいないため、この手の短縮タームがまったくもってわからない。先日も知り合いのお嬢さんからいただいたメールにESって書いてあり「まさか、スペイン(エスパニョール)じゃないよね?SE(システムエンジニア)の書き間違い?それともES細胞のこと?」と思ったぐらい、お門違いな想像をしてしまいます(ちなみにESはエントリーシートのことらしい)。
「婚活」という言葉を耳にすると、モノの人格化が著しい21世紀ですが、ヒトのモノ化のほうが加速度を上げてると思えてなりません。みんな同じじゃなくちゃいけない世代ですよね(ポケベルを中高から持っていた)。こんな婚活をしています!こんなところに出会いが!という特集を30代女性雑誌でやっているのを見ると、うわあ、そういう情報を一切絶ったほうが結婚が近くなる気がするよ!とアドバイスをしたくなります(笑)。と知り合いに言ったら「まあ、この手のハウツー本にはあなた、縁遠そう」と。確かに私、ハウツー本買ったことない!職場のカワイイ同僚たちに『ルールズ』を勧められた時を思い出します。「信じらんない!このアメリカしか通用しないことを真似してどうするの?」と激怒したぐらいなので(笑)。
一番イヤなのは「終活」。
ブームなのかなあ。本も出てるよね。「親の看取りでわかったでしょう?だから、さあ、あなたは今から!」って感じがプンプンして、私は立ち読みすらしていません。
「親の家の片づけ」は誰だって大変なことで、それは片付けておいてもらった方がラクだと思うけど、私自身は親が「あなたたち(私と弟)に迷惑をかけないように私たちも終活をしなくちゃね」と言われると哀しくなる。
私たちは若かろうと年齢を重ねていようと、いつか、この世での日々に終わりを迎えなければならないのは、誰にとっても平等にやってくる。生まれてきた時には無防備にこの世に出会うのに、この世から去るときには準備が必要なのか、と。
新聞でも時々「終活」のことを取り上げることがありますが、親の看取りを終えた人たちが「自分たちは子どもに迷惑をかけたらいけない」って始めた、という記事が多い。けど、ブームになってしまうと、「当然、終活。まだ考えてないの?」って急かされているような気がする。
人生の始末を自発的に考えるというよりは「考えさせられる」とか「考えなくちゃいけない」という強制のイメージが強くなってきていると思うのは、私だけなのかな。
先日、母が入院をしました。おかげさまで無事に退院はしましたが、快復まで今後しばらく、いくつかの選択肢を母は自分で選びとらなければなりません。
うちの母親は入院前に色々と考えたそうです。退院後「自分の人生に私は満足しているとキッパリ言えるわ。入院もあったので、世間でいう終活はママもしなくちゃ、って思ってるけど、でも、自分が弱くなっていくことを認めることは過去をよりいとおしく大切に思っちゃうわけで、将来への不安を覚えることになるから辛いわ」と言いました。不覚にも、私は涙が出そうになりました。
父は割と自分のことは自分でできるほうですが、とはいえ、二言目には「ママ、これは・・・?」と尋ねる、つまり「一人ではできない」ので、入院前に母から「私が何もできなくなったらどうするの!」とかなり叱られた(笑)そうです。入院、退院、通院生活を父が支えているのですが、さすがの父だって疲れているはず。先日も有休をとって一度私が帰省する、と言ったのですが、きっぱりと「パパは自分が病気をしたときにママが支えてくれたんだから、これぐらい大したことはない。それより、キミは社会人としていつも通りに生活をしてほしい。本当に大変になったら遠慮しないから、その時には来てほしい。キミが来たら家は明るくなるけど、ママを逆に疲れさせる」と断られてしまいました。
親を疲れさせる娘って・・・(汗)。
すぐに両親との別れが来るわけではないのですが、入院をきっかけに本当に両親との日々は一日一日短くなっていくのだと痛感。一日でも長く日々が続きますように、と強く思います。
たまたまなのだけど私の周りは介護については「大変だ」「面倒だ」とは一切言わず「びっくりした!」とエピソードを語ります。こういう制度があるのだ、とかこんなことに気を付けておくといいのよ、というアドバイスを私に「いつの日のために」と教えてくれます。人生の先輩たちから聞いたことは両親に伝えるようにしています。選択肢があるのだったら、選んでほしいから。ないのだったらそれを受け入れなくてはいけないから。
ところで、この「終活」の記事はなぜか女性が主役。家庭欄の記事だから?メインは片付けだから?女性の方が長生きだから?家庭のことは奥さん任せの夫が多い世代だから?
新聞社は不思議に思わないんだろうか、すごいジェンダーだよね、これって。
おついでに言えば、私は、終活という言葉が認知されるようになってきたのと時が同じくして、「母ー娘本」(お母さんのことが負担だったというテーマの本)が流行っているのが気になって仕方ない。上手く表現できないけど、どっか繋がってるように思えるんだけど。
私たちのころは(つまり80年代の最後)は「就職活動」って言っていたのですけど、いつしか「しゅうかつ」と省略され、最近では「う」すら「ー」となっているらしい。
私の部署は人事とは縁遠いところ。そして我が家には子供がいないため、この手の短縮タームがまったくもってわからない。先日も知り合いのお嬢さんからいただいたメールにESって書いてあり「まさか、スペイン(エスパニョール)じゃないよね?SE(システムエンジニア)の書き間違い?それともES細胞のこと?」と思ったぐらい、お門違いな想像をしてしまいます(ちなみにESはエントリーシートのことらしい)。
「婚活」という言葉を耳にすると、モノの人格化が著しい21世紀ですが、ヒトのモノ化のほうが加速度を上げてると思えてなりません。みんな同じじゃなくちゃいけない世代ですよね(ポケベルを中高から持っていた)。こんな婚活をしています!こんなところに出会いが!という特集を30代女性雑誌でやっているのを見ると、うわあ、そういう情報を一切絶ったほうが結婚が近くなる気がするよ!とアドバイスをしたくなります(笑)。と知り合いに言ったら「まあ、この手のハウツー本にはあなた、縁遠そう」と。確かに私、ハウツー本買ったことない!職場のカワイイ同僚たちに『ルールズ』を勧められた時を思い出します。「信じらんない!このアメリカしか通用しないことを真似してどうするの?」と激怒したぐらいなので(笑)。
一番イヤなのは「終活」。
ブームなのかなあ。本も出てるよね。「親の看取りでわかったでしょう?だから、さあ、あなたは今から!」って感じがプンプンして、私は立ち読みすらしていません。
「親の家の片づけ」は誰だって大変なことで、それは片付けておいてもらった方がラクだと思うけど、私自身は親が「あなたたち(私と弟)に迷惑をかけないように私たちも終活をしなくちゃね」と言われると哀しくなる。
私たちは若かろうと年齢を重ねていようと、いつか、この世での日々に終わりを迎えなければならないのは、誰にとっても平等にやってくる。生まれてきた時には無防備にこの世に出会うのに、この世から去るときには準備が必要なのか、と。
新聞でも時々「終活」のことを取り上げることがありますが、親の看取りを終えた人たちが「自分たちは子どもに迷惑をかけたらいけない」って始めた、という記事が多い。けど、ブームになってしまうと、「当然、終活。まだ考えてないの?」って急かされているような気がする。
人生の始末を自発的に考えるというよりは「考えさせられる」とか「考えなくちゃいけない」という強制のイメージが強くなってきていると思うのは、私だけなのかな。
先日、母が入院をしました。おかげさまで無事に退院はしましたが、快復まで今後しばらく、いくつかの選択肢を母は自分で選びとらなければなりません。
うちの母親は入院前に色々と考えたそうです。退院後「自分の人生に私は満足しているとキッパリ言えるわ。入院もあったので、世間でいう終活はママもしなくちゃ、って思ってるけど、でも、自分が弱くなっていくことを認めることは過去をよりいとおしく大切に思っちゃうわけで、将来への不安を覚えることになるから辛いわ」と言いました。不覚にも、私は涙が出そうになりました。
父は割と自分のことは自分でできるほうですが、とはいえ、二言目には「ママ、これは・・・?」と尋ねる、つまり「一人ではできない」ので、入院前に母から「私が何もできなくなったらどうするの!」とかなり叱られた(笑)そうです。入院、退院、通院生活を父が支えているのですが、さすがの父だって疲れているはず。先日も有休をとって一度私が帰省する、と言ったのですが、きっぱりと「パパは自分が病気をしたときにママが支えてくれたんだから、これぐらい大したことはない。それより、キミは社会人としていつも通りに生活をしてほしい。本当に大変になったら遠慮しないから、その時には来てほしい。キミが来たら家は明るくなるけど、ママを逆に疲れさせる」と断られてしまいました。
親を疲れさせる娘って・・・(汗)。
すぐに両親との別れが来るわけではないのですが、入院をきっかけに本当に両親との日々は一日一日短くなっていくのだと痛感。一日でも長く日々が続きますように、と強く思います。
たまたまなのだけど私の周りは介護については「大変だ」「面倒だ」とは一切言わず「びっくりした!」とエピソードを語ります。こういう制度があるのだ、とかこんなことに気を付けておくといいのよ、というアドバイスを私に「いつの日のために」と教えてくれます。人生の先輩たちから聞いたことは両親に伝えるようにしています。選択肢があるのだったら、選んでほしいから。ないのだったらそれを受け入れなくてはいけないから。
ところで、この「終活」の記事はなぜか女性が主役。家庭欄の記事だから?メインは片付けだから?女性の方が長生きだから?家庭のことは奥さん任せの夫が多い世代だから?
新聞社は不思議に思わないんだろうか、すごいジェンダーだよね、これって。
おついでに言えば、私は、終活という言葉が認知されるようになってきたのと時が同じくして、「母ー娘本」(お母さんのことが負担だったというテーマの本)が流行っているのが気になって仕方ない。上手く表現できないけど、どっか繋がってるように思えるんだけど。
by eastwind-335
| 2014-05-17 08:26
| 日常
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