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あの時は二つの国だった(25)Kopf hoch!

サッカーで負けが続くクラブのHPなどで、コメントのなかに「Kopf hoch」という表現が出ることがあります。
モウリーニョが、選手が試合を落としうなだれたときに、うなだれないように頭を高く上げろ、というジェスチャーをしたこともありましたね。
日本ではあまり使わない表現です。

あの時は二つの国だった(25)Kopf hoch!_a0094449_15542428.jpgベルリンの霞ヶ関というべきブランデンブルク門周辺から再びポツダム広場駅へ戻り、バスに乗り換え。乗ったのはSonnen Alee(太陽通り)行き。太陽通りとは、通りの途中を壁で仕切られてしまった東ドイツ在住の若者の日常を描いた「太陽通り」の舞台です。実在する通りとは聞いていたのですが、今回はいけないな~とあきらめていたのに・・・。すごい偶然!
とはいえ、太陽通りまで行くのは目的地を過ぎてしまうので、今回は当然あきらめました。


博物館最寄のバス停に到着。Sバーンの駅近くでした。
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なんとなく、なんですけれど、治安がいいとは言えないのかなあ・・・という気がしなくもなく。
あの時は二つの国だった(25)Kopf hoch!_a0094449_15574185.jpg落書きや壁の絵のせいではなく、お昼前なのに人がいないってことが、なんですけれどね。

道も臭うというか・・・。
あの時は二つの国だった(25)Kopf hoch!_a0094449_15581440.jpgマンションの入り口がこうだなんて、スゴい。

しばらく歩くと、突然、広い道路が見え、19世紀と21世紀というような建物が見えます。
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あの時は二つの国だった(25)Kopf hoch!_a0094449_16482498.jpgこれらの建物は地下でつながっています。もともとは1735年に建てられたKammergerichtだそうです。

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ミュンヘンのシナゴーク見学の時も思ったのですが、廊下が狭いような?けれどもそれがユダヤの人たちの空間感覚、もしくは彼らが意図せず連れ去られた空間の意匠なのかもしれません。
いろいろなものが展示されていました。
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持ち主はユダヤ人たちであり、持ち主が分かるものがいくつもありました。
あの時は二つの国だった(25)Kopf hoch!_a0094449_16585158.jpg本当は次の代やその次の代の子供たちが遊んでいたでしょうに・・・。

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銀製の燭台ほか、ユダヤ人の人々が大切にしていたものが展示されていました。
この写真の家族はいまどこにいるのでしょう。
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あの時は二つの国だった(25)Kopf hoch!_a0094449_17163010.jpgケストナーの作品の挿絵を描いていたトリアーの作品。彼もユダヤ人で、アメリカに亡命していたそうです。

いろいろな展示物の中に、手紙が何通かありました。
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これは赤十字を通じてスコットランドに亡命した15歳の少年からドイツに残る両親へ送られた手紙です。
親を案じる子供の気持ちが伝わってきます。そして、空襲他でつらい立場にある両親を思い、彼は「Kopf hoch」と書いてます。

顔を上げてがんばろう。

冒頭に書いたように、私にとってそれまで、Kopf hochはサッカーの試合につらなる言葉でした。しかし、まだ十代はじめに親元を期せずして離れざるを得なかったことを思ううちに、私は涙を流していました。
私はそれほど涙もろい性格ではありません。みんなが泣いている時に歯を食いしばる、そんな性格です。特に博物館のような場所では、冷静に展示物を見ています。
うまく言えませんが、ここでKopf hochという表現を目にするとは思わなかった、その衝撃が涙となったのかなあ。
この2通の連絡票は、一通は直筆(1940年)、もう一通はタイプの文字(1941年)。
これまで、私は、「Kopf hoch」という言葉は立場が上の人(親、上司、リーダーなど)が下の者(子、部下、同僚)を勇気づける、励ますための言葉だと思っていました。子供が親に使う言葉とは思ったことがなかった、平時だったら使わない表現だったはず。だから、ますます私の胸を打つ文章となったのです。本当だったら励まされる立場であるべき子供からの言葉を読んだご両親はどう思ったでしょうか。これらの手紙は「また(手紙を)書くね!」と締めくくられています。両親と携帯やパソコンで連絡を簡単に取れる時代でも「またね」と書く私ですが、この少年の「またね」から感じるその言葉の重さと一縷の希望に、胸がいっぱいになりました。ちなみに両親はニュルンベルクに暮し、父親はカトリック、母親がユダヤ人。父親が先になくなり、母親はどうにか無事に生き延び、そして戦後息子と再会、アメリカに移住したそうです。

外には亡くなったユダヤ人たちを偲ぶモニュメントが。
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階段はまっすぐですが、各階の部屋はふつうの博物館と違ってまっすぐになっていません。
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いま、ドイツに暮らすユダヤ人の多くは、壁が開いてからやってきた東欧、旧ソ連からのユダヤ人たち。
あの時は二つの国だった(25)Kopf hoch!_a0094449_18182226.jpg今回の特別展は、ソ連から来たユダヤ人たち、という写真展でした。

あの時は二つの国だった(25)Kopf hoch!_a0094449_18202037.jpg戦争前にドイツに暮らしていたユダヤ人、とくに芸術家の人たちの作品です。

あの時は二つの国だった(25)Kopf hoch!_a0094449_18211749.jpgこちらは18世紀、19世紀のユダヤ人の生活を紹介しているところ。

あの時は二つの国だった(25)Kopf hoch!_a0094449_1822833.jpg現代のユダヤ人たちが使う道具。素材が現代的なものを取り入れている場合もある、ということです。
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建築家は窓を使って明かりを取り込む階段にしています。でもその窓は同じ大きさではない。
あの時は二つの国だった(25)Kopf hoch!_a0094449_1858313.jpgあんまりあれこれと勘繰るのはよくないと思いますが、透明なガラスの窓は小さく、加工硝子のほうが大きいというのは、やっぱり理由があるのかな。

時間の都合もあって、駆け足での見学になってしまって、心残りです。また、いつか来たいし、日本でこういう展覧会ができるようになったら、日本の博物館行政も褒めてつかわそう(え?)。




ベルリン最後のランチ。
仕事から戻ってきた家人と二人で、ホテル近くの小さなレストランでランチ。このあと1か月ほど家人は放浪の出張だったのでしばしの別れとなります。
あの時は二つの国だった(25)Kopf hoch!_a0094449_19103845.jpgアラビア文字の装飾です。

あの時は二つの国だった(25)Kopf hoch!_a0094449_19113333.jpg私はパスタを。

あの時は二つの国だった(25)Kopf hoch!_a0094449_1912773.jpg家人はフムス。

ホテルに向かおうとしたら、撮影中。最初は女の子を写しているのかと思いきや・・・。
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実は、男性モデルを撮影中。
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あの時は二つの国だった(25)Kopf hoch!_a0094449_19272552.jpg女の子はマネージャーさんなのかな?見学しているオバちゃんか、と思ったら、男性の衣装を直していたり、アイロンと台を持ってスタンバイしている人もいたりして。

日本だったらキャーキャー人垣ができそうですが、単なる雑誌とかカタログのモデルさんなのかな?
一通り私たちも後ろから撮影をさせてもらった後で(笑)、家人にたのまれて、なんちゃって通訳として向かいにある郵便局へ行きました。
あの時は二つの国だった(25)Kopf hoch!_a0094449_19172186.jpg日本だったら車の多い通りのほうが入り口かと思いますが、ここは違います。

建物の中が中庭になっているんですね!
あの時は二つの国だった(25)Kopf hoch!_a0094449_1918679.jpg小さくてびっくり!DHLの受付だけかと思いきや、ちゃんと郵便局の機能も備えていました。そういえば、ベルリンで郵便局をみかけなかったな~。民営化して形態が変わったのかしらん・・・?

あの時は二つの国だった(25)Kopf hoch!_a0094449_1922953.jpgそのうち「ベルリンのかわいい本」でも取り上げられるかしら?なんと、グリーン(環境に優しい)ポストが。郵便が安い分、配達に時間がかかるシステム。全国に、ではなく州限定みたいですね。


宿泊したホテルも外から撮ってみました。
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ふたつの建物で中庭を共有していて、毎朝、窓を開けるのが楽しみでもあり、滅多な恰好では開けられないと思ったり・・・。私たちが泊まった部屋は私のほうが先に出たので、まぶしいのが嫌いな家人のためにブラインドを下げておいたのでした(電動で角度や長さを設定できます)。
ほんと、使いやすいアパートメントホテルでした。お値段もお得だったし。またベルリンに来ることがあったら、絶対にここか、同じ経営者のホテルにしよう、と思ってます。

あの時は二つの国だった(25)Kopf hoch!_a0094449_2010346.jpgそう、これで私は一人先にベルリンを出発。Zoo駅はICEが停まらないんですよ(とほ)。かなり早くからホームで待っていたのですが電車が遅れてしまい、その分、乗り込むお客も増え・・・。なんと修学旅行の一団(30人ぐらい)までやってきて、で、Spandau駅での乗り換えも遅れ・・・。私は席を予約してあったのですが、電車の停車予定表を見間違え、乗り込んでから2車両分二つのスーツケースをもって移動するという最悪な状態に。

しかも、ICEも遅れていたので乗り込むお客も多く、空席を見つけるために右往左往している方々が。そこへオバちゃんアジア人が二つもスーツケースを持っていて・・・とあって、迷惑をかけたと思うのですが、みんな「ほら、貸して」とスーツケースを通してくれて・・・。かなり空いてきたら交代でやってきた車掌さんに「床にスーツケースを置いているのは誰ですか?!」と言われてしまいました。邪魔になるところではないのですけれど・・・。「来たばかりの時は混んでいて棚は一杯だったから床に置いたのに」と係員に訴えたら、隣の人が「そうよそうよ」と。それでも、「このスーツケースのうち1つは棚の上にあげなくてはなりません」と言われてしまいました。しかも自分の座っている側の棚じゃないところ。
「すみませーん、私はフランクフルトで降りるんですけれど、私はこんな小さいし、スーツケースは重いし(家人が相手先からもらったお土産やら資料やらを詰め込んでいた)、一人で棚に上げることもで下ろすこともできませーん。あなたがフランクフルト駅が近くなったら来て、私のために下してくれるんでしょうか?」と怪しげなドイツ語で質問したところ「自分は来ることができない」と。「じゃあ、上にあげないでください」と再度依頼したのですが、「だーめ」と一言。そして、車両内に響き渡る声で「この日本人女性のためにスーツケースをフランクフルトで下してくれる親切な人はいますか?」と呼びかけました。棚近くの男性が「大丈夫、ボクがしますよ」と言ってくれたので「ほら、問題なしだろ?」と重たい方のスーツケースを上げちゃって・・・。さすがに「お、重たいな」とびっくりしてました。下してくれた方には本当に申し訳なくて・・・。腰を痛めてないといいけれど・・・。
しかし、床に二つ置いてあった私のスーツケースを見て、「ああ、並べ方がよくない」とも言ったのだった、この車掌さん。ある種ドイツ人らしいですよね。
そして、フランクフルトに無事に到着し、駅前のホテルに入りました。オージーの団体のチェックインに手間取っているフロントのため、スイスイとはいかず、さらに、ホテル予約サイトの利用者評価ではバスタブがついているとあったのに、私のクーポンではそのレベルの部屋へは変えられないと知り、がっかり。
内装はそれなりでしたけど、2階のために、窓から見える風景もホテルの裏側って感じ(写真を撮る気にもならなかった)。ちょっと奮発してここに2泊したのになあ、と当たりの悪さにがっかりしていたら、なんか、部屋が暑い。冷房を入れても効いてない感じ。駅で夕食を調達する間に見てもらったのですが、やっぱり暑い。ということで、上にまっすぐ4階上、つまり6階の部屋にしてもらいました(ここもバスタブはなかったけどね)。
うわー、広いし!テレビもいい感じ!
この日は50周年を迎えるブンデスの最初の日。
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日本では放送されなかったけれど、ドルの試合。部屋の移動とかがあったので途中見ることができなかったし、試合も後半の途中からいつの間にか寝たり起きたりで、おいおいおい、なのですが、お客で来ていた父ちゃんへのインタビューだけは見ましたよ!
あの時は二つの国だった(25)Kopf hoch!_a0094449_2015169.jpgちょっとちょっと、怪しげなドイツ語であれこれ文句言うだけ言って、眠たくなっちゃだめでしゅよ。

Commented by takanao32 at 2012-12-03 19:19
ドイツの車掌さん、ドイツ人らしい。
でも、他の乗客の人に聞いてくれる所は
いいですよね。
新幹線でも、隣に男性がいても荷物を日本って
なかなか手伝ってくれる人いないから...

昔、2世帯住宅の2階を借りようか悩んでいた時に
不動産屋さんが実は1階に住んでる方がドイツ人の
学者さんで土日と平日の夜9時以降は
物音を立てないようにって。
泣く泣く諦めた賃貸物件の事を思い出しました!
Commented by eastwind-335 at 2012-12-04 19:06
takanaoさん、こんにちは。
ドイツの鉄道のいいところは、きちんとしているところなのですが、ちょっと困るのが、スーツケース置場がすくないことと、網棚の位置が高いことです。あちらのみなさんは体力があるのか楽勝らしいのですが・・・。家人も長期出張でDBに乗っていた時には隣のおばあちゃんやらおじいちゃんに頼まれて上げ下げを手伝っていたそうです。
車掌さん、まさか私が「ちょっと待った~!」とあれこれ言うとは思わなかったようで、なんちゃってドイツ語ながらも耳を傾けてくれて助かりました。
ドイツでは、確かに夜や休日に音を出しちゃいけないんですよね。洗濯機も使う時間に気を付けるそうです。
民宿系のホテルでも夜9時だか10時にはお静かに、と説明を受けたことがあります。学者さんならなおのことお静かに、かもしれません・・・。
でも楽しむときはとっても楽しそう。今回のベルリンのホテルの斜め前のアパートメントでもパーティーをやっているお部屋がありましたが、人々の声がいい感じでした!
by eastwind-335 | 2012-12-03 18:31 | 旅の思い出12朝帰りde欧州旅行 | Trackback | Comments(2)

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