ジミ弁
2013年 12月 13日
「ecomam」という日経から出している会員制PR雑誌を取っています。
会員制といっても無料でして、その雑誌に掲載されているエコのための活動をしている会社の記事や広告などについてのアンケートに答えることで会員として継続されます。
マムとつくぐらいですので、雑誌が設定している主たる読者層は小学生ぐらいまでの、いわゆる「キッズ」のママたち。ということで、私はこの雑誌の記事を読みながら、自分が体験できなかった子育てをしている人たちがどういうことに気を付けるのか、気を使うのか、ということを知る機会にもなります。
そこまでする?という時もあるし、自分の生活を反省することもある。
そのecomamは、HPもあります。いろんな連載があるのですが、お弁当の連載が始まった、というメールが届いたので見てみました。
「ジミ弁で行こう」と。
・・・・私の弁当みたい(笑)。この連載は私の弁当のジミ化にますます役立ちそうな・・・。
でも、毎日弁当を作ってたら、そうなるってば。
私は14歳の時から不定期にお弁当を作らなくてはならなくなりました。母が舅姑の看病で田舎に数週間単位で帰郷しなければならなくなったからです。受験生である14歳(中3)に二人分のお弁当を作らせた母。お弁当を持って行けない場合は、担任にお願いしてお金を渡しパンを買ってきてもらうシステムになっていた中学で、母は自分の不在を伝えたくなかったのだろうと思います。実際に言ってはいけないと言われたし。
が、母も何かの折にどうしても留守を担任に伝えなければならなくなり、以来、ちょっとイヤだったのが、担任が私が作ったお弁当を見ては「お母さんが作るのとは違うわね」と言うことでした。
母からは「自分が作れないおかずは入れてはいけない」と言われていたので、ゆで卵か炒り卵、お肉かお魚を焼いたものと、生野菜か野菜炒めと・・・という感じ。もともと揚げ物はお弁当に入らない家でしたし(朝から揚げてなんかいられない!と母)、たとえばウィンナーも側面にななめの線を入れる程度。タコの形にするとかはありませんでした。幼稚園生じゃあるまいし、食べたら一緒でしょ、と。
なので、母は私でも作れるはずだ、と思ったと思うのです。
あと、母は嫌がっていた「海苔弁当」も、母の不在時に限ってはOKとなりました。それは私にとっては嬉しかったなあ~(笑)。
赤はトマト(ミニトマトはない時代だったので、大きなトマトを切ったから、お弁当箱にはトマトの水分が出てしまってた!)で、緑はキュウリで、黄色はゆで卵の切り口を見せた黄身で、といった母の教えを実行したものの、ぶきっちょが作るのですから、おかずは1品は少ないし、盛り付けは今以上に下手だったので悲惨なお弁当という感じだったでしょう。ま、いずれにせよ、あの数か月が今の私のお弁当作りの根底にあります。弟はあの数か月の時々に持たされたお弁当のことを覚えているかしら。
まあ、母がハードルを思いっきり低くしておいてくれた(食べたらお腹の中で一緒になる)おかげと、否応なく作らなくてはならず、という環境があったゆえですが、そういうことが結婚して子育てが始まるまでなかったりすると、お弁当作りは大変なのかも。
私の今週はこんなおべんとうの1週間でした(月曜と金曜はお弁当を持って行かなかった)。家人が出張で家をあけていたので、お弁当で栄養をとっていた感じが(笑)。大量につくるわけにはいかないので、残っている食材を使い切るメニューのために、ゴボウとかもやしを買っただけ。
えらいぞ、私!
月曜の夜にてっとり早くたくさんの野菜がとれるけんちん汁を作りました。豚の肩ロースの塊があったので、それを使ってトン汁にしようと思ったけれど、冷蔵庫につみれの残りがあることを思い出し、それを具に。大きな鍋に8人家族ぐらいいるのか?という量を作りました。
それでも余った大根は、ナカ先生に教わった大根料理の調味料(甘酢)に漬けました。先生のところで教わったのは、大根を丸くスライスしたものにいろんなものを巻いて食べる方法でしたけど、我が家にはスライサーがないので、短冊切りに。
こんにゃくは雷炒め(ピリ辛煮)に。
人参はいつものようにごま油と米酢だけで味付けしたもの。
ポークは煮豚に。圧力鍋だとあっという間。あっさりとした味に仕上げました。食べる時に煮汁と一緒に温めるとまた味が滲みるので・・・。
だから、火曜日から毎日お弁当にお汁を持って行くことに。レンジで温めていただきます。
なぜか、月曜日、スーパーを歩いていて、長崎産のヒジキが目に留まってしまい・・・。水でささっと戻して適当な長さに切ってご飯に入れて炊きました。いや、想像以上に太かったし、さらに戻ってしまい・・・。
水曜日はD51弁当の容器で。いつものお弁当箱と違ってご飯の水分が抜けないので、ビビンバにしてみました。
ご飯は前日のヒジキご飯の残り(しかも炊飯器に入れっぱなしだった・汗)。
おかずを乗せすぎて混ぜるのが大変でした。
前日と変わり映えしなくとも、並べ方でちょっとイメージが違うような気がするのは、身びいきでしょうか(笑)。
木曜日もおかずの使い回し。
あ、お汁がないのは、家人が水曜に帰宅し、私の目を盗んで、鍋に残っていたものをほとんど食べてしまったからデス(3杯分はあったのにどんぶりに入れて食したらしい!)。
お汁で野菜をとるつもりだったので、慌てて野菜炒めを作ったり卵焼きを作ったり(笑)。
忙しい朝となりました。
まあ、ジミ弁とはいえ、赤、白、緑、黄色、茶、黒の6色をなるべく取り入れるようにしてます。
白のおかずが一番大変。まあ白米にすればおかずに「白」がなくてもいいんですけどね。ナカ先生に教わった大根は形は変わってしまいましたが(汗)、白いおかずにピッタリだ、と今週つくづく思いました。
さらに言えば、おかずを含めすべて味を替えてあります。これも母から教わったこと。私が学生の頃は、小さなおかず用の容器はアルミ箔しかなかったので、酢の物はいれられませんでしたが、今は透明なものも市販されてるおかげで、酢を使ったおかずを必ずいれてます。大根のおかずは「酢漬け」ですので、新しいバリエーションができたわけです。
と、小さなこだわりを持つ自分としては満足してますが、時々、もう少し明るいおかずをいれてみたいなあ、と思います。
まあ、ジミ弁は私ですら作れるので、キャラ弁とは毛色の違う、手間のかからないハデ弁のサイトができると面白いのになあ~。
会員制といっても無料でして、その雑誌に掲載されているエコのための活動をしている会社の記事や広告などについてのアンケートに答えることで会員として継続されます。
マムとつくぐらいですので、雑誌が設定している主たる読者層は小学生ぐらいまでの、いわゆる「キッズ」のママたち。ということで、私はこの雑誌の記事を読みながら、自分が体験できなかった子育てをしている人たちがどういうことに気を付けるのか、気を使うのか、ということを知る機会にもなります。
そこまでする?という時もあるし、自分の生活を反省することもある。
そのecomamは、HPもあります。いろんな連載があるのですが、お弁当の連載が始まった、というメールが届いたので見てみました。
「ジミ弁で行こう」と。
・・・・私の弁当みたい(笑)。この連載は私の弁当のジミ化にますます役立ちそうな・・・。
でも、毎日弁当を作ってたら、そうなるってば。
私は14歳の時から不定期にお弁当を作らなくてはならなくなりました。母が舅姑の看病で田舎に数週間単位で帰郷しなければならなくなったからです。受験生である14歳(中3)に二人分のお弁当を作らせた母。お弁当を持って行けない場合は、担任にお願いしてお金を渡しパンを買ってきてもらうシステムになっていた中学で、母は自分の不在を伝えたくなかったのだろうと思います。実際に言ってはいけないと言われたし。
が、母も何かの折にどうしても留守を担任に伝えなければならなくなり、以来、ちょっとイヤだったのが、担任が私が作ったお弁当を見ては「お母さんが作るのとは違うわね」と言うことでした。
母からは「自分が作れないおかずは入れてはいけない」と言われていたので、ゆで卵か炒り卵、お肉かお魚を焼いたものと、生野菜か野菜炒めと・・・という感じ。もともと揚げ物はお弁当に入らない家でしたし(朝から揚げてなんかいられない!と母)、たとえばウィンナーも側面にななめの線を入れる程度。タコの形にするとかはありませんでした。幼稚園生じゃあるまいし、食べたら一緒でしょ、と。
なので、母は私でも作れるはずだ、と思ったと思うのです。
あと、母は嫌がっていた「海苔弁当」も、母の不在時に限ってはOKとなりました。それは私にとっては嬉しかったなあ~(笑)。
赤はトマト(ミニトマトはない時代だったので、大きなトマトを切ったから、お弁当箱にはトマトの水分が出てしまってた!)で、緑はキュウリで、黄色はゆで卵の切り口を見せた黄身で、といった母の教えを実行したものの、ぶきっちょが作るのですから、おかずは1品は少ないし、盛り付けは今以上に下手だったので悲惨なお弁当という感じだったでしょう。ま、いずれにせよ、あの数か月が今の私のお弁当作りの根底にあります。弟はあの数か月の時々に持たされたお弁当のことを覚えているかしら。
まあ、母がハードルを思いっきり低くしておいてくれた(食べたらお腹の中で一緒になる)おかげと、否応なく作らなくてはならず、という環境があったゆえですが、そういうことが結婚して子育てが始まるまでなかったりすると、お弁当作りは大変なのかも。
私の今週はこんなおべんとうの1週間でした(月曜と金曜はお弁当を持って行かなかった)。家人が出張で家をあけていたので、お弁当で栄養をとっていた感じが(笑)。大量につくるわけにはいかないので、残っている食材を使い切るメニューのために、ゴボウとかもやしを買っただけ。
えらいぞ、私!
月曜の夜にてっとり早くたくさんの野菜がとれるけんちん汁を作りました。豚の肩ロースの塊があったので、それを使ってトン汁にしようと思ったけれど、冷蔵庫につみれの残りがあることを思い出し、それを具に。大きな鍋に8人家族ぐらいいるのか?という量を作りました。
それでも余った大根は、ナカ先生に教わった大根料理の調味料(甘酢)に漬けました。先生のところで教わったのは、大根を丸くスライスしたものにいろんなものを巻いて食べる方法でしたけど、我が家にはスライサーがないので、短冊切りに。
こんにゃくは雷炒め(ピリ辛煮)に。
人参はいつものようにごま油と米酢だけで味付けしたもの。
ポークは煮豚に。圧力鍋だとあっという間。あっさりとした味に仕上げました。食べる時に煮汁と一緒に温めるとまた味が滲みるので・・・。
だから、火曜日から毎日お弁当にお汁を持って行くことに。レンジで温めていただきます。
なぜか、月曜日、スーパーを歩いていて、長崎産のヒジキが目に留まってしまい・・・。水でささっと戻して適当な長さに切ってご飯に入れて炊きました。いや、想像以上に太かったし、さらに戻ってしまい・・・。
水曜日はD51弁当の容器で。いつものお弁当箱と違ってご飯の水分が抜けないので、ビビンバにしてみました。
ご飯は前日のヒジキご飯の残り(しかも炊飯器に入れっぱなしだった・汗)。
おかずを乗せすぎて混ぜるのが大変でした。
前日と変わり映えしなくとも、並べ方でちょっとイメージが違うような気がするのは、身びいきでしょうか(笑)。
木曜日もおかずの使い回し。
あ、お汁がないのは、家人が水曜に帰宅し、私の目を盗んで、鍋に残っていたものをほとんど食べてしまったからデス(3杯分はあったのにどんぶりに入れて食したらしい!)。
お汁で野菜をとるつもりだったので、慌てて野菜炒めを作ったり卵焼きを作ったり(笑)。
忙しい朝となりました。
まあ、ジミ弁とはいえ、赤、白、緑、黄色、茶、黒の6色をなるべく取り入れるようにしてます。
白のおかずが一番大変。まあ白米にすればおかずに「白」がなくてもいいんですけどね。ナカ先生に教わった大根は形は変わってしまいましたが(汗)、白いおかずにピッタリだ、と今週つくづく思いました。
さらに言えば、おかずを含めすべて味を替えてあります。これも母から教わったこと。私が学生の頃は、小さなおかず用の容器はアルミ箔しかなかったので、酢の物はいれられませんでしたが、今は透明なものも市販されてるおかげで、酢を使ったおかずを必ずいれてます。大根のおかずは「酢漬け」ですので、新しいバリエーションができたわけです。
と、小さなこだわりを持つ自分としては満足してますが、時々、もう少し明るいおかずをいれてみたいなあ、と思います。
まあ、ジミ弁は私ですら作れるので、キャラ弁とは毛色の違う、手間のかからないハデ弁のサイトができると面白いのになあ~。
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ぷるぷる
at 2013-12-13 10:22
x
どれもおいしそうなお弁当ですね。
私自身は中学入学と共に母から「弁当を作るか弁当箱を洗うかどちらかを自分でしなさい」と告げられ、弁当作りを選択し、そこから弁当作りスタート。今思えばかなりいい加減なものも作っていたと思います。OLの時にキャベツ炒めのおかずを見た先輩に「何その弁当」って笑われたりしましたが「二十歳過ぎて親に作ってもらっているくせに…」と心で毒づいたものです。娘は中学時代の三か月ぐらいは自分で作っていたものの、家にいる間はいつも私が作っていたのですが、一人暮らしになってからは夕飯のおかずから具をとりわけ味を変えたり…とかいろいろ工夫して弁当作りを楽しんでいるようです。ダメ親で娘に伝えられるものが何もなかったと常々思っている私ですがこれだけは伝えられてよかった・・・・と少し思っています。
私自身は中学入学と共に母から「弁当を作るか弁当箱を洗うかどちらかを自分でしなさい」と告げられ、弁当作りを選択し、そこから弁当作りスタート。今思えばかなりいい加減なものも作っていたと思います。OLの時にキャベツ炒めのおかずを見た先輩に「何その弁当」って笑われたりしましたが「二十歳過ぎて親に作ってもらっているくせに…」と心で毒づいたものです。娘は中学時代の三か月ぐらいは自分で作っていたものの、家にいる間はいつも私が作っていたのですが、一人暮らしになってからは夕飯のおかずから具をとりわけ味を変えたり…とかいろいろ工夫して弁当作りを楽しんでいるようです。ダメ親で娘に伝えられるものが何もなかったと常々思っている私ですがこれだけは伝えられてよかった・・・・と少し思っています。
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olive oyle
at 2013-12-15 10:15
x
東風さんのお弁当は、いつもちゃんと手がかかっていて、おいしいんだろうなあと思います。
わたしは、中学2年から10年ほどの間、自分でお弁当を作っていました。あ、ハレの日のお弁当は母につくってもらっていましたが。中学の同級生が自分で毎日お弁当を作ってきていたことと、うちの母が病気で朝お弁当を作ってもらうのがかわいそうに思ったからです。あのころなどんなお弁当にしていたんだろう。冷凍食品も今ほど発達していなかったし。
今も毎日作っていますが、それはもう東風さんとは雲泥の差。母には「それは餌ね」と言われます。わたしは何でもめんどくさいと思うので、毎日同じものでも、口に入り咀嚼できエネルギー源となればそれでよし、みたいな弁当しか作りません。(彩りなどまったく無視)
東風さんのお弁当はあこがれです・・・。
わたしは、中学2年から10年ほどの間、自分でお弁当を作っていました。あ、ハレの日のお弁当は母につくってもらっていましたが。中学の同級生が自分で毎日お弁当を作ってきていたことと、うちの母が病気で朝お弁当を作ってもらうのがかわいそうに思ったからです。あのころなどんなお弁当にしていたんだろう。冷凍食品も今ほど発達していなかったし。
今も毎日作っていますが、それはもう東風さんとは雲泥の差。母には「それは餌ね」と言われます。わたしは何でもめんどくさいと思うので、毎日同じものでも、口に入り咀嚼できエネルギー源となればそれでよし、みたいな弁当しか作りません。(彩りなどまったく無視)
東風さんのお弁当はあこがれです・・・。
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eastwind-335 at 2013-12-15 20:56
ぷるぷるさん、こんばんは!
お弁当を褒めて頂き恐縮です。おかずよりもお弁当箱がいいのです。タッパー時代と違うのは人参の酢漬けが増えたぐらいで、結局母の最初の教え「自分の作れるものしか入れてはならない」のままです。
手のひらに乗る程度のお弁当箱は詰める人と詰めてもらった人の間にたくさんの物語を生み出しますよね!
ぷるぷるさんもお弁当歴が長いのですね。お母様の「作るか、洗うか」。そこで洗うでなく「作る」を選択したぷるぷるさんもスゴイですが、中学入学と同時に、選択させても大丈夫、と判断されたお母様も素晴らしいです。選択できるというのは信頼されていることなんだ、と思うこの頃です。
お嬢さんには、ぜひ、ともにがんばりましょう!とお伝えください。
が、世の中には、料理自体が嫌いだという人もいるし、作りたくてもいろんな事情で作れない方もいますよね。ブログではお弁当を恥ずかしげもなくジャーンと出しているワタクシですが、作り置きのおかずを作る暇もないほど子育てや介護で忙しい同僚たちがいるのも知ってるので、朝に自分に向き合う時間を持てることに感謝しながら、こそこそとお弁当を広げてます。
お弁当を褒めて頂き恐縮です。おかずよりもお弁当箱がいいのです。タッパー時代と違うのは人参の酢漬けが増えたぐらいで、結局母の最初の教え「自分の作れるものしか入れてはならない」のままです。
手のひらに乗る程度のお弁当箱は詰める人と詰めてもらった人の間にたくさんの物語を生み出しますよね!
ぷるぷるさんもお弁当歴が長いのですね。お母様の「作るか、洗うか」。そこで洗うでなく「作る」を選択したぷるぷるさんもスゴイですが、中学入学と同時に、選択させても大丈夫、と判断されたお母様も素晴らしいです。選択できるというのは信頼されていることなんだ、と思うこの頃です。
お嬢さんには、ぜひ、ともにがんばりましょう!とお伝えください。
が、世の中には、料理自体が嫌いだという人もいるし、作りたくてもいろんな事情で作れない方もいますよね。ブログではお弁当を恥ずかしげもなくジャーンと出しているワタクシですが、作り置きのおかずを作る暇もないほど子育てや介護で忙しい同僚たちがいるのも知ってるので、朝に自分に向き合う時間を持てることに感謝しながら、こそこそとお弁当を広げてます。
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eastwind-335 at 2013-12-15 21:37
olive oyleさん、こんばんは。お弁当を褒めて頂き恐縮です。
olive oyleさんもお弁当歴が長いのですね。ハレの日のお母さまのお弁当にはいろいろな思い出があるのではないでしょうか。
本当に、技法とレシピの限られた中でよくお弁当を作ってきましたよね、私たち(←勝手にお仲間扱い)。
母は全国的に流行中だったエビフライを絶対に入れてくれなかったのでがオーブンでできる、という触れ込みの冷凍エビフライを、不在の間のお弁当のおかずのために買ってもらった思い出があります。
・・・で、写真と違う出来上がりになるし、なんといってもエビが小さくて弁当のおかずとしては割高だ、とか、中学生ながら感じるものがあり、結局「自分が作れるものを入れる」になってしまったのです。
センスが悪く、めんどくさがり(今だって、服を着るのは社会性のある動物だから、と言ってしまうほど!)な私もついつい茶色系のお弁当になってしまいます。生活系雑誌のお弁当特集で「茶色の隣は緑が原則」と知って以来、これは意識してます。もし、私に子供がいたら、母からの教えに付け加えて伝えたいと思うほどです。お試しあれ!
olive oyleさんもお弁当歴が長いのですね。ハレの日のお母さまのお弁当にはいろいろな思い出があるのではないでしょうか。
本当に、技法とレシピの限られた中でよくお弁当を作ってきましたよね、私たち(←勝手にお仲間扱い)。
母は全国的に流行中だったエビフライを絶対に入れてくれなかったのでがオーブンでできる、という触れ込みの冷凍エビフライを、不在の間のお弁当のおかずのために買ってもらった思い出があります。
・・・で、写真と違う出来上がりになるし、なんといってもエビが小さくて弁当のおかずとしては割高だ、とか、中学生ながら感じるものがあり、結局「自分が作れるものを入れる」になってしまったのです。
センスが悪く、めんどくさがり(今だって、服を着るのは社会性のある動物だから、と言ってしまうほど!)な私もついつい茶色系のお弁当になってしまいます。生活系雑誌のお弁当特集で「茶色の隣は緑が原則」と知って以来、これは意識してます。もし、私に子供がいたら、母からの教えに付け加えて伝えたいと思うほどです。お試しあれ!
by eastwind-335
| 2013-12-13 06:21
| 日常
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