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3週目

昨日、職場で、地震の片づけ(←まだやってます)の休憩時間中のこと。

昭和の男女からすると、駅のエレベータが止まってしまっても、少しぐらい暗かろうと、店舗が夜7時前に閉まろうと驚かない。
けれど、私達の部署の女性は、勤めはじめが昭和の終わりだったり平成の初めだったりする。
家庭をもったのは平成になってから。
つまり、営業時間がどんどん長くなっていきはじめた頃。
終業後にスーパーに駆け込まなくてもよくなってきた働く主婦たち、だったわけです。
土曜にまとめ買いして1週間の生活を廻す、平日の夜に足りないものを買い足すという時間の単位ができあがっている、というのでしょうか。
でも、みんなが同じものに集中して買い物をしたこの2週間。就業時間中こそが世間の「買い物タイム」であることを痛感したのでした。午後4時にはあっても6時にはもうない・・・。

さらに、2週間たった余震生活での変化の話となりました。
・1週目は毎日服を着て寝ていたが、この前の週末からパジャマを着るようになった。
・スニーカーや底の厚いスリッパを枕元に置くことも減った。
・買い置きを意識するようになった(23区組の今一番欲しいものは「懐中電灯」←もうすぐお店に出回るはず、と信じてます)。
・料理ができる幸せを感じた(うちは独身お兄さんほどちゃんと自炊してます)。
みんなで、避難所の方々が毎日お結びの食事であるというのは本当に辛いだろうと。最初は食べるものがあるということが大切だけど、人が作ってくれたものを2週間以上食べるというのはキツい気が。好きな味付け、好きなメニュー・・・。

昨日、震災以来はじめて本屋でゆっくり過ごしました。思い返せば、震災以来、雑誌1冊すら買っていなかった。毎日のお弁当が評判のブロガーさんの2冊目の本(通称「次女本」)と風呂の友を買いました。
実を言うと、お弁当はこの頃あまり作っていません。お結びと残ったおかずを詰めて、を最初の二日だけ。というのも、買い置きのなかったお米と次にいつ出会えるかわからなかったからです。お米はなくてもお結びはコンビニにびっくりするほど並んでいる、という不思議な都会の風景に、家人が帰国するまでご飯を炊くのは控えたのでした。いまは幸いにもお米に余裕ができましたし、スーパーにもちゃんと並んでいます。そして、新しいお弁当箱も来たので(特注!)、そのお披露目をしたいのですが、自分の気持ちとしては3週目が無事に終わったら、と思っています。お風呂も、別に我が家が困っているわけではないのですが、一人で湯船につかる気持ちになれなかったのです。でも、家人も帰ってきたことだし、お風呂の準備をしてもいいかな、と思えるように。

今日、両親の暮らす海辺の街へでかけてきました。祖母とのお別れのためです。来週、小さな壺に入ってしまった祖母は本当だったら人生の終焉を迎えるはずだった地にある祖父の墓に入ります。計画停電が平日ながら初めて全日中止となった今日、お休みを取れたことに感謝しながら、両親がそばにいなかった時に祖母の遺骨の入った壺をだっこしました。もし停電があったら、海辺の街へ行って、すぐに帰ってこなくてはならなかったはず。亡くなる前のお見舞いも前日までの雨雪といった寒い毎日が一転し、天気がよくて、祖母の意識もはっきりしていて、言葉はなかったけれど私を見て手を挙げてくれて。それまでの暮らしを処分した祖母が広島からわたくしたちの許に来ることになった14年前、年度末にも拘わらず上手く有休がとれて迎えに行ったのも私でした。葬儀も日曜の朝にささやかに済ませることができ、弟はもちろん休日出勤が続いていた私も職場に迷惑をかけることなく祖母との別れができました。結果として私が動きやすいような日に呼び寄せてくれるようです。だから、お別れも言えずに一瞬のうちに家族を失ってしまったたくさんの人たちのニュースを見聞するたびに、この多くの方々の深い哀しみに言葉がありません。
by eastwind-335 | 2011-03-29 19:24 | 日常 | Trackback | Comments(0)

東風のささやかな毎日のささやかな記録


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